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レジェンドが語った「まんが道」

「怪物くん」や「笑ゥせぇるすまん」など、多彩なキャラクターで多くの人を魅了してきた藤子不二雄Ⓐさん(84)。その集大成とも言える展覧会が、東京・六本木で開かれている。これに合わせて、1時間を超えるインタビューが実現。トキワ荘での思い出から、今も尽きない創作への思いまで、漫画界のレジェンドが語ったこととは。(科学文化部記者 岩田宗太郎)

手塚治虫の机を使って

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藤子不二雄Ⓐさん(左)と藤本弘(藤子・F・不二雄)さん

藤子不二雄Ⓐさんは、漫画の神様・手塚治虫や石ノ森章太郎、赤塚不二夫などが過ごした「トキワ荘」出身の漫画家で、小学校の同級生だった藤本弘(藤子・F・不二雄)さんと長年にわたってコンビで活躍した。

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インタビューのはじめに、トキワ荘での思い出について聞いた。

藤本氏と富山から上京して最初に僕らは両国に下宿したんですけれど、手塚先生のところに行ったら、先生が『トキワ荘を出るから僕のあとに入らないか』と言われて。本当にうれしくて入りたいと思ったんですけれど、敷金が3万円だと言われた。当時の僕らは3万円など持っていないので断ったんですよ。そしたら先生が『敷金のことを心配しているのであれば、そのまま置いていくから入らないか』と言われて、その場ですぐ『お願いします』と頭下げて入ったんですよ。先生が3万円を貸してくれなかったら、トキワ荘に入れなかった。

トキワ荘の部屋には、先生がそのまま机を置いていかれて。でかい机ですから、僕と藤本氏が2人で並んで座っていた。そうすると先生のオーラが伝わってくるような気がして、非常にのれて漫画を描いた記憶がありますね。

トキワ荘では、みんなでワイワイ集まって騒ぐのがすごく楽しいんですよ。暇でみんな仕事はなくて先のことを考えると暗たんたるもので、これから自分がどうなるのか分からないという気持ちでしたが、同じような漫画青年と一緒に過ごしていると、すごく気分が楽になった。

「このままだとダメだと思った」

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30代になり、藤本さんと共同で「オバケのQ太郎」などのヒットを飛ばすなか、個別に作品も執筆。「忍者ハットリくん」や「怪物くん」などの代表作もこの時期に描いた作品だ。当時の話を聞くと、返ってきたのは「児童向けの漫画を描くのがつらくなっていた」という意外な言葉だった。さまざまな大人たちとつきあうなかで、純真な気持ちを持ち続けられなくなっていたと、当時の心境を打ち明けた。

藤本氏は非常に純粋な人ですから、例えば『ドラえもん』を30、40、50歳になろうと描けた。僕は2年間、新聞記者をやっていて、その時にインタビューをしたり、いろんな所を訪問したりしているうちに、いろんな人間に会うことが多くなった。そこで、人間というのはいろんな人がいるなと思うわけですよ。けれど、児童漫画だとそういうものもあまり描けない。本当に心を込めて描く気がだんだん薄くなってきて、このままだと児童漫画としてはダメだなと思っていた。

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そこで描き始めたのが、ブラックユーモアというジャンル。青年向け漫画雑誌の創刊とともに、大人向けの作品を描いて大成功。その記念すべき第1作目が「喪黒福造」が登場する「黒ィせぇるすまん」、のちの「笑ゥせぇるすまん」だ。

時代が変わるにつれてだんだん読者が少年から青年になり、あるいは中年になっていく過程で漫画もどんどん進化して、青年漫画ができてきた。それで僕は何とかきょうまでやれてきたんです。最初描いたのが「黒ィせぇるすまん」と言う漫画で、この線ならやれるなと思った。それからブラックユーモアの方面でいろいろ描いていたんですけどね。

