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“マッチョ”な弥生人 その正体は!?

弥生時代、女王・卑弥呼が治めた「邪馬台国」があったという説もある九州北部。ことし8月、長崎県佐世保市の離島、高島で古代史の研究者を驚かせるものが発掘されました。それは、下半身に比べ上半身が異常に太く、驚くほど“マッチョ”な体型をしていた弥生時代の人骨です。“マッチョ”な理由を探ってみると、古代人たちの知られざる営みが見えてきました。(福岡放送局ディレクター 佐々木健)

上半身だけ特別に発達した弥生人!

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今回人の骨が見つかったのは、長崎県佐世保市の離島、高島にある弥生時代の宮ノ本遺跡です。発掘に立ち会った人類学者の海部陽介さんは、初めて見たとき、驚きを隠せなかったといいます。

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人類学者 海部陽介さん

「これは太い。上半身が頑丈でマッチョな感じがありますね」

一般的な弥生人の骨と比べ、異常に太く、しかも、上腕骨や鎖骨など上半身の骨が特別に発達した不思議な体型です。

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九州西北部の島からも

海部さんは、一般的な弥生人との違いを詳しく調べました。

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一般的な弥生人の男性の平均身長が推定162.6センチで、ヒョロッとしていたのに対し、高島の弥生人は、それより4センチほど低いものの、筋骨隆々で、胸や腕、首などが異常に発達していたことがわかりました。

しかもその体重は、推定でなんと77.2キロ!身長170センチ体重59キロの私よりも、実に18キロ重いのです。

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詳しく調べると、こうしたマッチョ体型の弥生人の人骨は、高島以外にも、長崎県の平戸や五島、そして熊本県の天草など、九州西北部の複数の島から見つかっていたことがわかりました。

CTスキャンで分析すると

どうしてそんなマッチョ体型になったのか。海部さんは、筑波大学でスポーツ科学を研究する足立和隆准教授に骨の詳細な分析を依頼しました。

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筑波大学 足立和隆准教授

足立准教授が活用したのが、CTスキャン。骨の断面図を分析することで、どの筋肉をどう使っていたかを推測します。その結果が次の画像です。

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左側が、現代人の男性、右側が高島のマッチョな弥生人の上腕骨の断面図です。現代人の上腕骨の断面が丸っぽいのに対し、高島の弥生人の骨には、三角にとがったところがあるのが分かります。足立准教授は、この突起が、腕や肩を動かす三角筋によって、上腕骨が強く引っ張られていた証拠だといいます。強い負荷がかかると三角筋が太くなり、それに耐えられるように骨と接続している部分も太く変形します。

こうした突起が周囲3方向にできていたことから、腕をあらゆる方向に回したり引っ張ったりする動作を激しく繰り返していたのではないか。

足立准教授は、彼らが“舟のこぎ手”だったと推測しています。

マッチョな弥生人が運んでいたのは?

「この集団は、“貝の交易”をやっていた、つまり貝の運び屋だったんじゃないか」(海部さん)

“貝の交易”とは何かを知るために、福岡県飯塚市にある飯塚市歴史資料館を訪ねました。ここには、弥生時代の遺跡から発掘されたものが展示されています。

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銅鏡や祭器などの宝物が数多く並ぶ中、ひときわ目立っていたのが白い腕輪です。「貝輪」と呼ばれる装飾品で、当時の権力者が身につけていたとされています。この貝輪、弥生文化が花開いた佐賀や福岡など九州北部の各地で出土しています。

使われているのは「ゴホウラ」という巻き貝。九州近海ではなく、沖縄や奄美大島など南の海だけに生息しています。

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1000km以上の距離を、誰がどうやって運んできたのか、これまで大きな謎でした。

舟をこいで長距離移動!?

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これは、埴輪などに描かれた絵を参考に作られた弥生時代の舟のイメージです。帆がなく、人のこぐ力だけで動かしていたとみられています。

高島の弥生人の独特なマッチョ体型は、舟をこいで長距離を移動していた証しではないかというのです。

「2000年前に、沖縄から舟をこいで九州まで貝を運んでいた集団がいたわけですね。今回の発見で、そうした運び屋たちの顔が少しずつ見えてきました」(海部さん)

浮かび上がる“貝の交易ルート”

熊本大学で長年、弥生時代の貝の交易について研究してきた木下尚子教授によると、沖縄では、九州との交易のためとみられるゴホウラ貝の「集積所」の跡が見つかっています。

また、鹿児島県南さつま市の遺跡からは、穴を開ける途中の貝が複数見つかっており、貝輪を作る「加工所」があったとみられます。

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こうしたことを踏まえて、木下教授は、赤い線で示した貝の交易ルートが存在したのではないか、九州北部の権力者に依頼されて島の人たちが海を渡り、こうした交易拠点をつないでいたのではないかと推測しています。

貝輪は権威の象徴

貝輪は、当時の社会を成り立たせるために不可欠だったと木下教授は言います。

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稲作が日本に伝来した弥生時代、稲作は集落の多くの人々の協力なしには成り立ちませんでした。遠い南の海から運ばれてくる貝輪は、庶民には手が届かない極めて貴重なものです。木下教授は、権力者たちが農耕社会を運営するための「権威の象徴」として貝輪を利用していたと考えています。

どうして島の人が運び屋を

では、高島をはじめ島の人たちが運び屋を務めたのはなぜか。

木下教授は、稲作中心の生活に慣れてしまった人たちは舟を操る技術をもたなかったため、漁などで日常的に舟を使っていた島の人たちに白羽の矢を立てたのではないかと見ています。

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熊本大学 木下尚子教授

「九州北部の弥生人は、貝輪がどうしてもほしいので、高島の人たちに米などの農作物を渡し、一種の経済的な契約をして、沖縄まで貝を取りに行かせていたのではないか」

最新科学が明らかにする古代ロマン

文字がなかったため、いまだにわからないことが多い弥生時代ですが、今回、骨を通して、貝の交易をめぐる新たな事実が浮かび上がりつつあります。

これまで、人類学や考古学の分野でも、骨を一つ一つCTスキャンなどで分析する研究はあまりされてこなかったと言います。

今回使われたスポーツ科学やDNA解析といった最新科学で、今まで分からなかった歴史が明らかになっていくことを期待したいと思います。

佐々木 健
福岡放送局ディレクター
佐々木 健