NHK WORLD

黎明期

国際放送主な出来事 黎明期

国際放送開始1935年~1940年代

国際放送主な出来事 国際放送開始1935年~1940年代

1950~70年代

国際放送主な出来事 1950~70年代

1980~90年代

国際放送主な出来事 1980~90年代

2000~2015年

国際放送主な出来事 2000~2015年代

1960~1964(昭和35年~昭和39年)

全世界へ向け
「ジェネラルサービス」開始

年代史  >  1960~1964 >  全世界へ向け「ジェネラルサービス」開始  | 東京五輪を世界に向けて放送

主な出来事

’60
  • 1.19 日米新安保条約調印
  • 2.13 フランス、初の原爆実験に成功
  • 9.4 全世界向け「ジェネラル・サービス」開始
  • 10.27 池田内閣、国民所得倍増計画策定
’61
  • 1.20 ケネディ、大統領就任
  • 4.12 ソ連、世界初の有人宇宙飛行、ガガーリン少佐「ウォストーク1号」
  • 9月 非同盟諸国首脳会議
  • 坂本九「上を向いて歩こう」
’62
  • 1.9 ISWCの人気投票でラジオ日本が第7位に
  • 8.12 堀江謙一さんヨットで太平洋単独横断
  • 10.22 キューバ危機
  • レイチェル・カールソン著「沈黙の春」

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20言語で18の放送区域に向けて放送

1960年代はじめ、一般向け放送(ジェネラルサービス)の確立により、世界のどこにいても日本語または英語でラジオ日本のニュースに接することができるようになった。また、放送法に基づき定められた「国際番組基準」にのっとり番組の大幅な改定も行われた。

世界中どこでも聞ける放送を目指して

「国際放送送信方向図」NHK年鑑16(1962年4月~1963年3月)から

「国際放送送信方向図」NHK年鑑16(1962年4月~1963年3月)から

1963年11月22日 現地時間12:30。ジョン・F・ケネディ大統領テキサス州ダラスで暗殺。同日早朝、日米初の衛星中継で日本にこのニュースは伝わった写真:AP/アフロ

1963年11月22日 現地時間12:30。ジョン・F・ケネディ大統領テキサス州ダラスで暗殺。同日早朝、日米初の衛星中継で日本にこのニュースは伝わった写真:AP/アフロ

1959(昭和34)年度から60年度にかけては、国際放送の大きな飛躍の年であった。それまで1日15時間だった放送時間が60年度には使用言語も18言語まで増え、のべ29時間に拡大された。国際化の進展にともない国際放送の重要性に対する認識が高まったことや、1964年の東京五輪開催決定が追い風となった。

「国際番組基準」が定められる

58年3月に成立した改正放送法により、59年、NHKは政府命令の放送以外に自主的な国際放送をすることが認められるようになった。この新しい放送法に基づいて「国際番組基準」が定められたが、そこには、ジェネラルサービスにあっては日本語と英語によるニュースの速報と公正な解説番組の編成に努めることが規定されていた。また、すべての番組は自由と正義を基調とすること、客観的な報道と世論の動向を正しく伝えること、わが国の産業文化を紹介すること、海外の同胞への適切な知識と慰安を提供することなど、国際放送の目的を遂行するための基準を4章にわたって規定している。

ジェネラルサービス(GS)、リージョナルサービス(RS)の開始

1960年9月4日、国際放送「ジェネラルサービス」はこうした状況のなかで始まった。それぞれの言語の対象国・地域に向けて放送する「リージョナルサービス」に対し、全世界を対象にした一般向け放送は、世界中どこでも日本語と英語によるニュースと解説が聞けることを目標とした。そして五輪の前年、1963年には毎正時30分、一日12時間のジェネラルサービスが確立した。

新設番組続々

国際番組基準に基づいて番組の大幅な改定も行われた。報道番組の新設拡充に重点を置くとともに、聴きやすく親しみやすい番組とするように努めた。この結果、聴取者との双方向番組「リスナーズアワー」や外国人を対象にした日本語学習番組「日本語の手引」などが新設された。

投書数が大幅に増加

国際放送の拡充に伴い投書や受信報告の数も増加した。国際放送が再開された1952年度にはわずか182通だったのが、東京五輪が開催された64年度には43,424通に達していた。

