その男、猪木 最後の戦い

「なぜ、いまこそ俺を使わないんだ」
夜の酒場、静かに語る男がいた。
その男の名は、猪木。伝説的なプロレスラーだった、参議院議員である。
「燃える闘魂」とまで称された男も、75歳。大きな背中が少し、肩を落として見える。
それでも「ヒーロー」たらんとする男は、世界という名のリングに、政治家として最後となるかもしれない戦いを挑もうとしている。
その男が何を目指し、どこに行こうとしてるのか。いまこそ、「政治家・猪木」番記者として、その姿を伝えたい。
(政治部野党担当 稲田清)

なぜ、私を使わないのか

その思いが溢れ出たのが、6月19日の外交防衛委員会。彼は静かに手を挙げた…

そして静から動へ。突然の雄叫びから始まった質問。

かつては「何が起きたのか」と大臣たちを驚かせたこのフレーズも、もう周囲の議員たちはすっかり慣れてしまった。

百戦錬磨の舌を持つ議員たちの中にあって、彼の質問はとつとつとし、決してうまいわけではない。しかし、本人は真剣だ。
「北朝鮮に『ありとあらゆるチャンネルを通じて』というなら、私のチャンネルを使う考えがあるのか」

迫られた河野外務大臣、「アントニオ猪木ルートは、公にしないで使わなければ意味が無い。必要とあれば、こっそりとお願いに行くことがあるかも知れないので、その際には…」と。

うまく「いなされた」という感じだろうか。少年時代に「アントニオ猪木」に憧憬を抱いていたという小野寺防衛大臣も、思わず笑顔だ。
そして、「アントニオ猪木」は、怒ることも、高ぶることもせず、委員会室をあとにした。

外交という名のリング

「世紀の一戦」とも呼ばれた、ボクシングのチャンピオン、モハメド・アリとの対戦からすでに40年余り。彼の現役当時の雄姿を知る若者は、多くはない。


大学生たちに聞いてみた。
「漫画でキャラクターのモデルになっていますよね。漫画でしか見ていません。政治家としてどんな活動をしているのかも、全く知らない」
「プロレスラー時代のことは全く知らない。勝手に北朝鮮に行くお騒がせな議員」
「良くも悪くも目立っている人」
「ものまね芸人がたくさんいるイメージです。赤いタオルのビジュアルは印象的。『元気ですか』って叫んでいるおじさん」

さらに言えば、プロレスラーとしてのみならず、彼が議員として果たしてきた役割を知る人は、少ないのかも知れない。
モハメド・アリは強敵だった。しかし、アリとの対峙が頂点ではないのだ。

彼は、会うことさえ無理だと思われていたキューバのカストロ議長と対面し、心をつかんだ。
彼は、関係が厳しかった当時のソ連に入り、スポーツのイベントを開いた。
彼は、湾岸戦争直前のイラクで、捕らえられていた日本人の解放に力を尽くした。

そしていま、30回以上も北朝鮮を訪問した、現役で唯一の議員である。
「プロレスラー出身の奇特な議員」と片付けるのは簡単だ。確かに、人気者である自分の立場を意識し、議員外交に利用していたところもあるだろう。しかし、ほかの誰にまねができるものでもない。

「『北朝鮮といえば、悪』、そういう意識を変えるというのは、大変難しい問題。でも、飛び込んでみないとわからない。いろんな人種、いろんな考え方に心を開くというか、その人たちと」
彼の『飛び込む』という言葉に、すべてが集約されている気がする。

ただ、だからこそ、通常の「外交」からは常識外の行動だと位置づけられる。外務省には「僕らの世代ではヒーローだ」という人はいるが、正規の外交のルートとして認める人はいない。

マフラーが語る“世界”

番記者をしていて、気づいたことがある。マフラーだ。
「アントニオ猪木」のトレードマークと言えば、首にかけた赤いタオル。それをイメージして、引退後にファンが赤いマフラーをくれたのだという。それ以来、赤いマフラーがトレードマークだ。

