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カナダに日系人差別の過去 信念貫く83歳の闘争の歴史

移民に寛容な国として知られるカナダ。アメリカやブラジルと比べると多くはありませんが、日本からも多くの人たちが戦前から移り住んできました。そのカナダで、日系人たちが戦時中、過酷な人種差別を受けたことはあまり知られていません。差別を二度と繰り返さないために、その歴史を次の世代に伝えようと活動を続けている83歳の日系人女性がいます。女性の思いに耳を傾けました。
(アメリカ総局記者 佐藤文隆)

問答無用 私有財産すべて没収

日本人が初めてカナダに渡ったのは1877年。カナダ建国から10年後です。西海岸の豊富な水産物や自然を利用した漁業や林業などに従事し、戦前には西海岸の都市バンクーバーを中心としたブリティッシュコロンビア州に、2万人以上の日系人が暮らしていました。

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しかし太平洋戦争の勃発で生活は一変します。アメリカの同盟国として参戦したカナダ政府は、日系人を「敵性外国人」として、山間部の強制収容所に送りました。

さらに日系人の財産没収を認める法律が、戦時中の混乱の中で十分に審議されないまま連邦議会で可決、成立しました。

その結果、自宅を退去させられた日系人の土地や建物、家財道具は、所有者の許可なく、すべて処分されました。

戦時中10万人以上の日系人を強制収容したアメリカでさえ、私有財産の保全を申し立てる権利は認められていました。カナダ政府はそれすら認めず、日系人が築いてきた財産を問答無用で没収する、より厳しい措置をとったのです。

「私たちは動物ではない」

ことし4月、こうした苦難の歴史を現地の大学で教えている日系人を、バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学に訪ねました。

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日系3世のメアリ・キタガワさん(83)です。メアリさんの生涯は日系人差別の歴史と重なります。どんな人生を歩んできたのでしょうか。

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メアリさんは1934年、西海岸のソルトスプリング島に、養鶏場を営む日系2世の両親の6人の子どもの1人として生まれました。

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日本によるアメリカの真珠湾攻撃のあとの1942年、7歳の時、家族とともに、家畜の飼育場だったバンクーバー市内の収容施設に送られました。施設の通路の左右には、ふん尿を流す溝があり、地面にはウジ虫がはっていたそうです。

メアリさんの母親は「私たちは動物ではない」と抗議しましたが、「ならば路上で寝ろ」と言われ、やむなく施設に入りました。メアリさんの父親はその直前に、警察によって自宅から連行されていました。

家族は1年後、内陸部の強制収容所で父親と再会しますが、メアリさんは、父親は殺されたと思っていたそうです。

終戦後、足かけ4年に及んだ強制収容は解かれました。しかしふるさとの島に戻ったメアリさんたちを待っていたのは、白人住民による人種差別でした。

「おまえたちが来るところではない、海に放り投げるぞ」と脅されたこともあったそうです。日系人の墓地は何者かに倒され、ゴミがまき散らされていました。

賠償を勝ち取った1988年

メアリさんはその後バンクーバーに移住。日系人の男性と結婚し、2人の子どもをもうけます。

子育てがひと段落してきた40代後半になった1980年ごろから、日系人の互助組織「日系カナダ市民協会」に加わり、そこで戦時中、日系人が受けた差別への謝罪や名誉回復を求める運動を始めました。

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こうした運動もあり、1988年、カナダ政府は日系人への扱いが不当だったと認めて当時のマルルーニ首相が謝罪。日系人は賠償を勝ち取りました。

メアリさんの運動はそれで終わりませんでした。

4月に大学を訪ねたとき、メアリさんが行った講義のテーマは、戦時中に強制収容され退学させられた日系人大学生の名誉回復運動でした。

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メアリさんは20人ほどの学生を前に、運動のきっかけを語り始めました。それは2008年ごろ、アメリカの大学が戦時中に進学を断念させられた日系人大学生に名誉学位を授与するニュースをインターネットで見たことでした。