人間の多様性を表現したい

藤子Ⓐさんの作品の特徴は、キャラクターやジャンルが多岐にわたっていること。これまでに350もの作品を生み出し、掲載した媒体も少年誌や青年誌、女性誌などさまざまだ。

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漫画はだいたい1つの代表作があると、それを一生描くのが王道なんですけれど、僕は意外と飽きっぽいので長い連載がない。1つの漫画である程度評価を受けて、それを続けてまた描くと、同じようなものを描いているような感じがして、飽きちゃうとすぐやめるんです。それでまた新しいものを描きたくなる。当時の連載は1本とか2本とかじゃなくて、いちばんすごい時は、週刊誌2本に月刊誌5、6本やっていた時があったので、そういうのを描き分けるのが非常におもしろいんですよね。主人公が似たものを描いてると飽きちゃうけれど、全く違うキャラですから。僕は主人公の気持ちに入って漫画を描くタイプなんで、描くたびにそれぞれの人生体験ができておもしろくてね。

藤子Ⓐさんの作品は、キャラクターもジャンルもさまざまだが、一貫しているのは「人間の多様性を表現したい」という思いだ。

結局人間のおもしろさですよね。漫画というのはどんなにきれいな風景を描いても漫画にはならないんですよ。人間が出てきていろんなことをやるからおもしろいわけで、ちょっとへんちくりんな、普通いないような変な男が出たり、とんでもないことをやらかすというような漫画が好きなんで。そういう人間の多種多様性を何か漫画で生かしたいと思うんですよね。

そのことを象徴するような作品がある。昭和46年に雑誌に掲載された「明日は日曜日そしてまた明後日も……」。一流商社に就職した主人公が、ふとしたことをきっかけに会社に行きそびれ、そのまま引きこもりになってしまうというストーリーで、「引きこもり」という言葉が一般化する前に時代を先取りした作品だ。

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また、昭和47年から連載が始まった「魔太郎がくる!!」は、いじめを受けている少年が主人公で、真夜中、恐るべき魔力でいじめっ子に仕返しをするという物語。自身の経験をもとにしたこの作品は、連載当初から大きな反響があった。

漫画の主人公というのは大体ヒーローで強い人間なんですよ。ところが僕は弱い人間もヒーローにできるんじゃないかと思って。やっぱり人間はそれぞれの個性があるわけで、同じ人が2人としていないわけですから、その中で自分の個性をいかに発揮するかということがすごく大事になってくると思います。

年を取った今だからこそ

藤子Ⓐさんはほかにも、ゴルフ漫画の草分け「プロゴルファー猿」や、漫画界初のコミックエッセー「パーマンの日々」など、新しいジャンルをいくつも確立させてきた。体調を崩して、ここ3年ほど新たな作品を描いていないが、インタビューの最後に今どんな作品が描きたいか尋ねると、「高齢者向けの漫画を描きたい」と教えてくれた。高齢者も漫画を読む時代になり、自分も年を取った今だからこそ描ける漫画があると考えているという。

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『終活』というと終わりですけれど、『老活』というのは年を取っても自分を再生するという、生かすと言う意味で、そういう言葉のほうがいいんじゃないかなと思うんですよね。やっぱり人間は元気が大事ですから。僕なんか、今84歳でほとんど死が目前なんですけれど、毎日が不思議なことにおもしろくてしょうがないんですよ。僕はこの年になったんでね、できればいわゆる老年になった人のために元気を与えるような漫画を描きたいと思っていて。タイトルもキャラクターもほとんど決まっています。今の若者の気持ちは全く分かりませんが、ある程度のシルバー世代なら僕も共感できる部分はあると思っています。

「もう漫画は描けない」と話す藤子不二雄Ⓐさんだが、サングラス越しの目には意欲がみなぎっているように感じた。「タイトルもキャラクターもほとんど決まっている」という構想は、実現すればどんな作品になるのか。新境地を切り開くに違いないレジェンドの新作を、一ファンとしても読んでみたい。

岩田 宗太郎
科学文化部
岩田 宗太郎