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“ベルギー最悪の街”を変えた“世界一の市長” その秘策とは?

かつて「ベルギー最悪の街」とまで言われていた小さな街が大きく変わったことにいま世界中が注目しています。大勢の移民が住むこの町ではかつて失業した移民が警官隊と衝突し、住民の間にも反移民感情が広がっていましたが、いまでは移民問題は解決しています。そのきっかけとなったのは1人の市長の登場。いまでは、各国から視察が訪れるほどの変貌を遂げています。“世界一の市長”にも選ばれた市長がとった秘策とは何だったのでしょうか。(国際部記者 曽我太一)

ベルギー最悪の街!?

ベルギーの首都ブリュッセルから北へ車で1時間弱のところにあるメヘレン。中世に作られた世界遺産の教会を中心とする町並みが印象的な美しい街です。人口は8万余りですが、3割はイスラム系を中心とする移民で、おととしにはシリアなどから180人の難民を受け入れました。

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ベルギー メヘレン

街の中心部では、いまでこそ買い物や食事などを楽しむ人々で賑わっていますが、かつては治安が悪く、夜間に外出することは危険すぎて不可能だったと言います。買い物帰りの夫婦に話を聞くと「20年以上前のメヘレンだったら、午後6時以降は外を歩けなかった。若者がたむろしていて、襲われかけたこともある」と話してくれました。

メヘレンでは1960年代以降、近くの炭鉱で働く安い労働力としてモロッコなどから多くの移民を受け入れました。しかし、90年代に炭鉱が閉鎖されると、失業者が街にあふれ犯罪が増加しました。警察と移民との間で衝突が起きるなど混乱も広がりました。

当時レストランの入口には「モロッコ人お断り」などといった張り紙が貼られ、住民の3分の1は移民排斥を掲げる極右政党を支持していました。移民と住民の間で分断ができ、移民は社会の中で孤立。メヘレンは「ベルギー最悪の街」とも呼ばれていたのです。

世界一の市長が登場

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「最悪の街」を変貌させる大きな要因となったのが2001年にメヘレンの市長に選ばれたバルト・ソーメルス氏です。ソーメルス市長はその功績を評価され、2016年イギリスのシンクタンクが選ぶ「世界一の市長」に選ばれました。過去にはメキシコシティや、オーストラリアのメルボルンなどの大都市の市長が選ばれていますが、人口8万の小さな街の市長が選ばれるのは異例のことです。

ソーメルス市長はどうやって街を変えたのか?

(1)治安対策
まずは治安の改善に取り組んだソーメルス市長。参考にしたのはアメリカ・ニューヨークの治安対策です。
ニューヨークでは1990年代、「ごみのポイ捨て」などといった軽微な犯罪まで徹底して取り締まる姿勢を示したことで犯罪の発生率全体の大幅な低下につなげましたが、この対策をメヘレンでも取り入れました。市内の至るところに防犯カメラを設置し、犯罪を許さない姿勢を示しました。

(2)街をリノベーション
街の美化にも力を入れました。当時は、壁の崩れた建物や閉店した商店が多かったのですが、改築や再開発を進めました。ソーメルス市長は「通りがきれいであれば、住民は安心に感じられるようになります。街がきれいになれば誇りを持てるようになります」と述べ、街をきれいにしたことも治安の改善につながったとの見方を示しました。

(3)孤立化を防ぐ
ソーメルス市長は治安対策とともに、移民対策も進めました。移民は新しい土地に来ると、閉ざされた地域に固まって住み孤立しがちです。移民の孤立化を防ぎ社会に溶け込んでもらうため、2012年に始めた政策が「バディ制度」です。バディは英語で相棒を意味します。

この制度では、この街に新しく住み始めた移民が、地元の住民と1対1でペアになり、月に数回会って一緒に過ごします。現地で話されているオランダ語でコミュニケーションしながら、街を案内してもらったり、家族や子どもがいれば一緒に出かけたり、互いの国の料理を作り合ったりします。

バディは市が主導して決めます。制度への参加を希望する移民とボランティアの住民のそれぞれに聞き取り調査を行ったうえで、相性がよさそうな2人をバディにし、半年間の交流を進めてもらうのです。

バディ制度で理解が進んだ2人

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住民 ブラウニンクスさん(左) シリア難民 ハリルさん(右)

バディ制度を通じて知り合ったシリア難民のハリルさんと、住民のブラウニンクスさんは半年間のバディ制度の期間が終わったいまでも親しいつきあいをしています。

ハリルさんは2年前、シリアの内戦を逃れ、夫と2人の息子とともにメヘレンに来ました。オランダ語が全く話せなかったハリルさんは、当初街に溶け込めるか不安でした。

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しかし、ブラウニンクスさんとバディになってからは、同じ年頃の子どもが2人いるブラウニンクスさんの一家と家族ぐるみのつきあいをするようになりました。子どもの学校の手続きや医療機関の利用のしかたなどで相談ができる相手が身近にいたことで、安心して街での生活のスタートを切れたと言います。

