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母の死“封印”した少年が初めて語ったこと

母親が津波で流される直前まで一緒だった8歳の少年は、その後、母のことを話すことも涙を流すことも一切ありませんでした。

中学生になった少年は、読書感想文の形で心のうちを初めて語りました。

父親も深く胸を打たれた感想文には、何が書かれていたのでしょうか。(社会部記者 森並慶三郎)

“万里の長城” 越えた津波

岩手県沿岸部にある宮古市の田老地区。7年前、“万里の長城”とも称された高さ10メートル、全長2.4キロの防潮堤を越え、津波が田老地区を襲いました。

震災から2年を迎えようとする2013年1月、私は初めて田老地区を取材で訪れました。

そのときに出会った家族がいました。小学校教員の高橋琢弥さんの一家です。

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妻の琢子さん(当時43)を震災で亡くし、高校3年の長男、中学2年の次男、そして小学4年で三男の虹彦くんの男ばかり4人で暮らしていました。

子どもを迎えに走った母

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あの日、琢子さんは、自宅で洗濯物を干していました。

地震が起きてすぐに虹彦くんと次男を学校に迎えに行きました。

その直後、脇道から真っ黒な泥水が現れます。

逃げ遅れた琢子さんは津波にのみ込まれ、亡くなりました。

亡き妻へのメッセージ

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高橋さんは、震災2年目から毎年、NHKの「こころフォト」にメッセージを寄せてくれています。

琢子さんへの深い愛情にあふれた言葉の数々…。

「生きている間に伝えられなかったひと言だけ伝えます。『ボクの奥さんになってくれて子どもたちのお母さんでいてくれて、本当にありがとう』」

知らなかった妻の姿

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3年目には、高橋家に思わぬ“プレゼント”が届きました。養護教諭だった琢子さんの知り合いの先生たちが思い出を冊子にして送ってくれたのです。

そこには夫や息子たちの知らない琢子さんの姿がありました。

「家庭人としてだけでなく、職業人として、教育者として一生懸命に前向きに仕事を続けていた姿があります。生きていた姿があります」

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三男が初めて語った母の死

そして去年の年末に届いたメッセージを見て私は驚きました。

三男の虹彦くんが書いたという読書感想文が添えられていたのです。

母と一緒に逃げていた虹彦くん。自分のすぐそばで母親が津波に流されました。

これまで家や学校でも母の死を一切語ることはなく、涙を見せることも一度もありませんでした。その彼が、“読書感想文”という形で初めて母の死を語ったのです。

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彼が選んだ本は「ホイッパーウィル川の伝説」。

物語の主人公はとにかくはやく走ることを願う少女のシルヴィ。かつて、母が心臓麻痺で倒れたときに助けを呼びに走りましたが、間に合いませんでした。

大切な母を助けられなかったのは、走るのが遅かったからだと自分を責めたシルヴィ。

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その後、シルヴィはキツネに生まれ変わり、命の危険にさらされた妹を救います。

大切な人の死とどう向き合うか考えさせられる物語です。

僕はシルヴィに似ている

虹彦くんは感想文のなかであの日のことを初めて語り始めました。

「僕はシルヴィに似ている。僕が母を亡くしたのは、小学二年の時。あの『黒い波』が故郷を飲み込んだ日だ。家路を急ぐ車の中に、母と兄と僕は居た。僕はランドセルを捨て、学校の校門へと走った。ただ逃げることだけを考えて。車内で見た母の不安に包まれた顔が、頭の中で何度も再生された。その顔が僕が見た最後の母の顔だった」

虹彦くんは母を助けられなかったシルヴィに、みずからを投影するように書き進めます。

「シルヴィは何度、時間を巻き戻したいと思っただろう。その時、自分が母を助ける方法はなかったのか、答えの出ない問いを何度自分にぶつけただろう。きっと尖ったものが心に刺さったままのように、自分を責め続けて生きてきたのではないか」

シルヴィは亡くなったあとも妹を見守り続けました。

「とても悲しい話だったが、不思議に読み終えた後は、静かな温かい気持ちになった。それは、大切な人は目の前からいなくなったとしても、どこかでつながっていて、全身全霊で愛情を送ってくれていることがわかったから。僕も母とどこかでつながっていると思うと、今までより少し、心が温かくなった」

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やっと吐き出せた心

読書感想文を読んだ父・琢弥さんからのメッセージです。

「彼はいまだに『あの日』のことを話すことはありません。母親のことではまだ一度も泣いた姿を見せていません。この6年余りの間、まるで感情をブロックされたかのように、自分の心の中にあるであろうものを表出することはありませんでした。やっと外に吐き出す機会を与えてもらえたような気がしています」

“生きる”ということ

私は虹彦くんの文章を読んで、ことし2月、5年ぶりに高橋家を訪れました。

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長男と次男は就職や進学で家を出て、いまは、お父さんと虹彦くんの2人暮らし。

お父さんは、7年目にあたって心境の変化を話してくれました。

「この7年間は必死で生きてきました。慣れない子どもの弁当を作ったり、掃除をしたり、日々の生活に追われて、正直、亡くした妻のことを忘れることもありました。『亡くした人のことを忘れない』という言葉を聞くたびに自分はなんて冷たい人間だと自責の念にかられる時期もありました」

「ただ、いまはそういう自分も許せるようになってきました。自分や子どもを追い込むことを妻は望んでないのかなあと。自分勝手な解釈かもしれないけど、生きるということはそういうことなんじゃないかな…」

5年ぶりの虹彦くん

1人で眠れず、母親の布団に潜り込むほど甘えん坊だった虹彦くんは、ラグビーと絵を描くことが好きな青年に成長していました。

虹彦くんは、読書感想文を通して少しだけ心の内を見せてくれましたが、いまでも父親にお母さんのことを話すことはありません。

「お母さんのかわりだよ」

父親の琢弥さんは、仏壇に添えられた手の平ほどの小さな人形を見せてくれました。

虹彦くんが保育所に通っていたとき、お母さんと離れるのを泣いて嫌がった時期がありました。

その時に、琢子さんが「お母さんのかわりだよ」と作ってくれたものです。

お父さんは、震災後、その人形を持たせて再開した学校に通わせました。

虹彦くんは、ランドセルに大切に入れていたということです。

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その日まで…

7年がすぎて少しずつ大切な家族のことを語り始めた人もいます。そうでない人も、亡くなった人と心の中でつながっていることにかわりはありません。私たちにできることはその心のうちを思いながら、ともに悼むことではないかと高橋さん一家への取材を通じて感じています。

私は琢弥さんにテレビカメラでの取材をお願いしたところ、丁寧な言葉で断られました。「今はやはりテレビでの取材に応じることはできません。でも、話してもいい、いやむしろ話したいと思うときが来るかもしれない」

その日がくるのは、数年後、5年後、10年後か。それともやはり難しいのかもしれません。ただ、それでも私は高橋家の皆さんへの取材を続けたいと思います。

高橋虹彦くんの読書感想文全文や、父親の琢弥さんのメッセージは「こころフォト」のページに掲載しています。

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    こころフォト

    NHKでは東日本大震災で失われた一人一人の命の尊さを忘れないために、また、残された方たちがどう生きようとしているのか、被災地の「いま」をお伝えするために、写真とメッセージを募集しています。

森並 慶三郎
社会部記者
森並 慶三郎