NHK WORLD

黎明期

国際放送主な出来事 黎明期

国際放送開始1935年~1940年代

国際放送主な出来事 国際放送開始1935年~1940年代

1950~70年代

国際放送主な出来事 1950~70年代

1980~90年代

国際放送主な出来事 1980~90年代

2000~2015年

国際放送主な出来事 2000~2015年代

2000~2004(平成12年~平成16年)

「NEWSLINE」誕生

年代史  >  2000~2004 >  「NEWSLINE」誕生  | ラジオ日本、22言語のニュースをライブストリーミング開始

主な出来事

’00
  • 2.4 ラジオ日本22言語のライブストリーミング開始
  • 7.21-23 九州・沖縄サミット
  • 9.25 国営放送中国中央テレビ(CCTV)、海外向け英語放送開始
’01
  • 9月 「ラジオ日本オンライン」オンデマンドサービス24時間化
  • 日本語講座は18言語
  • 9・11 米同時多発テロ
  • 大リーグ イチロー旋風
’02
  • 4月 NHK WORLD Daily Newsサイト開設
  • 5.31-6.30 日韓共催W杯サッカー
  • 9.17 日朝首脳会談「日朝平壌宣言」署名
  • 10.15 北朝鮮拉致被害者5人帰国
’03
  • 3.20 イラク戦争
  • 3.19-5.19 ラジオ「イラク有事による中東・北アフリカ向け臨時送信」(日本語)
  • 8.4-16 ラジオ国際放送22言語すべてを使ってドラマ「トオイと正人」放送。使用全言語で同じドラマを放送するのは初めて
’04
  • 1月- 鳥インフルエンザ感染拡大
  • 5.22 第2回日朝首脳会談
  • 8月 アリランTV、全世界向けに英語による国際放送開始
  • 10.23 新潟中越地震
  • 12.26 インド洋大津波

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24時間ニュースのルーツ

2000(平成12)年4月3日、24時間英語ニュースのルーツとなる「NEWSLINE」の放送が始まった。平日のみ日中の時間帯に10分のニュースを2回放送した。

「NEWSLINE」放送開始

2003年日本発の英語ニュース「WHAT'S ON JAPAN」 キャスターは高雄美紀、貴島通夫

2003年日本発の英語ニュース「WHAT'S ON JAPAN」 キャスターは高雄美紀、貴島通夫

9.11米同時多発テロ、黒煙を上げる世界貿易センタービル

9.11米同時多発テロ、黒煙を上げる世界貿易センタービル

2000(平成12)年4月3日、「NEWSLINE」がスタート。
番組開始当初は、日本の朝から昼までに起きたニュースをコンパクトに10分間、午後2時台に生放送し、午後6時台に同じ内容を再放送していた。なお、放送開始当初は、平日のみの放送であった。

「NEWSLINE6」の新設

2001年度に入ると、平日午後2時台に加えて、平日午後6時台の「NEWSLINE」も生放送にした。午後2時台の番組タイトルを「NEWSLINE2」としたのに対して、午後6時台の番組タイトルを「NEWSLINE6」とした。

1日8枠の放送に

2003年度に入ると、これまで平日2回だった放送枠を4枠に拡大した。午前11時、午後1時、午後3時、午後6時台に10分間の放送だった。さらに、2004年度に入ると、1日8枠の放送にまで拡大した。ただし、生放送は午前10時台、午時0時台、午後2時台、午後5時台、午後10時台の5枠で、午前11時台、午後4時台、午前2時台の3枠については、直近の生放送を収録した再放送であった。

アメリカ同時多発テロ

2001年9月11日、アメリカ・ニューヨークで同時多発テロが発生した。全米のメディアが映画さながらの衝撃的な映像をくり返し放送するなか、日本企業の駐在員、旅行者、在米の日本人たちの頼りは、日本語による最新情報であった。北米地域で「テレビジャパン」を放送しているJNGでは、NHKのニュースを途切れることなく送り続けた。JNGのスタジオは、テロ発生現場からわずか500メートルしか離れていない。避難命令が出るなか、臨時回線を確保し、無人でも放送を出せる体制を整え、NHKの緊急報道をアメリカで支えた。「英語の苦手な人たちにも事件の背景や政治、世界情勢がわかりやすく理解できた」「アメリカで起きたことが日本のNHKですぐに報道され、それをカナダですぐに見られるという情報の早さ、正確さに驚いた」などの意見が寄せられた。

アメリカ同時多発テロ事件の舞台裏

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件の当日、「ニュース10」の英語放送を制作する国際放送局英語センターでも、急な事態に大慌てで対応していた。

「ニュース10」放送開始の10分ほど前、ニュースセンターから英語センターに、「オーダーが変更になりそうだ」との連絡が入る。ニュースセンターに行くと、世界貿易センタービルが炎上との一報が入っていた。当時、「ニュース10」の英語放送は、英語化された原稿を読むアナウンサー2名と、急に飛び込んでくるニュースに対応する同時通訳者2名の体制で臨んでおり、急なニュースがない場合は、同時通訳者の出番がない日もあった。