メアリさんは自問したと言います。

「アメリカにできて、なぜカナダにはできないのか」

そして、戦時中に日系人が学んでいたブリティッシュコロンビア大学の学長に、同じ措置を取れないか尋ねる手紙を出しました。しかし大学側は、時間がたちすぎていることを理由に聞き入れませんでした。

しかし、メアリさんは諦めません。日系人向けのミニコミ誌に、アメリカとカナダの大学の対応の違いを説明した文章を投稿しました。まずは日系人の理解と協力を得るためでした。

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それがバンクーバーの地元紙の目にとまります。地元紙のインタビューを受け、記事が掲載されると、次第にメアリさんへの支持の輪が広がっていきました。

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そして4年後の2012年、大学はついに76人の日系人の元学生に、名誉学位を授与しました。

メアリさんは、家族の期待を背負った学生たちの未来を奪った不正義を何としても正したかったと、当時を振り返りました。

元学生の1人は、「もう年だし、学位をもらったから何ができるわけではないが、大学から『お帰り』と迎えてもらったことが何よりうれしい」と涙ながらに語り、メアリさんに感謝の気持ちを伝えたということです。

講義の後、学生たちに感想を聞くと「こんな歴史があったとは知らなかった。もっと学びたいと思った」とか「正義のために長い時間闘い抜いてきたメアリさんの強さに感銘を受けた」といった答えが返ってきました。

「負の歴史 再来と思える」

カナダは、1971年に世界で初めて多文化主義政策を打ち出し、積極的に移民を受け入れてきました。ただ、日系人差別への謝罪には、さらなる時間を要しました。

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カナダのモスクで銃撃(2017年1月)

そして2001年のアメリカの同時多発テロ以降、目立つようになっているのが、イスラム教徒に対する偏見や憎悪に基づく事件です。現在、年間およそ30万人の移民を受け入れる世界有数の移民大国カナダですが、特にイスラム系移民に対する差別が顕在化してきています。

多様な人種と文化が共存する、今のカナダ社会を誇りに思うメアリさんの心配も、そこにありました。

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講義の終わりにメアリさんは、「イスラム系移民に対する差別は、過去の日系人差別の歴史と重なります。今、起きていることはカナダの負の歴史の再来に思えます。あのようなことが再び起きてほしくないのです。もし差別があると気づいたら、皆さんには声を上げる責任があります。そうでなければ差別の首謀者に同意したのも同然なのです」と述べ、差別に反対の声を上げようと訴えました。

「目をつぶってはならず」 父の言葉を信念に

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この大学でのメアリさんの講義は、ことし1月から4月まで4回にわたって行われました。メアリさんは、移民差別の歴史を学ぶ講座を、より多くの大学が開くよう呼びかけています。

また大学生だけでなく、中学生や高校生たちが歴史を正しく理解するよう、教師向けの教育も必要だと訴えています。

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なぜ、そこまで頑張るのか、メアリさんに聞きました。

すると「私が受けたような差別を二度と味わってほしくないのです。私の父は間違ったことには目をつぶってはいけないと言っていました。その言葉がいつも私の中にあります」と答えました。

今、カナダはトルドー政権の下で、「多様性は力」だとして移民大国への道を歩んでいます。

しかし、その過程で現れる人種をめぐる誤解や対立を和らげ、よりよい社会に向かうには、決して過去を忘れてはいけない。

メアリさんはそう訴えているように感じます。

カナダで生まれ育った日系人をはじめとするマイノリティーの多くは、社会に波風を立てることを望まず、メアリさんのようには声を上げてきませんでした。

メアリさんは、そのことは理解できるとしたうえで、「声を上げられない人のためにも、死ぬまで差別反対を訴えていく」と言います。

信念と覚悟に貫かれた、カナダで生きる日系人、メアリ・キタガワさんの闘いはこれからも続くのだと思います。

佐藤 文隆
アメリカ総局記者
佐藤 文隆