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白血病からもう一度ピッチへ あるJリーガーの闘い

サッカーJリーグ、アルビレックス新潟の早川史哉選手、24歳。2年前に入団し、開幕戦からスタメンデビューを果たすなど、将来を期待された選手でした。

しかし、その直後、急性白血病と診断され、チームを離脱。闘病生活を続けてきました。先月15日、その早川さんが、選手復帰に向けてトレーニングを始めたことを公表しました。白血病と闘いながら、再びピッチに立つことを目指す早川さん。その歩みを、入院中から1年半にわたり追いました。(新潟放送局ディレクター 安世陽)

ようやく開始した“リハビリ”

「身体を動かせるので毎日が楽しくてしょうがないですし、疲れたなと思って寝れる幸せも感じています」

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先月19日、新潟県聖籠町にあるアルビレックス新潟のクラブハウスを訪ねると、チームの練習着を身にまとった早川史哉さんが、明るい表情で迎えてくれました。

早川さんは、去年12月に選手復帰に向けたトレーニングを開始。“復帰”という目標に向かって、厳しい道のりを歩み始めていました。

「リハビリをスタートできたことで、ようやく復帰という道が見えてくるところまできていると思います」

デビュー直後 白血病に

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新潟市出身の早川さんは、小学生の時にサッカーを始めました。以来、攻撃を担うフォワードから守りを固めるディフェンダーまで、なんでもこなせる選手として活躍してきました。

年代別の日本代表にも選抜。2011年に開かれた17歳以下のワールドカップに出場しました。

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アルビレックス新潟の入団会見 左から2番目が早川さん

2016年に筑波大学を卒業したあとは、子どもの頃から憧れていた地元のクラブ、アルビレックス新潟に入団。新人ながらJリーグの開幕戦からスタメン出場を果たすなど、将来を期待されていました。

しかし、そのわずか2か月後。強いめまいや疲労感を感じるようになった早川さんは、病院に検査入院します。その結果下されたのは、急性白血病という診断でした。

早川さんとの出会い

私が早川さんと最初に対面したのは、白血病と診断された5か月後のおととし10月。入院していた病院の個室でした。

面会の前にはマスクを着用、手の消毒も入念に行いました。抗がん剤による治療の影響で、早川さんの免疫機能が低下していたためです。

病室のドアを開けると、ベッドの上に早川さんが座っていました。思っていたよりも元気な様子でしたが、髪の毛はほとんど抜け、顔が少しむくんでいました。

白血病の治療には、白血球の型が合うドナーから、骨髄を提供してもらう必要があります。早川さんは、すぐにドナーを見つけることができたため、1か月後に骨髄移植の手術を控えていました。

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「自分の身体の中に、ドナーである他人の血が流れることになるのは、不思議な感覚ですね」(早川さん)

自分のいない開幕戦

入院から9か月がたった去年2月25日。私は早川さんの自宅を初めて訪ねました。

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画像:早川さんのブログより

この日、早川さんは、Jリーグの開幕戦を自宅のテレビで観戦していました。骨髄移植の手術を終えて体調が回復し、一時的に退院を許されていたのです。 早川さんは、ともに切さたく磨していたチームメートが活躍する姿を見て喜んでいましたが、試合が終わった後には悔しい表情も浮かべていました。

「あの緊張感と、応援を、味わいたいですね。でも今は、せいてもしょうがないので、しっかり治さないと」(早川さん)

サッカーを諦めることも考えた

4日後の3月1日。再び自宅を訪ねると、早川さんは食事の準備をしていました。

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この時期、早川さんには、まだ厳しい食事制限が課せられていました。生野菜が食べられるようになったものの、刺身や卵、納豆などの食べ物は厳禁。免疫機能がまだ十分に回復していなかったためです。

「抗がん剤を使ったあととかは、全然ご飯が食べられなくて。ましてや味も分からないから、初めてあまり食事が楽しくないと思いましたね」

それでも早川さんは、復帰に向けて少しずつ動き始めていました。この日、日課としていた散歩に初めてサッカーボールを持ち出し、近所の公園でリフティングをすることにしたのです。

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「いやぁ、重い。ボールが。こんなに重かったか。しかもめっちゃ息あがるし」

10か月ぶりに蹴ったボールの感触に少し興奮気味だった早川さん。ひとしきりボールを蹴り終えたあと、入院中に自分の将来について悩んでいたことを打ち明けてくれました。

「ここでサッカーを諦めるというのも選択肢の一つだったと思いますし…もともと学校の先生になるのも夢だったので、そっちの道に治ったらいこうと考えもしました」

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励みになった応援の声

もう一度、サッカー選手としてピッチに立つことはできるのか。悩みを抱える早川さんを支えたのが、サポーターなど周囲からの励ましの声でした。

「おお史哉、勝利をつかめ、俺らも、ともに闘おう…」(早川選手の応援歌)

白血病を公表して以降、サポーターはスタジアムで毎試合、早川さんにエールを送り続けていました。

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寄せ書きされたユニフォーム

早川さんの自宅には、全国のクラブや友人たちから、応援の言葉が寄せ書きされたユニフォームが届いていました。早川さんは、こうしたユニフォームに加えて、サポーターが折った千羽鶴などを部屋に飾っていました。

白血病の女の子との出会い

中でも、早川さんが大切にしているものがあります。

入院中に知り合った、同じ白血病の女子中学生からもらった、輪ゴムのアクセサリーです。

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アルビレックス新潟のチームカラーのオレンジと青の輪ゴムで作られていました。

「アルビカラーだったんで、なんで知ってるんだろうなって思ってたら、僕の存在を知ってくれていたみたいで」

女の子の何気ない優しさに、早川さんは胸を打たれました。

「自分も、同じような病気の人に力を与えられたらいいなと、漠然と思っていたんですけど、彼女はすごい当たり前のように僕を励ましてくれて。その子みたいに、自分も誰かの元気が出るような存在になりたいと強くまた思い直したというか、そういうきっかけをくれたので、本当に僕にとっては、すごいうれしいプレゼントでした」

自分も、誰かに生きる力を届けられる存在になりたい。早川さんが始めたのが、ブログでした。

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復帰を目指す自身の心境や、難病と闘う子どもたちとの交流の様子などをつづることにしたのです。

しかし、ブログを始めて2か月後、早川さんは女の子の母親から、女の子が闘病の末に亡くなったことを伝えられました。

女の子の存在は、今も復帰の後押しになっているのか。クラブハウスで私は早川さんに尋ねました。

「本当に、その子あっての今だと思うし…。自分も頑張らないといけないというか、絶対、復帰しなきゃいけないなという感じはありました」

早川さんは涙ぐみながら、かみしめるように答えてくれました。

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復帰を目指して

去年12月19日。クラブハウスに、練習着姿の早川さんの姿がありました。

主治医の許可を得て、クラブのサポートのもと、復帰に向けたトレーニングを始められることになったのです。

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トレーナーからは「やり過ぎることがいちばんよくない」と、体調に気を配りながら進めていく方針が示されました。

室内のトレーニングルームで、筋肉をほぐすストレッチだったり、ボールを少しだけ蹴ったりするなど、負荷の軽いメニューから取り組み始めました。

それからおよそ3か月。今では、ミニゲーム形式の練習にも参加するようになっています。

白血病との闘いをつづける早川さん。復帰までの道のりは平たんではありませんが、一歩ずつ着実に前へと歩みを進めています。

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安 世陽
新潟放送局ディレクター
安 世陽