ところが、実は赤だけではないようなのだ。

これはパキスタンを訪問した際の写真。なんと緑色のマフラーをしている。イスラム教を象徴する緑は、パキスタンの国旗の色でもあるからだ。だから、ブラジルに行く時には、黄色と緑色の入ったマフラーをしていく。カンボジアには、仏教で尊ばれる紫色のマフラーを着けていった。

「相手から見て、目から入ってきた感覚というのは、すごく大事」
というのが理由だという。

モハメド・アリの追悼式には、黒のマフラーで出席した。この一度だけだ。相手への思い、それに貫かれている。

なるほど。ならばと、持っているマフラーを見せていただいたところ…
なんだ、この色とりどりのマフラーは。

「一緒に飲んだ人にすぐあげちゃうんで。40~50本はあるのかな」
いやはや、これは本邦初公開。ファンもびっくりだろう。

そしてこのところ、一番目にするのは、やはり「赤」なのだ。ふだんもそうなのだが、実は意識している理由がある。
「赤」をイメージする国、そう、北朝鮮だ。
「北朝鮮は赤なんですよ。子どもたちが赤いネッカチーフみたいなものをしていたり」

去年も、政府が制裁の一環として全ての国民に渡航の自粛を求めるなか、ピョンヤンを訪問。キム・ヨンナム最高人民会議常任委員長や、リ・スヨン朝鮮労働党副委員長と会談している。

なぜ、それほどに北朝鮮にこだわるのか。
「いろんな人種、いろんな考え方に心を開くというか、その人たちと同じ目線で感じられれば。いろんな北朝鮮問題が議論されるが、その時に日本だけの主張で、『俺はこうした、お前はこうだ』ではなく、『向こうはどうなんだ』と相手の主張を聞いていないのではないか」

とにかく、相手の懐に飛び込む。そして話を聞く。レスラーの頃なら、懐に飛び込んで、技を受けるというところだろうか。その変わらぬスタイルがあるから、相手からも受け入れられるのだろう。

なぜ、そこまでして

実はこの日、シンガポールで史上初めての米朝首脳会談が行われていた。

日本は「蚊帳の外」に置かれてしまうのではないか、そんな悪いシナリオも永田町界隈でささやかれるなか、彼が忸怩たる思いをしていたのは、想像に難くない。
「北朝鮮とのチャンネルならある。私を使ってくれれば…」と。

そんな時、ヒーローならば絶対に人前で言わないような言葉を、初めて聞かせてくれた。

「長年の戦いのなかで、それこそガタガタで。きのうも藤波(辰爾)と会ったんだけど、彼も腰を悪くしているんだよね。それと、どう向き合いながら戦っていくか。元気が売り物だから、人前でよぼよぼできないんだよ」

ガタガタ、よぼよぼ。まさか、と耳を疑った。
北朝鮮へのチャンネルを使うにしても、もう、そう何度もできるものではない。そんな印象を受けた。
こちらの内心を察したのか、こう締めくくった。

「どういう状況になっても、意識を強く持って、皆さんに何か送り続ける人生であればいいと思う」

ヒーローとは、彼にとって背負い続けなければならない十字架なのか、それとも、自らを奮い立たせる誇りなのか。いや、そんなこととは関係なく、彼はただ、「猪木」であろうとしているのかも知れない。

だから、あえて「飛び込み」続ける彼の後ろ姿をみると、あの応援歌が自然と頭に響く。

「猪木、ボンバイエ! 猪木、ボンバイエ!」

ボンバイエ、つまり「やっちまえ!」
見せて欲しい。政治家になったヒーローの戦いを、最後まで。
そして、単なる番記者としてではく、政治記者としてその姿を書かせてほしい、と切に願う。
その常識外の姿は、誰に何といわれようと、ヒーロー、いや「猪木」にしかできないのだから。

政治部記者
稲田 清
平成16年入局。鹿児島・福島局も経験。野党クラブで国民民主党や共産党を担当。趣味はダイビングと船釣り。