NHK WORLD

黎明期

国際放送主な出来事 黎明期

国際放送開始1935年~1940年代

国際放送主な出来事 国際放送開始1935年~1940年代

1950~70年代

国際放送主な出来事 1950~70年代

1980~90年代

国際放送主な出来事 1980~90年代

2000~2015年

国際放送主な出来事 2000~2015年代

1980~1985(昭和55年~昭和60年)

日本の声・日本の姿を
もっと世界へ

年代史  >  1980~1985 >  日本の声・日本の姿をもっと世界へ  | 国際放送開始50年

主な出来事

’80
  • 6.22 衆参同日選挙で自民党圧勝
  • 9.9 イラン・イラク戦争
  • 9.25 ジェネラルサービス開始20周年記念番組「東京からこんにちは」放送
’81
  • 日本、対米自動車自主輸出規制実施(81.4-84.3)
  • 12.11 国際放送「日本の主張・世界の声」放送
  • 12.15 マレーシアのマハティール首相、ルックイースト政策提言
’82
  • 6.2-7.20 日中国交正常化10周年記念「日本語作文コンテスト」
  • 7.20 人民日報の短評「文部省の歴史教科書検定問題」
  • 80年代米国で日本製自動車叩き
’83
  • 83.4-84.3 NHK連続テレビ小説「おしん」放送、世界中で放送される
  • 5.26 日本海中部地震
  • 8.21 フィリピン・アキノ大統領候補射殺事件
  • 9.1 大韓航空機撃墜事件
  • 10.3 三宅島21年ぶりに噴火
  • ジェネラルサービス全日放送体制へ
’84
  • 4月 西アフリカ・ガボン共和国の送信所を借用、中継放送開始
  • 6.1 国際放送「テレフォン・イン“日本の主張・世界の声”」を放送
  • 6.7-9 ロンドン・サミット、「サミット特集」
  • 7.28-8.12 ロサンゼルス五輪
  • 9.6 韓国・全斗煥大統領の日本訪問
  • 10.31 インド・ガンジー首相暗殺

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リスナー交流番組「日本の主張・世界の声」

1982(昭和57)年、リスナーの投書によってつくられる番組「日本の主張・世界の声」の放送が始まった。その後、「声のひろば」「リスナーの集い」など、さまざまな聴取者参加型番組につながっていった。世界各地から届く受信報告に対してはベリカードを送るなどして、リスナーとの結びつきを深めた。

日米経済摩擦とジャパン・バッシング

日米貿易摩擦 日本車たたき(1981年3月) 写真:AP/アフロ

日米貿易摩擦 日本車たたき(1981年3月)
写真:AP/アフロ

1983年8月21日 マルコス政権最大のライバル、ベニグノ・アキノは米国から帰国、マニラ国際空港で暗殺 写真:AP/アフロ

1983年8月21日 マルコス政権最大のライバル、ベニグノ・アキノは米国から帰国、マニラ国際空港で暗殺
写真:AP/アフロ

1983年4月-1984年3月 NHK連続テレビ小説「おしん」放送、世界68の国と地域で放送された

1983年4月-1984年3月 NHK連続テレビ小説「おしん」放送、世界68の国と地域で放送された

1980年代、海外渡航する日本人は年間400万人を超え、日本企業は5000社が海外に進出するなど、日本の国際化が急速に進んだ。世界から日本への興味や注目が集まる一方で、欧米では経済摩擦が大きな懸案となった。自動車や半導体の対米輸出の増加、一方で牛肉やオレンジなどの農産物市場の閉鎖性が問題となり、米国内では不公正な国であるとして、ジャパン・バッシング(日本たたき)の風潮が広がり始めていた。

リスナーとの絆がつくる国際放送番組

1982年に始まった「日本の主張・世界の声」は、リスナーの投書によってつくられた番組の一つだ。毎月テーマを決め、意見を募集した。日本の立場や日本人の考え方を正しく理解してもらい、同時に諸外国の意見も積極的に受けとめ、国際間の誤解を解こうという趣旨で始まったこの番組には、国内外から毎年2万通前後の投書が寄せられた。この番組はその後「声のひろば」と名前を変え、1997年まで放送された。とりあげられたテーマは、外交から社会問題まで多岐にわたっている。

世界各地で「リスナーの集い」を開催

ラジオ日本では聴取者との交流が盛んに行われた。リスナーとラジオ日本のアナウンサーやスタッフが直接交流するイベントも行われた。韓国では1991年にソウル、続いてプサン、テジョン、クァンジュで「リスナーの集い」が開かれ、その模様はナマ中継または録音で放送された。21世紀に入ってからも、タイやベトナム、ブラジル、中国、タンザニアなど世界各地で「リスナーの集い」や特別番組の公開収録が行われている。

テレビドラマ「おしん」が伝えた日本人
世界68の国と地域で放送

1983年、貧困の中から立ち上がる女性の一代記「おしん」がNHK総合テレビで放送され、空前の大ヒット作となった。家族の絆に支えられ、たくましく生きていく主人公の姿は、文化や宗教の違いを越えて広く支持され、その後、世界68の国と地域で放送された。ラジオ日本でも、インドネシア語やペルシャ語、スペイン語など各言語放送で「おしん」の話題を伝えた。

