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骨肉腫の元Jリーガー 約束のピッチへ

9月、Jリーグの大宮アルディージャと浦和レッズのOB戦が行われました。そこに、特別な思いでピッチに立つ選手がいました。塚本泰史さん、33歳。2010年に骨の「がん」、骨肉腫と診断され、ピッチを去りました。今回、8年ぶりにピッチに戻ってきた塚本さんを支えたのは、ある少女と交わした約束でした。(映像取材部 谷田希)

J2 大宮のアンバサダー 塚本泰史さん

J2 大宮アルディージャのクラブアンバサダー(広報大使)、塚本泰史さん(33)。講演活動をしたり、地域の子どもたちにサッカーを教えたりするなどクラブのことを広く地域に知ってもらう活動をしています。

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塚本さんは、2008年に駒沢大学から大宮アルディージャに入団。主に右サイドのディフェンダーとして、2年目からレギュラーに定着、2年間で27試合に出場しました。

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特に右足からの精度の高いキックを持ち味に、ディフェンダーながら2得点を挙げるなど活躍し、将来が大きく期待されていました。

右ひざを襲った痛み

さらなる飛躍が期待されていた2010年の1月のことでした。

右ひざにズキズキとした痛みを感じた塚本さんは、チームドクターに相談します。精密検査の結果、骨の「がん」、骨肉腫という診断を受けます。専門の医師から「骨にある悪性の腫瘍を取り除き、人工関節を入れる必要がある。サッカーを続けるのは難しい」と言われた塚本さん。涙が止まらなかったといいます。

その後、右大たい骨の付け根付近にあった悪性の腫瘍を骨ごと取り除き、その代わりに重さ2kgの人工関節を埋め込む大手術を受けました。

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「骨肉腫になって、そこから再びサッカー選手として復帰するというのは前例がない。それでも、もう一度選手としてピッチに戻りたい」

しかし、そんな塚本さんに厳しい現実が立ちはだかります。骨と一緒に周囲の筋肉も取り除いたため人工関節が入った重い右足を全く動かすことができなかったのです。

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病院で出会った少女と交わした約束

そんな中、塚本さんはある少女と出会います。阿部香奈さん。当時15歳、中学3年生でした。

2010年当時、香奈さんは塚本さんと同じ骨肉腫で、同じ病院に入院していたのです。初めてリハビリルームで会ったとき、すでに2度の手術をして右足を切断した状態でした。

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塚本さんは、それでも常に明るく前向きだった香奈さんと、何度も何度も将来の夢を語り合います。

退院したら車いすバスケットボールの選手になりたいという夢を語った香奈さん。一方、塚本さんは「僕は、もう一度ピッチに立ちたい」と自らの夢を語り、お互い、退院したら夢をかなえようと約束を交わしたのです。塚本さんの気持ちはどんどん前向きになっていきました。

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しかし、香奈さんの夢がかなうことはありませんでした。

体調が徐々に悪化し、翌年2011年の1月、香奈さんは、肺に転移したがんの影響で亡くなったのです。16歳の若さでした。

塚本さんは、香奈さんが亡くなる際、病室で立ち会いました。そのとき自分自身に、そして香奈さんに誓います。

「自分は彼女の分まで生きて、頑張って、絶対にピッチに戻る」

いつか 必ずピッチに立つ

塚本さんは厳しいリハビリに励みました。

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さらに、目標達成までの過程として、様々なことにチャレンジしていきます。2012年には東京マラソン完走。2013年には富士山登頂。

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そして2016年には、埼玉県から佐賀県までの1200kmを自転車で走破するなど誰もが達成困難だと思うことを、毎年成し遂げてきました。

去年の3月からは、体の筋肉をよりうまく使えるようにするため、アスリート専門のジムに通い始めました。その結果、立ち幅跳びの数値が185cmから230cmになるなど、運動能力は明らかに回復していきました。

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同時に、週に1回、社会人のサッカーチームの練習にも参加し、かつての運動量を取り戻すための取り組みを続けました。

現在では、人工関節を入れた右足でのロングキックは難しいものの、左足のキック、全身の切り返しなどは、ほぼかつての状態に戻ってきました。

そして、塚本さんが掲げたことし最大の目標は9月に行われるアルディージャ対レッズのOB戦に出場することでした。

広いフィールドで、今、自分がどこまでできるのか。そして何より、香奈さんと交わした約束を果たしたい。

約束のピッチへ…

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9月24日にアルディージャの地元で行われたOB戦。

塚本さんは、久しぶりにアルディージャのユニフォームに袖を通します。出番は後半2分から。8年前につけていた背番号“2”に合わせたものでした。

8年ぶりに立ったピッチ。スタジアムは大歓声に包まれます。

塚本さんは、サイドバックとして、人工関節を入れたとは思えない動きを見せます。後半9分には、右足でクロスをあげ、場内をわかせます。

最大の見せ場は後半23分。塚本さんにフリーキックの出番が回ってきます。得点の大きなチャンスです。サポーターは固唾をのんで見守ります。

利き足の右ではなく、左足で蹴ったボールは、惜しくもゴールポストの上を越えていきました。

およそ30分間、塚本さんはピッチを駆け回りました。

スタンドには香奈さんのご両親も観戦に訪れていました。

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亡き香奈さんと交わした、「ピッチに戻る」という約束を果たすことができたのです。

ここが最終地点ではない

試合後、塚本さんは、大勢のサポーターにあいさつをしました。

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「本当にあきらめないで、走り続けてきて良かったなと思います。きょう、このピッチに立ちましたが、僕はここが最終地点とは思っていません。もっとトレーニングを積んで、もっといいプレーができるように頑張っていきたいと思います」

場内には、いつまでも塚本さんの応援歌が響いていました。

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再会

試合の後、スタジアムの外では、香奈さんのご両親が塚本さんを待っていました。5年ぶりの再会でした。

「天国にいる香奈さんも見ていてくれたと思う。彼女にありがとうという言葉を贈りたい」(塚本さん)

「『香奈ちゃんの分まで、僕ががんばる』と言ってくれて、そのとおりに頑張ってくれているので、感謝の気持ちしかないです」(香奈さんのお母さん)

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いつかはJリーグのピッチに

このOB戦は、塚本さんが大きな目標としていたJリーグの公式試合ではありません。映画のような完全復活劇でもありません。OB戦への出場。これが、塚本さんの“現在地“なのかもしれません。

しかし、思いどおりに動かない足で、8年間、リハビリやトレーニングを続け、確かにピッチに立ったことは、塚本さんの「香奈さんと交わした約束を果たす強い気持ち、そしてピッチへの強い執念」を何よりも具体化した出来事だったように思います。

塚本さんにとって、ピッチの上とは「どんな状況でも頑張って生きていくことを証明する場所」なのだと強く感じています。

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さらに、塚本さんが長いリハビリの末に、実際にプレーしたことは、間違いなく、同じ病気に苦しむ子どもたちを勇気づけたと、私は確信しています。

塚本さんは、これからもトレーニングを続け、いつかはJリーグのピッチに戻りたいと話しています。いつその目標が実現するかはわかりません。しかし、いつかその日が来たら、私は、その瞬間を必ず取材したいと考えています。

谷田 希
映像取材部カメラマン
谷田 希