東京五輪を
世界に向けて放送

主な出来事

’63
  • 8.5 米英ソ、部分的核実験禁止条約(PTBT)に調印
  • 8.28 キング牧師の「I Have a Dream」演説
  • 11.23 日米初のテレビ衛星中継(ケネディ大統領暗殺ニュース)
’64
  • 7.2 米国公民権法成立
  • 10.1 東海道新幹線開通
  • 10.10-24 東京五輪で特別編成、放送時間を拡大
  • 10.16 中国、東京五輪期間中、初の原爆実験成功
  • 12.31 「ジェネラル・サービス」で「紅白歌合戦」「ゆく年くる年」放送

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大会期間中、1日のべ34時間、結果の速報や選手へのインタビューなどを伝え続けた

ラジオ日本は東京五輪の開催前から各競技場・選手村の準備状況や選手紹介などをニュースや番組で集中的に伝えた。送信体制も強化。大会期間中は開会式・閉会式を実況中継。放送時間を延長して実況ハイライトを放送した。また東京五輪は史上初めてテレビの衛星中継で世界に発信され、日本の戦後復興を強く印象づけた。

開催前から東京五輪を海外にPR

国際放送「オリンピックジョッキー」(1964年7月)

国際放送「オリンピックジョッキー」(1964年7月)

1964(昭和39)年の東京五輪は単なる国際スポーツ大会にとどまらず、戦後の日本を大きく変えた一大イベントであった。

国際放送でも、開催前から東京五輪を海外にPRするため「オリンピックだより」「オリンピックジョッキー」という番組を放送。各競技場や選手村などの準備状況や活躍が期待される選手の紹介、外国からの観客を迎える宿泊施設の対応、入場券の買い方など、多種多様な情報を提供した。

NHKは1963年、世界各国の聴取者を対象に番組意向調査を実施した。多くの聴取者の期待に応えるため、大会期間中、放送時間を拡大し、地域向け放送(リージョナルサービス)では21の言語で1日約13時間、一般向け放送(ジェネラルサービス)では日本語と英語で1日20時間にわたり、開会式・閉会式や競技の実況、結果や記録の速報、選手へのインタビュー、関連ニュースなどを放送した。

五輪に備え、送信体制も強化

八俣送信所200kW送信設備完成式(1964年7月)

八俣送信所200kW送信設備完成式(1964年7月)

東京五輪開会式は世界で初めてテレビ中継された

東京五輪開会式は世界で初めてテレビ中継された

五輪に備え、送信出力の増強・増波も行われた。従来の100kWに加え200kWの出力による送信が行われたほか、100kW送信機の増設による増波も行われた。近隣のアジア地域や大洋州(豪州・ニュージーランド)はもとより、遠く北米や中南米からも「極めて良好」との受信報告が届いた。
ラジオ日本の五輪関連ニュース・番組に対し、海外から多くの反響があった。インドネシアは東京五輪に代表団を参加させなかったことに加え、大会期間中報道もなく、インドネシアの人たちにとっては、ラジオ日本が東京五輪の貴重な情報源となった。東京五輪を機にラジオ日本を聞くようになったというインドネシアのリスナーも多い。

テレビ中継への試み 日米衛星中継から五輪配信へ

五輪に先立つ1963年、米国のケネディ大統領が暗殺された。そのニュースは、日米間の初の衛星中継で日本国内に伝えられた。この経験を活かし、当時、テレビ中継の設備や技術はまだ不十分だったが、世界で初めて五輪をテレビで配信した。

東京五輪を初めて取材して
スワヒリ語放送 元アナウンサー、アブダッラ・ムブワナさん

スワヒリ語放送 元アナウンサー、アブダッラ・ムブワナさん

ラジオ日本のスワヒリ語放送は、1964年、東京五輪と同じ年に始まりました。私は開幕前に来日したのですが、日本中がオリンピック一色でした。私たちはその様子をニュースや番組で伝えました。開幕後、競技場で観戦する機会に恵まれました。東京中の人がここにいるのではないかと思うくらい大勢の観客で埋め尽くされていました。今は長距離走で有名なケニアですが、東京大会では母国の選手が短距離走に出場しました。競技場で録音機を回して取材し、すぐにスタジオに戻って放送したのを覚えています。

ラジオ日本には、私たちが東京五輪を取材した時のように、これからもスポーツ報道に力を入れてほしいと思います。