ニュース画像

WEB
特集
参加率36% 日本の約2倍 ドイツの障害者スポーツのなぜ

参加率36%。ドイツで週に1日以上スポーツに参加する障害者の割合です。日本は2年後に東京パラリンピックを迎え、障害者スポーツの活性化が大きな課題となっていますが、参加率は去年の数字で20%。目標としている40%の達成にはまだ長い道のりがあります。日本の2倍近くの参加率を達成しているドイツではなぜ障害者スポーツが盛んに行われているのか? その秘密を現地で取材してきました。(国際部記者 曽我太一)

障害者スポーツの枠を超えて親しまれるスポーツ

ドイツの空の玄関口、フランクフルトから車で1時間ほどのところにある地方都市、ヴィースバーデン。

3月上旬、この街で車いすバスケットボールのトップリーグの最終戦が開催されました。

ニュース画像

会場には大勢の観客が集まり、激しいプレーの一つ一つに大きな声援を送っていました。ドイツの車いすバスケットボールは毎年9月から半年間のシーズンがあり、ほぼ毎週末に試合を行って優勝を目指します。

ニュース画像

会場にはスポンサー企業が広告を出し、地元メディアも取材を行うなどほかのスポーツと変わらない雰囲気の中で行われています。まさに「障害者スポーツ」という枠組みを超えて親しまれているのです。

スポーツに参加しやすい環境

ドイツのトップリーグに日本から参加している網本麻里選手はドイツの障害者スポーツの現状について「初めてやりたいと思っている人や経験の少ない人が気軽に行ける環境があるというのはすごくいいことだと思います」と指摘しています。

ニュース画像

ドイツではさまざまな障害者がスポーツを始めやすい環境が整っていることが参加率が高い最大の理由なのです。中でも障害者にとっての、選択肢の多さをあげることができます。

ドイツでは、各地域のスポーツクラブが、健常者のためのサッカーやハンドボールなどの競技に加えて車いすバスケットボールやウィルチェアラグビーなどの障害者スポーツのチームも同時に運営しています。

特に人気が高い車いすバスケットボールの場合、トップリーグから5部リーグまで5段階に分かれていて、全国に約180のチームがあります。障害のレベルや練習の頻度に応じて、自分に合ったチームを選んで気軽に参加できるのです。

経済的な負担も少なく

スポーツを続けるための障害者の経済的な負担が少ないのも大きな特徴です。チームの運営を支えているのが、地域の企業。多くのチームが、企業とスポンサー契約を結んだり寄付を受けたりしています。

ニュース画像

このため例えば、ドイツ西部のケルンにある車いすバスケットボールクラブ「ケルン99ers」では参加者の年会費はおよそ1万円。ここに施設の利用料やユニフォーム代もすべて含まれています。スポーツ用具の購入には健康保険が適用されます。競技用車いすは数十万円から100万円以上するものもありますが、ドイツでは健康保険で購入できます。適用には、医師の診断書などが必要となりますが、適用を受ければ競技用の車いすを少ない負担で購入することができます。保険が適用されないケースでも多くのスポーツクラブで、車いすなどの用具を無料で貸し出しています。

障害者にまずは気軽にスポーツを始めてもらうことで、積極的な社会参加にもつなげようという考え方が背景にあるのです

世界的な普及にもドイツ人が大きく貢献

歴史的に障害者スポーツの世界的な普及のために、ドイツの人々が大きな役割を果たしてきました。

パラリンピックの発祥は、1948年のロンドンオリンピックにあわせて、イギリスの病院で開かれた障害者のための運動会だと言われています。このとき、スポーツをリハビリテーションとして提唱したのが、ドイツのルートヴィヒ・グットマン医師でした。

ユダヤ系だったグットマン医師は、第二次世界大戦中、ナチスドイツの迫害を受けイギリスへ逃れていたもので、亡命先のイギリスで障害者スポーツの礎を築いたとされています。

その後、パラリンピックはオリンピックと並ぶ大会に発展しましたが、障害者スポーツを競技としてより魅力あるものにするために貢献したのがドイツのケルン大学のホルスト・ストローケンデル名誉教授です。

ストローケンデル名誉教授は1980年代に障害者の体の動く部分に着目して「機能別クラス分け」という考え方を提唱。この考え方は現在もパラリンピックの種目やクラス分けに応用されるなど、現代の障害者スポーツの基盤を作ったとされています。

子どものときから理解促進

障害者スポーツの普及に欠かせないのが健常者の理解です。

ドイツの小中学校では日本の部活のように放課後活動が活発に行われていますがその1つとして、車いすスポーツがしばしば行われます。最大の特徴は健常者も障害者も誰でも参加できると言うこと。

