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両陛下 “最後の被災地訪問”で見えたものは

「東日本大震災で被災した東北3県への両陛下のご訪問は、今回植樹祭で訪れる福島が最後になるだろう」 天皇陛下の退位まで残り1年となったことし4月。宮内庁の幹部は私たちにそう語りました。

平成3年の雲仙・普賢岳の噴火災害、平成7年の阪神・淡路大震災、新潟県で相次いだ地震、そして東日本大震災…。「平成」はまさに「災害の時代」でした。そしていずれの被災地にも両陛下の姿がありました。
この30年の両陛下の歩みは、苦難に見舞われた人々に寄り添い、ともに悲しみ、復興を見守り続けられた「被災地訪問」なしに語ることはできません。
「“最後の被災地訪問”でどのように被災者と向き合われるのか」。私たちはその姿をしっかりと目に焼き付け、視聴者に伝えようと取材をスタートさせました。同行取材の報告です。(社会部記者 宮内庁クラブ 山口満 横井悠)

原発事故避難者と心通わせ

訪問初日の6月9日。両陛下は福島県のJR郡山駅で新幹線から車に乗り換え、早速いわき市の災害公営住宅「北好間団地」に向かわれました。

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ここには、原発事故の影響で今も多くの人が避難を余儀なくされている、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町の4つの町の住民らおよそ440人が暮らしています。団地では、近所の人たちも含め、およそ700人が小旗を振って両陛下を歓迎しました。集会所の前で車を降りた両陛下は、集まった住民たちへの“お声がけ”を始められました。

「お体は大丈夫でしたか」「生活は落ち着かれましたか」
そばにいた20人ほどの人たちのほとんど全員にことばをかけられました。前の列にいた人だけでなく、その後ろにいた人たちにも、声をかけられる両陛下。訪問先で私たちがいつも見てきた光景です。

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両陛下は集会所で住民の代表と懇談されました。懇談前は緊張した表情を見せていた住民たち。両陛下が「ご家族は無事でしたか」「大変ご苦労をなさいましたね」と優しくことばをかけられると、表情が和らぎ、避難所を転々としてきたことや、ようやく生活が落ち着いたことなど、みずからの境遇を語り始めました。

あっという間に予定していた20分が経過。県の担当者はその場で終了予定の時間になったことを知らせましたが、天皇陛下は「ずいぶんいろんな苦労があったと思います。何がいちばん苦労しましたか」と懇談を続けられました。被災者のことばに耳を傾け、心を通わせようとされる姿は、この30年間、変わることはありませんでした。懇談は時間をオーバーして終了。

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最後に、天皇陛下が住民たち全員に向かって笑顔で語りかけられました。
「いろいろご苦労も多かったと思いますが、それを乗り越えて、良い生活を築いていかれることを願っています。どうぞお元気で」 席を立ち上がられた両陛下。すると天皇陛下はもう一度全員に話しかけられました。
「どうぞこれからよい生活が送れるよう願っています。どうぞお元気で」

じっと見つめられていた“帰還困難区域”

訪問2日目、全国植樹祭の式典当日。
宿泊先を出発した両陛下の車列は会場がある南相馬市に向かい、私たちも報道用バスで後に続きました。

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常磐自動車道を走行中、車列は、放射線量が比較的高く、住民の立ち入りが制限されている「帰還困難区域」を通過しました。道路の周りには、除染廃棄物の仮置き場や人が住まなくなった家屋、それに雑草が伸びて荒れ果てた田畑が広がっていました。

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「7年経ってもここでは復興は進んでいない…」
そう感じながら窓の外を眺めていると、時折車列のスピードが遅くなることに気づきました。これは私たちの前を走る両陛下の車がスピードを落としたことを意味しています。
「両陛下もこの光景をご覧になっているのだな」そう確信しました。

さらに大熊町と双葉町の境にさしかかった頃、車列が再びスピードを落としました。

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そこは福島第一原発から5キロ余り。今回の行程の中で最も原発に近いポイントでした。宮内庁によりますと、両陛下はこの時、原発の方向を、窓からじっと見つめられていたということです。

津波被災地での「全国植樹祭」の意味とは

69回目となった全国植樹祭。戦争で荒廃した国土の復興を目指し、昭和25年に始まりました。

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緑豊かな国づくりを願った昭和天皇が毎年出席し、天皇陛下がそれを受け継いで、皇后さまとともに毎年、出席されてきました。そして平成最後の会場となったのが、津波で壊滅的な被害を受けた南相馬市の沿岸部でした。

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バスを降りると潮の香りも漂っています。震災前には住宅や田畑が広がっていましたが、津波ですべて押し流されました。会場周辺はいまも災害危険区域に指定され、住むことはできません。住民たちの努力によって、少しずつ田んぼや畑などが整備されてきたものの、かつて豊かに生い茂っていた樹木は失われたままです。

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両陛下は、この場所にクロマツやアカマツなどの苗木を植樹されました。印象的だったのは、福島の未来を担う子どもたちから苗木を受け取られる時の、お二人のうれしそうな笑顔でした。