この日は、番組冒頭から同時通訳者の出番となり、放送開始の3分後、日本時間の夜10時3分、2機目がビルに突っ込んだ瞬間、「これは事故ではなく、事件なんだ」との思いを確信することになった。

この後、午前1時の番組終了まで同時通訳者2名で乗り切るとともに、長期戦になることを想定して、翌朝以降の同時通訳者の確保に奔走することになった。

ラジオ日本、22言語のニュースを
ライブストリーミング開始

有事のライフライン、平時の情報源に

NHKワールドのインターネットサービスは1990年代後半から開始。2000年2月には22言語でラジオ日本のニュースのライブストリーミングを開始した。2002年4月には、英語ニュースのテキストと動画をインターネットで提供する「NHK WORLD Daily News」を開始。以後、順次多言語化を進めた。

2000年、ラジオ日本のニュースのライブストリーミング開始

ラジオ日本のニュースを放送と同時にライブストリーミング「Radio Japan Online」ニュースサイト「Daily News」

ラジオ日本のニュースを放送と同時にライブストリーミング「Radio Japan Online」ニュースサイト「Daily News」

界の国際放送は90年代後半よりインターネットへの展開を進め、NHKワールドでもまずは番組紹介や周波数表を掲載する広報サイトを開始した。2000年2月、インターネットを短波放送の補完として活用する調査・研究を行う位置付けで、ラジオ日本の22言語のニュースを放送と同時にインターネットで配信(ライブストリーミング)する「Radio Japan Online」を開始した。また、9月には放送済みラジオニュースのオンデマンド再生機能を追加するなど、現在の主要なサービスの原型が形作られた。2000年は国際放送開始65年であり、期間限定の記念ホームページ「ゆめサイト」を制作し、多言語のニューステキストやワールドTVのニュース動画を掲載するなど、その後につながる実験的サービスが行われた。

ニュースサイト「NHK WORLD Daily News」ニュース原稿掲載

NHKのインターネット利用について検討を続けてきた総務省は、2002年3月、「日本放送協会のインターネット利用に関するガイドライン」を公表した。この中で、国際放送局のインターネット業務は、放送を補完する「付帯業務」と位置付けられることになり、より積極的な展開が可能となった。

2002年4月には、ニュースサイトとして「NHK WORLD Daily News」を立ち上げた。そこにはNHK WORLD TVで放送した英語ニュースの原稿と動画をオンデマンド方式で掲載した。今回のガイドラインで放送関連素材の二次利用としてニュース原稿の掲載がようやく可能となった。多言語については、年度内にスペイン語、ロシア語、フランス語、中国語、ハングルのニュース原稿を順次掲載開始した。

国際情勢の緊迫化とアクセス増加

「Radio Japan Online」の再生回数は、2001年4月にはライブストリーミングとオンデマンド合わせて約6万回だったのが、年度末の2002年3月は約25万回、さらに2003年3月は約52万回と2年で8倍以上になった。特に、アメリカ同時多発テロの起きた2001年9月と、イラク戦争が勃発した2003年3月は前月と比べ急激に増加した。両時期にはラジオ第1の特設ニュースを臨時にライブ配信したため、国内外の日本人のアクセスが多かったと推定される。一方、臨時サービスが終了してもアクセスが減らなかったことから、インターネットの普及に合わせて有事のライフライン、平時の情報源として定着していったことがうかがえる。

手探りのホームページ制作

NHKワールドのインターネットは現在、大規模に機械化されていてコンテンツの更新作業などは半ば自動的に行われているが、当時は全ての作業が人力だった。

ニュースサイト「NHK WORLD Daily News」では、4人の派遣社員が手作業で休むことなくページを更新し、「Radio Japan Online」オンデマンドでは、30人ほどの学生アルバイトたちが、シフト勤務で多言語ラジオニュースの切り出しから公開までを行っていた。今では考えられないが、当時はサイト自体の開発・制作も職員が行っていた。

試験期間が近づくとアルバイトに入れない学生が続出してシフトに穴が開きそうになったり、ウェブサイトの専門書をまねてページを開発してみたものの、ページに不具合が起きると修正の仕方が分からず、四苦八苦するような事も日常茶飯事だった。しばらく経ってオンデマンドを全自動で公開するシステムが導入された時は、「なんて進歩したのだろう」と、とても感激したのを覚えている。

その後、機械化が進む中でアルバイトもいなくなり、NHKワールドのインターネットは、ネットのプロ集団が支える体制に変わったが、当時の若手中心で手作り感一杯の頃は、サークル的な雰囲気もあり、とても楽しい日々だった。

(国際放送局 インターネット担当(当時))