「ラジオ日本の受信環境改善を!」

1960年代以降、短波国際放送による情報発信に多くの国が積極的に取り組み、周波数が大幅に増えて、混信障害が激しくなったため、放送機関は競って送信施設の大電力化を進めた。そんななかで、ラジオ日本も相対的な地盤沈下を起こしていた。世界の大勢は250~500キロワットの時代になっていた。

「ラジオ日本がよく聞こえないので改善してほしい」。

1981年の鈴木善幸首相ASEAN(東南アジア諸国連合)歴訪の際、同行した亀岡農林水産相に対し、マレーシアの在留邦人からあった陳情である。これを契機に、技術的な対策や費用負担などについて、NHK内外でさまざまな議論や検討が重ねられた。

短波放送の受信状態を改善する主な方法として「海外の送信施設から送信する中継放送の拡大」「国内の八俣送信所の出力増強」の2つがある。海外中継については、79年に始まった初の中継放送(シネス中継)に続き、84年ガボン中継、86年にはカナダ中継を開始するなど、順次体制を強化していった。

一方、八俣送信所についても、84年から4年かけて300kW送信機4台、100kW送信機4台を新たに建設し、アンテナや関連施設も新設した。この結果、東南アジアや北米の受信状況が大幅に改善した。

国際放送開始50年「50歳になりました!こちらラジオ日本」

アジアに起こっていることを正確に、迅速に

日本の国際放送開始から50年を迎えた1985年、ラジオ国際放送と国内のテレビで大型特集番組を制作、放送したほか、都内のデパートでの特別展示や国内向けベリカード(受信確認証)発行など、精力的にPR活動を行った。85年度には史上最高となる8万4,083通の投書や受信報告が世界各地から届いた。

開始50年を迎えた国際放送

放送開始50年記念のベリカードを発行(1985.6)

放送開始50年記念のベリカードを発行(1985年6月)

放送開始以来、さまざまなベリカードを発行し、世界のリスナーと交流した

放送開始以来、さまざまなベリカードを発行し、世界のリスナーと交流した

1985(昭和60)年6月1日、日本の国際放送は誕生から50年を迎えた。85年度の放送時間はジェネラルサービス、リージョナルサービス合わせて1日40時間で、使用言語は21言語であった。

「50歳になりました!こちらラジオ日本」など大型特集番組を放送

6月1日の放送開始50年の記念日を中心に「50歳になりました!こちらラジオ日本」「ラジオ日本50周年ラジソン」「おはようロンドン・こんばんは東京」「ハロー!こちら東京 外国人素人のど自慢大会」などの特集番組を編成したほか、NHKスペシャル番組部と共同で「NHK特集─電波のかなたのニッポン」を制作、放送した。その際、ラジオ日本のリスナーが放送を通じて日本に対し、どんなイメージを描いているか感想文と絵を募集したところ、700件の応募があった。そのいくつかを番組で紹介したほか、「世界からのイメージ展」としてリスナーが描いた日本および日本人のイメージ画100点などを都内のデパートで展示した。

テレビ時代でも有用なラジオ放送

メディアの世界ではテレビが急速に成長し、海外の出来事もほとんど同時に映像によって伝送される時代となっていた。しかし、それは先進国のことであり、アジアやアフリカをはじめ、世界にはラジオが生活に欠かせない大勢の聴取者がいた。また軍事政権・独裁政権・社会主義政権では依然、情報の遮断や情報の過疎が続き、国境を越える放送は大きな価値を持っていた。ラジオ日本でも海外中継を拡大し、世界中どこでも聞こえる放送を目指した。

世界各国から届くリスナーの投書

ラジオ日本では聴取者との交流が盛んに行われた。世界各地のリスナーから届いたお便りには、国際局の職員やスタッフが一通一通目を通し、受信した番組がNHKの国際放送であることを認証する、いわゆるベリカード(Verification Card)を送った。日本の観光名所や伝統行事、自然などを収めた絵葉書大のカラフルなベリカードはリスナーの人気を集め、競うように収集するマニアも多かった。これらの投書(85年度は8万通以上)は各言語で放送される番組「リスナーとともに」「お便りありがとう」などで紹介された。

世界電波戦争
鉄のカーテン越しにジャミングの嵐

ジャミングは、国際放送の歴史と常に表裏一体の存在として続いてきた。特定の国家が「自国民に聞かせたくない」と判断した放送を、同じ周波数ですさまじい雑音を送信することで故意に妨害するジャミング。この手法は1930年代に始まったとされる。第二次大戦中、日本も米国の放送と同じ周波数で「防圧放送(ジャミング)」を実施した。ジャミングは明らかに多くの国際条約の精神に反している。にもかかわらず、東西冷戦構造が崩壊するまでの約40年間、主として東側ブロックの国々によって実施された。50年代後半からは、中国とソビエト連邦との路線対立の結果、中ソ間でジャミングの応酬も行われた。

80年代は東西冷戦のプロパガンダ戦争の頂点で、米ソが電波戦争を仕掛けあった。90年代に入ると冷戦終結により東側ブロックからのジャミングはなくなったが、その後も、政治的、宗教的な対立を背景に、アジアや中東地域を中心に、多くの国々がジャミングを実施しているとみられる。

今日、ジャミングはラジオ、とりわけ短波放送だけのものではなくなった。衛星テレビ放送を妨害するために、衛星のトランスポンダーに向けて、何者かが同じ周波数の強力な電波を発射し、乗っ取る事件が起きている。