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福島県の内堀雅雄知事は記者会見の中で「両陛下は植樹をずっと続けていくことが、歴史をつなげ、子どもたちにつなぐことになる。それを喜んでおられると感じました」と話しました。私たちも両陛下が子どもたちの存在に、福島の復興への希望を見いだされているように感じました。

遺族の悲しみ受け止めて

そして訪問最終日(11日)の朝。ホテルで出発の準備をしていた私たちのもとに、心配な情報が飛び込んできました。皇后さまが、前日の夜から発熱され、一部の行事について、天皇陛下お一人で臨まれる可能性があるというのです。

この日、両陛下は相馬市で、津波の犠牲者の慰霊に臨まれることになっていました。「皇后さま発熱」という原稿を書き進めていると、今度は「予定どおり慰霊に臨まれる」という情報が入りました。私たちは、最後の訪問にかける皇后さまの強いお気持ちを感じました。

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慰霊碑がある相馬市沿岸の原釜地区。周辺で200人余りが亡くなった場所です。両陛下は、震災から2か月後にもこの地区を訪れ、犠牲者を悼まれています。

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朝から降り続く雨の中、両陛下は慰霊碑に白菊の花束を供えて、深々と頭を下げ、亡くなった人たちの霊を慰められました。その後、住民の避難誘導中に津波に巻き込まれて亡くなった消防団員の遺族たちと会われました。

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「本当に残念なことでしたね」「まだ働き盛りで、ずいぶんお寂しいことでしょうね」
両陛下のことばに涙を流す遺族たちの姿を見ていると、大切な家族を失った悲しみは、7年という年月が過ぎようとも、決して変わらないのだと改めて気づかされます。

その1人、阿部洋子さん(71)は消防団の副分団長だった長男の健一さん(当時39)を亡くしました。

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健一さんは阿部さん夫婦を高台に逃がし、消防車で住民に避難を呼びかけているさなかに津波に巻き込まれました。阿部さんは私たちの取材に「健一が地域の皆さんを助けたことは誇りに思います。でも、できるなら一緒に逃げて、助かってほしかった。この気持ちは何年たっても絶対に忘れることはありません」と、胸の内を明かしてくれていました。

両陛下は、その阿部さんを見つめ「(息子さんは)いっぱい人を助けてくださいましたね。本当にありがとう」とことばをかけられました。

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面会を終えた阿部さんは「優しいことばをかけていただき、しっかりと前を向いていきたいと思いました。両陛下のことばをいつまでも心に残して頑張っていきたいです」と話しました。

「被災者に寄り添い続けられてきた両陛下だからこそ、そのことばが傷ついた遺族の心に響くのではないか」
そう実感しました。

風評被害の苦しみにも心寄せ

このあと両陛下は、津波の被害からの復興を目指す漁港を視察されました。福島県では、震災前に比べ漁獲量が大きく落ち込んでいるものの、ほぼすべての魚種の出荷制限が解除され、明るい兆しも見えています。

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水揚げされた魚の仕分けをしている女性たちに、皇后さまは「震災の時は大変でしたね。よく頑張りましたね」とことばをかけられました。原発事故による風評被害に心を痛めてきた両陛下は、漁港でカレイとホッキ貝を買い求め、福島県産の食材を使った昼食をとられたということです。漁港で女性たちと別れる際、皇后さまは、胸の前でこぶしをぎゅっと握りしめるしぐさをされました。このしぐさには見覚えがありました。

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阪神・淡路大震災の発生から2週間後に被災地を訪れ、被災者を見舞われた両陛下。両陛下を見送ろうと集まった被災者たちに、皇后さまはバスの中で何度もこのしぐさをされていました。
「頑張って」
私たちは皇后さまが女性たちにエールを送られていると思いました。

同行取材を終えて

11日夕方。両陛下は訪問の日程を終え、JR福島駅に到着されました。ロータリーには大勢の人たちが見送りに集まっていました。

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方々から止まない歓声に、何度も手を振ってこたえられる両陛下。最後は人垣に歩み寄って手を振り、別れを惜しまれていました。私たちは今回の同行取材中、高齢となられた両陛下の姿をみて、「お疲れなのではないかな」と感じた場面が何度もありました。しかし、苦難に見舞われた人たちに寄り添い、悲しみも喜びも分かち合おうとされる姿勢は、最後まで変わることがありませんでした。

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東日本大震災当時、側近のトップの侍従長を務めていた川島裕さんは、こうした両陛下と人々との関わりを「相互作用」という言葉であらわしています。

「一人でも多くの人と話し、視線を交わすこと。そのことで人々が元気づけられ、少しでも前に進む勇気をもらうことができる。その相互作用の積み重ねを、両陛下は最後まで全力でなさり続けるだろう」

天皇陛下の退位まで、10か月余り。

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両陛下がおふたりで形づくられてきた「平成の象徴天皇像」を、私たちは今回の被災地訪問で改めて感じました。退位の日まで、全身全霊で象徴としての務めを果たし続けられる姿を、私たちは引き続き取材していきたいと思います。

山口 満
社会部記者 宮内庁クラブ
山口 満
横井 悠
社会部記者 宮内庁クラブ
横井 悠