ケルン市の公立小学校「ザンクト・ニコラウス小学校」では、地元のクラブが指導者を派遣し、毎週、車いすを使った遊びを行っています。

ニュース画像

子どもの頃から車いすで鬼ごっこなどの遊びを行うことで、障害がない子どもの障害者に対する理解もすすむといいます。同時に、障害者の子どもにとってもスポーツを始めるきっかけとなることが期待されているのです。

ザンクト・ニコラウス小学校のペーター・シュッテレ校長は「大人は、車いすに座っている人を見ると『かわいそう』と思うかもしれないが、子どもはそうではない。障害があることは特別なことではないという考えをもつことができるのです」と述べて、子どもの頃から障害者スポーツへの理解を深めることが大切だと指摘しています。

ニュース画像

さらにシュッテレ校長は「障害がある子どもにとっては、一度スポーツをしてみると、『すごい!自分にもスポーツができるんだ』と考えるようになる。その結果、日常生活でも活動的に変わってゆくのです」と述べ、障害のある子どもにとってはスポーツを始めることで大きく変わるきっかけになると指摘しています。

夢を持てるようになった青年

スポーツをはじめたことで、大きく変わったのがケルンに住むボー・ブルックマン君(16)です。脳性まひのため下半身を中心に障害があり、3歳から車いすを利用しています。

ニュース画像

1人では思うように動くことができないこともありストレスを感じていましたが、14歳のときバスケットボールを始めたことで大きく変わりました。気の合う仲間もでき、日常生活ではこれまでにない積極性が見られるようになったと言います。

ブルックマン君は「仲間と競い合ったり、成果を分かち合ったりできるのがおもしろい。学校やふだんのストレスも発散できるようになった」と話しています。将来はドイツ代表としてプレーするのが夢だと言うことで、パラリンピック出場へ向けて決意を示していました。

こうしたブルックマンくんを絶えずそばで見つめてきた母親のミヒャエラさんは「スポーツを始めてから、心のバランスがとれるようになった。長いことそういうことはなかったし、自分の目標を持つようになって、とてもうれしいです」とはなしていました。

ニュース画像

コーチの”神対応”でメダリストに!

不可能を乗り越えてメダリストになった人もいます。 ドイツの障害者卓球の有名選手、ライナー・シュミット選手(53)です。シュミット選手は両腕がありませんが、卓球のドイツ代表として2004年のアテネパラリンピックに出場。個人で銀、チームで金メダルを獲得しました。

ニュース画像

そもそもどうして彼は卓球を始めることができたのか。障害者スポーツに詳しいケルン体育大学のトーマス・アーベル教授が、シュミット選手が卓球を始めたエピソードを紹介してくれました。

ニュース画像

シュミット選手は生まれつき両腕がありませんでしたが、卓球を始めたいと思い地元のクラブを訪ねました。クラブのコーチは障害者を指導した経験はなく知識などもありませんでした。

しかしコーチは、「どうすればいいかわからないが、君は卓球がしたいと思っている、僕は卓球を教えることができる。なんとかやってみよう」と言って、シュミット選手の腕の根元にラケットをテープで巻いて卓球をさせたということです。そして、「2、3週間やってみて、だめだったら別なやり方にトライしてみよう」といって、非常に前向きに指導に取り組んでくれたというのです。

アーベル教授はもし、コーチがこのとき「私には障害者を指導する知識がないので、障害者向けのほかのクラブを探してみるよ」などと言っていたら、メダリストのシュミット選手は誕生しなかったのではないかと指摘しています。

アーベル教授は「障害者を『かわいそう』だと思うのはもう古い考え方で、いま私たちが目指しているのは、障害者も含めてみなが一緒にスポーツに参加できるような社会を作ることだ」と話していました。

東京パラリンピックで何を目指すか?

障害者スポーツの普及が進むドイツで特に目立ったのは人々が障害者が「何ができるのか」に目を向け、可能性を伸ばすことに着目する姿勢でした。

実はこうした姿勢はパラリンピックの理念である「障害者スポーツを通じて、分け隔てのない社会を作ること」にも通ずるものがあります。

東京パラリンピックでは日本人選手へのメダルへの期待が高まるのはもちろんですが、同時に大会の開催によって多くの障害者がスポーツを楽しめ、自分の可能性を広げられる環境作りにつなげることが大切です。

そうした社会はまた、障害がない人にとっても暮らしやすい社会になるのかもしれません。

曽我太一
国際部記者
曽我 太一