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“最低限度の生活”って?漫画で広がる理念

「おもしろい漫画があるよ」。生活保護に関する取材をする中で、自治体の職員から勧められたのは、その名も「健康で文化的な最低限度の生活」という漫画でした。憲法25条の条文の一部がタイトルとなっている異例の漫画が、いま人気を呼んでいます。漫画を通して広がる25条の理念、その現場を取材しました。
(横浜放送局記者 澤田恵理)

憲法25条の漫画が異例のヒット!

青年誌で連載中の「健康で文化的な最低限度の生活」という漫画。主人公は、生活保護の利用者を支える新人ケースワーカーの女性です。

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上司から「生活保護は憲法25条の理念に基づく国民にとっての最後の砦だ」と告げられ、仕事に臨みます。ところが着任早々、担当した利用者の男性から「これから死にます」という電話が。

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男性の親戚に「いつものことだから放っておいて」と言われ、そのままにしていたところ、本当に自殺してしまいます。

男性の部屋を訪れると、やりくりしながら生活していた様子や、笑顔の写真が残されていました。懸命に生きようとしていた足跡を感じ取り、主人公が命を支える仕事の意味と初めて向き合う場面から物語は始まります。

アルコール依存症の男性が登場する回では、入退院を繰り返し、家族に迷惑をかける男性を否定的に見る主人公が、「そういう人にも最低限度の生活を保障するのがわれわれの仕事です」とケースワーカーの先輩から諭されます。

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現場の実態が率直に描かれる内容に、共感や注目が集まっていて、現在50万部を超えるヒットとなっています。

“恋愛モノ”から“憲法の現場”に…

作者は、柏木ハルコさんという漫画家です。柏木さんはこれまで、主に恋愛モノなどを描いてきました。

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しかし、東日本大震災をきっかけに、社会問題に目を向けるようになりました。格差が広がる中で、多くの人に関わるテーマだと考え、憲法25条の現場を漫画にしました。

作品は当事者や関係者への綿密な取材に基づいていて、現在はケースワーカーなどの講演会にも講師として招かれています。

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漫画を読んだケースワーカーを目指す学生は「生活保護利用者への関わり方がすごくリアルに描かれていると感じました。大学でも勉強していますが、漫画で描かれることで、納得しながら理解することが出来ました」と話していました。

また現職のケースワーカーの女性は「1話で男性が自殺するシーンがいちばん印象的でした。対応1つで、人の命に関わることが実際の現場にもあります」と話しました。

読まれる背景には…“自分も陥る境遇”

漫画を連載するのは小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」。
編集部には「漫画を読んでケースワーカーを目指すことにした」などと反響が寄せられているといいます。

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坪内崇編集長は、こうしたテーマの作品がヒットするのは異例のことだと言います。

「いわゆる、漫画の王道のバトルとか恋愛とは違い、難しいテーマなので読むにはハードルがあるかもしれないと思っていました。でも今の時代の中で、自分の身内や自分自身がもしかしたら陥ってしまうかもしれない境遇が描かれていて、今を生きている僕たちとすごくリンクしていると受け止められて読まれているように思います」と話していました。

生活保護行政の現場にも

憲法25条の理念を描くこの漫画。実際の生活保護行政の現場でも活用されています。
その1つ、神奈川県小田原市。去年、職員らが「保護なめんな」などと威圧的な文言が書かれたジャンパーを着て支援にあたっていたことが、大きな問題となりました。

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ジャンパーが作成されたのはおよそ10年前。きっかけは、生活保護を打ち切られて市役所に抗議にきた元利用者がケースワーカーをカッターナイフで切りつけケガを負わせた事件でした。
ケースワーカーの業務量の多さや組織内での孤立もあり、部署内の結束のために作られたといいます。

問題発覚後、小田原市は、職員の人数を増員させたり人権研修を行ったりと再発防止策を進めてきました。その研修で専門家に渡されたのがこの漫画でした。

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共感を呼ぶ現場のリアル

漫画では、ケースワーカーの本音も描かれています。

遊び尽くして生活保護を利用するようになり、大量のゴミに囲まれて暮らす男性を見て「あんな人まで面倒見なくちゃいけないんですか生活保護って…」とケースワーカーがこぼす場面。病気を患いながらも、不摂生な生活を続け、治療の意思を示さない男性への対応に「疲れる…」と心の声が現れる場面。

一方で、仕事に就こうとしない男性が実は文字を読めなかったり、体調不良の男性が過去に虐待をうけていたりと、それぞれが抱える事情や思いも見えてきます。

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利用者と向き合おうと葛藤する主人公たちの姿に、これまでの支援を省みたというケースワーカーは「漫画を読んで、一緒に巻き込まれて、悩んだり悲しんだり、時には利用者とぶつかったりすることでお互いの気持ちが通じ合うこともあるんだと思いました。本音で話し合って、一緒に伴走できるケースワーカーになりたいと思いました」と話していました。

支援の現場にも変化?男性が明かしたある思い

実際の支援の在り方にも変化が現れています。
小田原市の20代のケースワーカーの女性が利用者の元を訪問する様子を取材しました。

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担当しているのは、去年、生活保護の利用を始めた五十嵐公明さん(73)です。

妊娠中の妻と母親を相次いで亡くしたショックから働く気力を失い、およそ20年路上生活を続けてきました。白内障が悪化し、視力を失いかけていましたが、生活保護の利用で治療を受けられるようになり、少しずつ健康を取り戻しています。

漫画を通じて、自分が知りたいことを事務的に聞くだけでなく、利用者の意向をくみ取る訪問へと支援の姿勢を見直したケースワーカー。静かに聞き続けていると、五十嵐さんがある思いを語り始めました。

「この家を借りるとき、いちばん先に何を設置したかって、これを設置したかった…」

そう言って五十嵐さんは壁に貼られた紙を見ました。そこには亡くなった家族の戒名が書かれていました。

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河川敷で路上生活をしていた頃、大雨で増水した川に位牌が流されてしまい、代わりにペンでみずから書いたものでした。
五十嵐さんは、今の気持ちも打ち明けました。

「嫁さんと子どもを亡くしてから30年が経つ。このうちにやって来て生活し始めて、また夢に見るようになった。やっぱり忘れられないんだな」

そうつぶやき、かなうならふるさとの北海道に墓参りに行きたいと語りました。

担当ケースワーカーは「利用者の声に耳を傾け、本当に望んでいることやその後の生活をどうしていくべきかと考えることが大事だと感じました。自分が聞きたいことだけではなく、五十嵐さんの言葉でもいろいろと聞いてみたいと思っています。その人にとって自分らしさがある生活が『健康で文化的な最低限度の生活』なのだと思います」と話していました。

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“最低限度の生活”とは

漫画で主人公が思い悩む、それぞれにとっての“健康で文化的な最低限度の生活”。生活保護を利用する人は200万人を超え、その他にも困窮している人が多くいる中、本当にすべての人が、憲法が掲げる“最低限度の生活”を送ることができる社会になっているのか。また、その意味とは何か、私たちにも投げかけられていると感じました。

澤田恵理
横浜放送局 小田原支局記者
澤田 恵理