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福島 8年ぶりの山開き ふるさとへの思い

その山には、8年ぶりに登山客の声が響き渡っていました。東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で足を踏み入れる人がいなくなった阿武隈山系の日山(ひやま)。先月、夏の登山シーズンを前に8年ぶりの山開きが行われました。しかし、山全体を自由に散策できるようになった訳ではありません。原発に近い山の東側には帰還困難区域があるため、今も立ち入りが制限されたままです。「登れる」ところと「登れない」ところがある、矛盾を抱えた山に登ってきました。(福島放送局カメラマン 櫻山恭子)

原発から約30キロ

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8年ぶりに山開きが行われた日山(ひやま)は福島第一原発から西へ30キロ余り。標高1057メートルのなだらかで登りやすい山です。

日山は山頂を中心に、北側には川俣町、南側には田村市、東側には浪江町と葛尾村、西側には二本松市と、5つの市町村にまたがっています。

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原発事故前は日帰りでハイキングや手軽な登山が楽しめ、頂上に登ると遠くに富士山や太平洋を望むことができることもあって、毎年6月に行われる山開きには3000人が集まるほど多くの人に愛される山でした。

原発事故後は山の東側(福島第一原発に近い側)にあたる浪江町と葛尾村、北側の川俣町の山木屋地区に避難指示が出て自由に入れなくなったこと、そして事故直後の登山ルートの放射線量が比較的高かったため、放射線への不安から登山する人も少なくなり8年間も山開きが中止されてきたのです。

思い出の詰まった山

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山々に囲まれた福島で自然から遠ざけられた人の思いを伝えたいと取材を進める中で、二本松市に住む斎藤隆博さん(60)に出会いました。

ご自宅に伺った際に見せてもらったアルバムの中には、日山での思い出がいっぱい詰まっていました。初めて新婚の妻を連れて行った山開きや小さな子どもたちとのピクニック登山、山頂で開かれる地元のお祭りなど、日山で撮られた写真が驚くほどありました。

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嫁いで初めて山登りに挑戦したという妻のみつ子さん(60)。「初めての時は登れるかしらと不安だったんですけれど、頂上についたらすごい人でね。日山は気軽に登れる山だったから登れなくなって残念だった」と、じっと写真を見つめていた姿が印象的でした。

斎藤さんは、このまま山開きが行われなければ、日山や自分たちの住んでいるこの地域が、安全で安心して暮らせる場所として認められず、元の暮らしを取り戻したことにはならないのではと心配していました。

実は、私も福島県出身です。父が高校の山岳部の顧問などをしていたこともあり、幼いころから毎年、山開きのたびに家族で県内の山に登ってきました。磐梯山や安達太良山、比較的有名な山から、名もない山まで家族との大切な思い出もあり、私にとっても、福島の山々は特別な存在です。なおさら、地元の山に登ることが日々の暮らしや思い出の一部となっている人たちにとって、7年間も自然に親しむことができないということは、当たり前の生活を奪われたも同然だと感じていました。

山開きへ あくなき願い

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原発事故後7年も足を踏み入れる人がいなかった日山。しかし、地元の人たちは再び登ることを諦めてはいませんでした。

登山道口がある集落の住民が、山道が荒れないよう、年に数回、人の背丈ほどに生い茂った草や木を手分けして刈って山を守ってきました。

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また、5町村の自治体はそれぞれが事故後、「いつか安全に山に登れるように」と定期的に登山道の放射線を細かく測ってきました。データを見せてもらうと原発事故直後に比べ、放射線量の数値が10分の1程度に大幅に下がっていることがわかります。

さらに5町村の自治体で作る「日山保存連絡協議会」では、一部に避難区域を残したままの山開きが、本当に住民たちに理解されるのか、何度も話し合いがもたれました。その中で「登山するのに十分に登山道の放射線量の数値が下がった」として、地域の復興を目指し、悲願の山開きが行われることになったのです。

一方で閉ざされた登山口

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一方で山の東側、つまり原発に近い浪江町や葛尾村に抜ける登山道の一部には、誤って放射線が高い帰還困難区域に入ることを防ぐため新たにバリケードが設置されました。一つの山にもかかわらず、登山客が行き交うルートと、未だ足を踏み入れることのできない場所があるという、美しい福島の自然にはそぐわない状況が生まれています。

8年ぶりの山開き当日

青空が広がった山開き当日の6月3日。二本松市、田村市、川俣町側の登山ルートから地元の人たちを中心に、およそ1000人が頂上を目指しました。

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この日、斎藤さんも事故後初めて、妻と一緒に住む息子さん、仙台に住む娘さんも駆けつけ一緒に登ることができました。10年ぶりに一緒に登るという娘のあかねさん。久しぶりの家族との登山に斎藤さんの顔もほころびます。

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登山客の中には震災後生まれ、初めて日山に登る子どもたちもいました。頂上を目指し、それぞれがみずからの歩幅で励ましあいながら一歩一歩、頂上を目指す。まるで震災前の福島の姿を取り戻そうとする人々の姿に見えました。

頂上の景色は…

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頂上では登山シーズンの安全を願う神事も行われました。神事をつかさどるのは浪江町の宮司です。震災前から日山の春と秋の祭りでも神事を行ってきましたが、原発事故後は避難先の福島市から通ってきています。

見晴らし台では、懐かしそうに海の方向を眺める男性がいました。浪江町から避難中だといいます。「浪江町からも大勢が登ってきていて、久しぶりにみんなと会えてほっとしました」。原発事故の影響で避難を余儀なくされて、親族や友人との再会を喜んでいました。

また、先祖から引き継いで長年、川俣町山木屋地区側の登山道を整備してきた男性は「二度と山に登れないんじゃないかなと思っていた時期もありましたが、8年ぶりというのは感慨深いです。これからがスタートですね」と仲間たちと笑顔で話してくれました。

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この日は、そのほかに日山の山開きの恒例行事だった「日山の美女(ひと)コンテスト」も8年ぶりに開かれ、特別賞に、地元、二本松市に住む89歳の石川洋子さんが選ばれました。

なんと石川さんは、82歳だった震災前の平成22年の山開きでも特別賞に選ばれたそうです。山開きへのお祝いの気持ちを込めて息子や孫と一緒に再び日山にチャレンジしたといいます。

筆者「久しぶりの山道はしんどくなかったですか」
石川さん「8年分、歳を取ったからねえ。でも来年もまた登ってくださいね、って言われたから登るべ」

何気ない会話に、ふるさとの山に登れたことへの喜びがあふれていました。

かつての福島を取り戻す喜び

かつて太平洋まで見ることができた日山の頂上ですが、人の手が入っていなかったため、あちらこちらで木々が生い茂り海を臨むことができませんでした。

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しかし、この日、150人近くの人が新緑あふれる頂上でお弁当を広げたり、ふるさとの風景を眺めたりしていました。また子どもたちが楽しそうに駆け回る様子は、かつての福島の山開きを思わせるものでした。

福島の人たちが求めているかつての暮らしの中にあった「小さな日常」が、8年かかった山開きの中で、少し垣間見えた気がしました。

櫻山 恭子
福島放送局カメラマン
櫻山 恭子