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ヒトとブタ あいまいな生き物!?をめぐるルール見直し

『ヒトの脳を持ったブタはヒトなのかブタなのか』 そのような問いを投げかける生き物が今後、誕生するかもしれません。国の生命倫理専門調査会は、これまでの方針を転換し、ヒトの脳神経細胞をもつブタが生み出される研究が行われる可能性がでてきました。背景には何があるのでしょうか。そして、皆さんはどのように思いますか。(科学文化部記者 水野雄太)

指針の改正を承認

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動物の受精卵にヒトの細胞を入れて動物の子宮に戻すと、ヒトの細胞を含んだ動物を誕生させることができるとされています。

アメリカで行われた基礎研究では、マウスの受精卵にヒトの細胞を入れてマウスの子宮に戻しておよそ10日間成長させたところ、ヒトの細胞が神経の一部に含まれたマウスの胎児ができています。これを生ませることは、日本では国の研究指針で禁止されてきました。

しかし、方針が転換され、ヒトの細胞を入れた受精卵を動物の子宮に戻して生み出すことを可能にする改正が行われることになったのです。研究者が目指しているのは、ブタの体内で臓器を作ること。その過程ではヒトの脳神経細胞を含んだ脳を持つブタが誕生する可能性があります。

ヒトと動物の境界があいまいな生物

ヒトの脳神経細胞を含んだ脳を持つブタは、ヒトなのか? それとも、ブタなのか?

国で議論されたのは、「ヒトと動物の境界があいまいな生物」とは何かを示し、それが生まれることを規制すれば指針の改正はできるというものでした。

議論のなかで「ヒトと動物の境界があいまいな生物」とは次のようなものとされました。

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1つ目のヒトと動物の外見が混じった生物について、国の専門調査会はそうした生物が生まれる可能性は極めて低いとしています。これまで行われたマウスやラットなどの実験からも、例えばブタで実験を行った場合でもヒトの細胞は混じっていても、顔や手足などはブタの形状になるとしています。

2つ目にあげた、「ヒトの脳神経細胞の影響で高い脳の機能を持った生物」はどうでしょうか。これも、これまでの実験でブタの頭蓋骨は脳の容量が小さく、体の感覚器官や運動機能なども違うため、脳にヒトの脳神経細胞が含まれていても高い脳の機能を持つ可能性は極めて低いとしています。

問題を指摘する専門家も

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今回の改正について、生命倫理が専門の山梨大学の香川知晶名誉教授は倫理的な問題があると指摘しています。それは、高い脳の機能を持たない生物であれば、研究に使ったり、臓器を作らせたりしてもよいことになっている点です。

「病気やけがで寝たきりになったり、意思表示がうまくできなくなったりしても今は人間としての権利や尊厳を失うことは決してない。ヒトの細胞が混じった生物が生まれると、人間とは何なのかという定義があいまいになってしまう。そうすると、今は当然認められる人間の権利が将来的には脅かされるような事態が起きないとは限らない」と指摘します。

難しい脳機能の評価

さらに「高い脳の機能」の評価についても疑問が示されています。ブタの脳に「高い機能」があるか評価する基準はなく、判断するのは難しいと指摘する専門家もいます。

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北海道大学の石井哲也教授は「ことばを話すということだけが高い知能を示す要素ではないはず。ヒトの脳神経細胞の影響で通常の動物にはない不安を感じたり、精神的に不安定になったりする可能性もあると思う。それは倫理的に問題ではないのか」と批判しています。

臓器移植を待つ患者のため

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この研究を世界でけん引しているのは東京大学のグループとアメリカの研究所のグループの2つです。日本でこうした研究が進められるのには臓器移植を待っている人が数多くいるという背景があります。

日本臓器移植ネットワークによりますと、ことし9月末時点で国内で臓器移植を希望している人は1万3400人以上いるのに対して実際に移植を受けられた人はことしこれまでに269人でした。

例えば希望者の多い腎臓の移植については、希望者は移植を受けるまで平均でおよそ15年待機しています。必要な臓器を動物の体の中で作り出せるようになれば、こうした臓器移植の課題を解決できると考えられているのです。

世界の規制の流れ

世界の中ではこうした研究はどのように規制されているのでしょうか。ヨーロッパのフランスとドイツでは、明文化した規制はありませんが、こうした研究の需要もなく議論されたこともないということです。

アメリカはこうした研究に国の助成はしないとして、一定の歯止めをかけています。

イギリスは研究計画について審査があり、そのうえで国が認める手続きがあります。

「不都合」が起きないための手続き

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では日本ではどのような規制が行われることになるのか。国は研究を行うための具体的な手続きを定めています。主な手続きとして、研究グループは、研究計画を国に提出して審査を受け、大臣の確認を受けなければなりません。イギリスと同じような要件を求めていることになります。

さらに、発生の途中段階で、「ヒトと動物の境界があいまいな生物」が生み出されていないか観察することも求めています。研究の内容に問題があると判断された場合には、国は研究者に計画の変更や研究の中止を命じることができます。国はこうした手続きがあるため、問題が起きることはないと説明しています。

懸念は払拭できるのか

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これで懸念は解消されるのでしょうか。この懸念が解消されるかは、改正された指針がどのように運用されていくかということにかかっています。

現在、ブタの体内で特定の臓器だけをヒトの細胞で作り出す技術はできていません。そのような技術の開発は始まったばかりです。また、胎児が体内で生きている段階で脳が「高い機能を持っていない」ことを確認する方法は現時点ではありません。

具体的にどのような操作をすれば「ヒトと動物との境界があいまいな生物」が生まれることを防ぐことができるのか、技術的に検討すべきことはまだ多くあります。

山梨大学の香川名誉教授は「私たちは、ヒトであるからこそ、実験材料にされることはなく、臓器を勝手に取られることもありません。そこが揺らげば、私たちが当たり前に享受している権利もあやふやになる。ヒトなのか動物なのか分からない動物が生まれてしまったとき、その扱いを誤れば、ヒトの尊厳を脅かし、ヒトの概念そのものをあやふやにしかねない」と懸念を示しています。

国は審査を厳格に行うなどの運用でこうした懸念は起きないようにしたいとしています。国は、早ければことし中に指針を改正し、こうした研究は来年の春以降にも始まるとみられています。人間の尊厳を損なうような事態を絶対に引き起こさないために、国はさらに基礎的なデータを積み上げて、慎重に計画の審査を行うことが求められています。

水野 雄太
科学文化部記者
水野 雄太