ハリルさんは、シリアの首都ダマスカスで土木技師として働いていました。ブラウニンクスさんとの会話を通じてオランダ語が急速に上達したこともあり、いまではメヘレンの建設関係の会社で仕事の面接試験を受けられるようになりました。ブラウニンクスさんもハリルさんのオランダ語の習得の速さには驚いていました。

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ハリルさん

ハリルさんは「メヘレンの人たちに助けられてすごく助かりました。人間はひとりでは生きられないので、この制度で地元の人と知り合いになれてよかったです」と話していました。

一方の住民のブラウニンクスさんにとってもハリルさんとの出会いは大きな変化をもたらしました。ハリルさんと知り合うまでは、シリアでの内戦のことは全く関心がありませんでした。また移民に対しては両親から「モロッコ系やトルコ系の移民は社会の中で何の役にも立たない」などと聞かされてきて、偏見を持っていたと言います。

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ブラウニンクスさん

しかし、ブラウニンクスさんは「バディ制度を通して私自身が偏見を持っていたことに気づきました。相手の文化を知ることで心を開くことができました」と話していました。

周辺自治体で実施も…

実はこのバディ制度。メヘレンの周辺自治体でも取り入れたところがありました。ただし、ネックとなったのが財政負担です。

メヘレンでもこの制度を維持するために非常勤のスタッフを3人雇用し、一定の財政負担が必要となっています。こうした負担に対して当初はベルギー北部の地方政府から補助金も出されていたのですが、補助金の打ち切りにともなって、ほとんどの自治体は効果が現れる前に制度を断念してしまったのです。

しかしメヘレンでは、住民の支持もあって市長の決断で継続し、ここ数年ようやく効果がではじめました。街の雰囲気がかわったことで、移民だけでなく中間所得層の人たちも増え、経済的にも効果がでていると言います。

ソーメルス市長は「20年前は中間所得層の住民がどんどん街を離れ、貧しい移民だけが住むようになっていたが、いまは中間所得層の人たちがこの街に住むようになっている」と指摘しています。

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メヘレン市役所

テロリストの侵入を防いだ?

移民の社会への統合を進めたことで街はどう変わったのか? そのことを示す象徴的なエピソードを、街に住むイスラム教徒の人たちから聞くことができました。

過激派組織IS=イスラミックステートがシリアなどで勢力を拡大していた当時、ベルギーではイスラム教徒の若者が過激な思想に染まり、シリアでの戦闘に参加してしまう例が後を絶ちませんでした。メヘレンに近いブリュッセルやアントワープなどから数百人の若者がシリアへ渡ったと考えられ、ヨーロッパの中でも際だって高い割合だったと指摘されています。数年前には過激派がメヘレンでも活動しようと試みた時期がありました。

しかし、街に住むイスラム教の指導者たちが、過激派が街で活動を開始したという情報をいち早くキャッチ。住民の協力を得て追い返すことに成功したということです。

このエピソードについてソーメルス市長は、過激派グループは通常は社会のなかの分断につけいって、孤立している若者らを勧誘しようとすると指摘しています。そのうえで「メヘレンでは、肌の色や宗教、移民かどうかに関係なく、みな“メヘレン人”だと思っている。街に溶け込めていて、社会の一員だと思えていれば、決して社会を攻撃するようなことはしないんです。テロや過激思想にも負けない強いコミュニティを作ることができるんです」と話していました。

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みな“メヘレン人”

各国から注目

メヘレンの変貌は一躍大きな注目をあび、イギリスやドイツなどヨーロッパのメディアでたびたび取り上げられています。ヨーロッパ各国ではここ数年でたくさんの移民・難民が中東などから来たため、彼らをどうやって社会に受け入れるのかがどの国でも最大の課題となっています。

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ソーメルス市長と世界市長賞のトロフィー

ソーメルス市長は「移民の受け入れは失敗すると言われるが、移民を受け入れて多様性のある社会を作ることは可能だ」と主張します。そして「誰もグローバル化を止められないし、それは現実なんです。メヘレンは人口8万余りの小さな街で、大都市では難しいという意見もあるかもしれませんが、大きな都市にはもっと優秀な人材がいるし資金もある。メヘレンでできるならどこでもできると思います。私たちは、移民と共存することは可能だということを証明したい。私たちがほかの街にとってきっかけとなれればと思います」と話しています。ベルギーの小さな街が示す多様性のある社会は、グローバル化が進む世界にとって新たな道しるべとなるかもしれません。

曽我太一
国際部記者
曽我 太一