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“道具が使えない” 知られざる「失行症」

冬場に増える「脳出血」など、突然襲ってくる「脳卒中」。一命をとりとめても後遺症が残ることは珍しくありません。よく知られているのは、まひや失語症ですが、一見するとわかりにくい別の後遺症に悩む人もいます。それが「失行症」(しっこうしょう)です。(奈良放送局記者 小林雄太)

長年続けた何気ない動作が…

失行症とは、外見上は特に変わりなく、体は普通に動くものの、道具の正しい使い方がわからなくなる症状です。

たとえば、ライターでたばこに火をつける、歯ブラシで歯を磨くといった、長年、行ってきた何気ない動作ができなくなります。まさに「行動を失ってしまう」のです。

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大阪市に住む横関南海男(なみお)さん(71)も失行症に苦しんできた1人です。
ことし1月、自宅で脳卒中になり、救急車で病院に運ばれました。退院後、まひはなく、記憶にも問題はありませんでしたが、行動に異変が起きました。

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普通なら使えるはずの道具が使えなくなったのです。
病院の検査で、目の前に鉛筆、鍵、電球などの道具が並べられ、検査の担当者から「これを使ってみてください」と鉛筆削りを渡されます。
ところが、横関さんがまず手に取ったのは鍵でした。鉛筆削りの穴に鍵を差し込もうとしますが、入りません。しばらく考えたあと、次に手に取ったのは電球でした。

担当者が横関さんに鉛筆を渡したところ、ようやく正しく使うことができました。

脈絡ない行動に家族は

こうした失行症の症状は、日常生活でも頻繁にあらわれました。

ラーメンをおはしでなく、つまようじで食べようとする。
ウイスキーをコップでなく、灰皿に注ごうとする。
脳卒中になる前は、工務店を営んでいましたが、仕事もできなくなり、店はたたまざるをえませんでした。

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取材で自宅を訪れたときにもたばこ2本を両手に持ち、「どうやって吸うとったんやろ?」。たばこの吸い方が、わからなくなりました。

こうした横関さんの変化に、家族は大きく戸惑いました。妻の公子さんは、脈絡のない夫の行動に直面し、いらだつ気持ちをノートにつづっていました。

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「ものすごくしんどくて疲れすぎた」
「もうとても一緒にはやっていけない雰囲気。苦しいです」

公子さんは、「最初は理解できない行動をわざとしているのかと思っていました。びっくりして大きな声を出したこともあり、間違いを指摘すると怒り出して、しゃべらないことも何日も続くし、ストレスがたまってつらかった」と話しています。

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わかり始めたメカニズム

失行症に悩む人はどれぐらいいるのか。詳しい数はわかっていませんが、全国におよそ数万人いるとみられています。

患者にはこれまで、できない行動を繰り返してもらうなどのリハビリが行われてきましたが、すべての人が回復するわけではありません。

背景には失行症のメカニズムがよく分からず、効果的なリハビリ方法が確立されていないことがありました。そこで研究を進めてきたのが奈良県にある畿央大学の森岡周教授などの研究グループです。
ことし、失行症が自分の行動を予測する脳の機能と大きく関わっていることを突き止めました。

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たとえば鉛筆削りを使う場合、脳の中では、事前に鉛筆を削っている場面を予測しています。そして実際に鉛筆を削りながら、予測した動きと一致しているかを照合し、正しい行動かどうかを判断しています。

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ところが、脳卒中によって、脳の左側にある特定の部分が損傷すると、事前に行動を予測することができなくなるといいます。このため、鉛筆の代わりに鍵を選んでも、正しいかどうかを照合できず、間違いに気付けなくなるのです。これが失行症の症状としてあらわれると考えられています。

回復への道は?

少しずつわかってきた失行症のメカニズム。研究グループでは、VRによる疑似体験によって、失行症の患者が行動を予測する機能を取り戻せるようなリハビリの開発に乗り出しています。

ほかにも、脳の特定の部分の損傷が失行症に関わっていることがわかったことを受け、その領域を電気や磁気で刺激し、活性化させるような治療法も考えています。

森岡教授は、「これまでのリハビリ方法では、がんばっても回復しない『負け戦』の人も多かったが、メカニズムがはっきりしてきたことで、回復する可能性が開けていくのではないか。失行症の患者が少しでも救われるよう、研究を進めていきたい」と話しています。

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脳神経外科の専門病院で患者のリハビリを担当している作業療法士の河野正志さんも、今回の研究成果について「より多くの患者に手をさしのべることができ、非常に意義がある。頭の中で運動の結果を予測するようなリハビリも新たなアプローチとしてあるのではないか」と期待を語っています。

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問われる社会のサポート

失行症は、一見すると症状がわかりづらく、広く知られていないのが現状です。取材でも、患者や家族のもどかしさが強く印象に残りました。

横関さんの妻の公子さんは、「周りの人にちょっと言ってもわからない、わかってくれないところがあります。病気のことを相談できるところがあれば、家族の負担はとても軽くなると思います」と話しています。

また、「夫の場合は家族で支えることができたけれど、一人暮らしの人がこのような症状になってしまったら、クーラーなどの家電も使えない。生活ができないと思います」とも話していました。

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社会の中で失行症への理解を広げ、患者や家族をどうサポートしていくのか、直面する課題です。

横関さんは、半年間にわたるリハビリで、道具を少しずつ使えるようになりました。取材に訪れた日の昼食は、つまようじで食べようとしたこともあったラーメン。
「自分でとって」
息子からそう促され箸立てから、おはしを選び取りました。

小林 雄太
奈良放送局記者
小林 雄太