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忘れないで 僕が恋した大女優

皆さんには、自分のすべてをささげてもいいと思えるほどのアイドルっていますか?

「その人」は小学生の頃、50歳以上も年の離れたある大女優に恋をしました。寝ても覚めてもその女優のことばかり考えた学生時代。大人になり、呉服店の仕事を始めたのも、着物道楽だった女優に影響を受けたからでした。そして、大女優は95歳で亡くなります。

40代になったそのファンは、世間から大女優の記憶が忘れ去られていくのが耐えられず、ある行動に出ました。ファンならではの熱い思いがそこにはありました。(高知放送局記者 野町かずみ)

大女優によって変えられた人生

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その女優の名は山田五十鈴(平成24年没・享年95)。日本映画の巨匠・溝口健二監督「祇園の姉妹」や黒澤明監督の「蜘蛛巣城」などに出演し、戦前から銀幕の大スターでした。70年以上にわたり活躍し、女優として初の文化勲章も受章しています。

高知市で呉服店を営む美馬勇作さん(47)は、小学生の頃にテレビで見た「必殺」シリーズの女元締の役を見て、一目でその魅力にとりつかれました。

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美馬勇作さん

当時、山田さんは、すでに活動の中心を映画から舞台に移し、演劇界でも日本を代表する女優として揺るぎない地位を確立していました。

美馬さんが、山田さんの舞台を初めて見たのは高校1年生のとき。69歳だった大女優の楽屋に押しかけ、一緒に撮ってもらった写真は一生の宝物です。

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開演直前の山田五十鈴さんと15歳の美馬さん

演劇にのめりこみすぎて、勉強が手につかず留年した高校時代。20代で始めた呉服店の仕事も、着物道楽で知られた山田さんに影響を受けたからです。

その後、呉服店の経営は軌道に乗り、今や著名な歌舞伎役者から茶道、日舞の家元までを顧客に持つまでになりました。

そんな中、今から6年前、大女優が95歳で亡くなります。美馬さん、41歳の夏のことでした。

自分の人生を運命づけるほど影響を受けた大女優の死。追悼の写真集すら出版されず、美馬さんは、このまま世間から大女優の記憶が忘れ去られていくのが耐えられませんでした。

「日本の演劇史に残る大女優でありながら、写真集がないのはおかしいと思いました。今の私があるのは、山田さんのおかげなので何か恩返ししたい。山田さんの偉業を後世に伝えるものを作らなければ、死んでも死にきれないという心境でした」

“自費出版のレベル超えた”写真集

山田さん7回忌となることし、美馬さんは、5年の歳月をかけて、念願だった山田五十鈴の豪華写真集を自費出版。戦前の初舞台から最晩年の舞台まで60年以上に及ぶ舞台人生を網羅した400ページに及ぶ本格的な写真集です。

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掲載した写真は700点。数多くの女優が憧れ、化粧や着こなしをまねしたという山田さんの美しい舞台姿。

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舞台「千姫曼荼羅」昭和51年 写真集より

役のために化粧なしで演じたという写真もあります。

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舞台「香華」昭和50年 写真集より

長谷川一夫や森繁久彌、森光子など名優との共演を捉えた貴重なショットもあります。

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舞台「濹東綺譚」昭和39年 左が森光子さん 写真集より

特に私(記者)が驚いたのは、「五十鈴」にちなんだ「50」人へのインタビュー。共演者やゆかりの深い人に美馬さんが話を聞いています。

名前をざっと挙げてみるだけでも、中村吉右衛門に浜木綿子、草笛光子、がんで闘病中だった坂東三津五郎(故人)。そして、山田さんが長く住まいとしていた「帝国ホテル」の従業員に至るまで、山田五十鈴を知る人があふれる思いを語っています。

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自費出版とは思えない内容の充実ぶりに、高知に暮らしながら、どれだけの時間を費やして取材したのかと感心せずにはいられませんでした。

草笛光子さんも写真集を一読して「すごいわ、執念ね。こんなことをしてくれるファンは私にはいない。山田さんは幸せね」と感嘆しました。

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草笛光子さん

SNS上でも「自費出版のレベルをはるかに超える内容」と絶賛され、その評判は徐々に口コミで広がっていきました。

膨大な資料の置き場に困り…

5年に及んだ写真集の制作。「好きな事だから全然苦にはならなかった」と言う美馬さんですが、最後の1年は写真集の制作に追われて店に出られず、経営する呉服店は「開店休業状態」だったといいます。

その苦労を物語る場所があります。美馬さんの自宅の隣にある真新しい離れ。写真集のため集めた資料が膨大になり、保管する場所に困り果てて建てたものだといいます。

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離れの書斎を見せてもらうと、所狭しと並んだ書籍と資料。ある棚には、昭和30年からそろえた月刊誌「演劇界」がずらり。舞台の上演記録を調べるため古本屋を回って手に入れたといいます。

戦前の舞台のプログラムからは、山田さんが戦時色の濃い役を演じていたことがわかるなど、美馬さんにとって古い資料と向き合う時間は貴重なものでした。

「私は40代で『遅れてきた』ファンなので、見ていない舞台もたくさんあります。昔の雑誌を読むと、どういう役で、誰が共演で、演技の評判はどうだったのか劇評を見てわかりますし、自分が見逃した舞台を追体験できて幸せでした。戦前から戦後、平成まで、ずっと演劇・映画界の中心にいて、女優という仕事に一生を捧げ尽くした人生だったとしみじみ思い知らされました」

どちらかを選べない…ファンの心理

そして一番大変で、一番楽しかったのが、写真選びです。

美馬さんは、舞台を上演した興行会社や地方の劇場に頼み込んで、写真を見せてもらい、数十万点に及ぶ写真の中から掲載する700点を選びました。

「とにかく自分が好きで、山田さんの魅力がよく伝わるもの」という基準で選びましたが、似たような写真も多く、苦しんだのは「選ぶ作業」でした。写真を前に30分以上考え込むこともしばしば。

例えば、この写真。浮気者の旦那を座敷牢で懲らしめる女将を演じた舞台でのようすをとらえたものです。同じ場面で、笑っている表情と怒っている表情の2枚の写真がありました。

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「どちらも残したかった」と言いますが、紙面の都合もあり、同じ場面で2枚は掲載できません。

美馬さんが選んだのは、余裕の笑みを浮かべる左の写真。「山田さんが演じる役柄の大きさが出ている」と決断しました。

「とにかく自分が好きで山田さんの魅力が伝わる」という基準のとおりに、選ばれた1枚です。

終わらない写真集作り

写真集を出版した後も、美馬さんの写真選びは終わっていません。見つけきれなかった良い写真がまだあるかも知れないとの思いが捨てきれず、仕事の合間を縫っては高知から上京し、未整理の写真を見せてもらっています。

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記者が取材に同行したこの日、美馬さんは新たな写真を見つけます。

それは、有吉佐和子原作で昭和38年の舞台「香華」で、もろ肌脱いで化粧を施す妖艶な姿の山田さん。この場面は後の台本ではカットされており、大変、珍しい写真とのこと。

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新たに見つかった写真を入れた増補版を出すことが、次の目標になりました。

「あの写真もこの写真も入れたかったというのがあって、まだ完璧な出来とは思ってないんです。そこで新しい資料を見つけられると欲が出ますね。山田さんの偉業を伝えていくのは、私が命ある限り使命だと思っています」

ファンの深い愛情がこもった写真集作り。好きだからこそ、損得抜きで打ち込めることがあると教えられた思いでした。

野町 かずみ
高知放送局記者
野町 かずみ