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ノーベル平和賞 ICANの素顔

ことしのノーベル平和賞の授賞式が10日、ノルウェーの首都オスロで行われます。受賞者はICAN=核兵器廃絶国際キャンペーン。世界の101の国と地域にある468団体と連携し、核兵器禁止条約の実現を働きかけてきた国際NGOです。メンバーたちは、外交経験があるわけでもなく、広島や長崎の被爆体験を聞いて育ったわけでもない、20代から30代の世界の若者たちが中心です。彼らを核兵器を禁止する活動へと突き動かしたのは何だったのか。授賞式を前に、スイスのジュネーブと東京で暮らす2人の中心メンバーを訪ねました。そこで見えたのは、日々の暮らしの中で家族を大切にしながら、世界が直面する問題に臆することなく声を上げ、実際の行動に移していく、優しくも力強い姿でした。(国際部記者 古山彰子)

核兵器禁止条約の実現を目指して

核兵器禁止条約の制定に向けたキャンペーンを展開し、条約の実現に大きく貢献したとして、ことしのノーベル平和賞に選ばれたICAN。 NHKがその活動の取材を始めたのは4年前の2013年でした。ノルウェーで開かれた「核兵器の非人道性」について話し合う国際会議に参加したICANのメンバーは議場の内外で、核兵器を法的に禁止することについて各国の代表ひとりひとりに声をかけ、賛同する国を1か国でも増やそうとしていました。

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ICANがこうした活動に乗り出したのは、これまでに「対人地雷」や「クラスター爆弾」を禁止する条約の制定に、国際的なNGOが大きな役割を果たしてきたからでした。

大量破壊兵器の中で唯一国際法で禁止されてこなかった核兵器。ICANはこの核兵器を禁止する条約をつくろうと、インターネットやSNSを駆使して世界中のNGOと連携し、条約に賛同する国を少しずつ増やしていったのです。

核兵器を保有する国やその核に守られた国は強く反発したものの、条約はことし7月、122の国と地域の賛成で採択されました。

折しも北朝鮮が核兵器の開発を推し進め、これにアメリカが軍事力の行使も辞さない構えを見せる中、ノーベル平和賞の選考委員会は「世界はいまかつてないほど核兵器が再び使われるおそれがある。核兵器がもたらす壊滅的な結末に注目を集め条約の採択に尽くした努力をたたえる」と、ICANの功績を評価しました。

事務局長は35歳の母親「子どものために核兵器廃絶を」

2014年からICANの事務局長を務める、北欧スウェーデン出身のベアトリス・フィンさん(35)。

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私が初めてベアトリスさんに出会ったのは2015年、ニューヨークの国連本部で開かれたNPT=核拡散防止条約の再検討会議でした。各国から集まったICANのメンバーを前にマイクを取る姿や、会議に参加する各国の外交官と堂々と渡り合う姿に、とても芯の強い女性リーダーだという印象を受けました。

しかし、なぜ核軍縮に取り組むことになったのか、じっくり話を聞いたことはありませんでした。その素顔に迫ろうと、先月スイスのジュネーブにあるICANのオフィスを訪ねました。

国連のヨーロッパ本部にほど近いのどかな町の一角にあるビルの1室で、3人ほどしかいないスタッフが世界中のNGOと連絡を取り合い、核兵器禁止条約への賛同を求める活動を続けていました。

ベアトリスさんに活動の原点についてたずねると、幼いころ母国スウェーデンで世界各地の紛争や貧困から逃れてきた移民や難民の子どもたちと接したことが、その後NGOに身を投じるきっかけになったと話してくれました。

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「7歳の時に突然バルカン半島から多くの子どもたちが転入してきました。彼らにはたくさんの悲しい物語があり、いろいろな紛争の話を聞きました。革命から逃れてきたイランの友人、干ばつから逃れてきたソマリアの友人もいました。世界で起きているさまざまな問題をとても身近に感じるようになったのです」

その後、イギリス・ロンドンの大学院で法律を学び、ジュネーブに移って人権問題に取り組むNGOで働き始めました。この時、核軍縮を話し合う国際会議に参加して、ひとたび使われれば取り返しのつかない結果をもたらす核兵器を各国が「核抑止」の名をもとに保有し続けている現状に、強い疑問を抱くようになったといいます。

世界のNGOが対人地雷やクラスター爆弾を禁止する条約を成立させるのを目の当たりにしたベアトリスさんは、核兵器を禁止する条約の制定に向け活動するICANに参加したのです。

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「スイスやアメリカの立派な会議室に座って、何千人もの人々を無差別に殺害してしまう大量破壊兵器について、現実とは全くつながらない議論が続いていました。政治家の行動を待っているわけにはいかず、いまこそ自分が取り組まなければならないと思ったのです」

世界のNGOとの調整や活動の資金集めに日々奮闘するベアトリスさん。私生活では6歳の女の子と3歳の男の子の母親です。午後3時半に勤務を終えると、長女と長男を学校や保育園に迎えに行き、スーパーマーケットで夕食の材料を買い込んでから、帰宅します。

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家に帰っても、次々とNGOのメンバーから連絡が入り、私が訪れた日もわずかな時間でメールのやり取りをして、手際よく仕事を進める姿に驚かされました。

それでもその合間に、友人のSNSをチェックし、ほほえましい動画や写真がアップされていればくすくすと笑って、「30代の普通の女性」らしい姿も見せてくれました。

そして、子どもが生まれたことで以前にも増して核兵器をなくしていく必要性を強く感じるようになったと話してくれました。

「子どもができたことで、人々が幸せに暮らせる安全な世界を作らなければという気持ちになりました。出産前からこの問題に取り組んできましたが、今はより一層重要な問題になりました。私たちの世代だけでなく、次の世代のことを考えるとがんばることができます」

唯一の日本人国際運営委員「日本の矛盾と向き合って」

ジュネーブから遠く離れた東京にも、ノーベル平和賞に選ばれたICANのメンバーがいます。

10人いる国際運営委員の中で唯一の日本人、川崎哲さん(49)。ノーベル平和賞の授賞式を目前に控えた今月5日も、ベアトリスさんやほかのメンバーたちと電話会議をしていました。

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川崎さんは、東京大学法学部を卒業後、同級生の多くが中央官庁や法曹界に就職する中、自分は社会の底辺にある問題と向き合おうと、ホームレスや外国人労働者を支援する活動を始めました。そして夜間は障害者の介助をする仕事をして、生計を立てる日々だったといいます。

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しかし、5年にわたって昼夜問わず仕事や市民運動を続けたことで体力も財力も限界に達し、一時は体調も崩して、生き方を思い悩むようになったといいます。

そんなとき、核兵器廃絶に向けた調査や研究を行うNPOを立ち上げようと声がかかり、以来20年近くにわたって核軍縮の問題に取り組むことになりました。

そして7年前、ICANに加わりました。

活動を続ける中で、川崎さんが常に疑問を感じてきたのが、核軍縮をめぐる日本政府の姿勢です。

「アメリカの核兵器あってこそ日本の安全がある、こういう考え方にずっと支配され続けて、維持しているわけですよね。それで、日本は核兵器廃絶を訴えている唯一の戦争被爆国ですと。この2つがあまりにも相いれないわけですよね」

川崎さんはICANの日本の窓口として、広島や長崎の被爆者の声が世界に届くよう、力を尽くしてきました。被爆者の体験を世界が共有することが、核兵器の禁止につながると信じてきたからです。

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核軍縮を議論する国際会議に大勢の被爆者を送り出し、各国の政府代表がその証言や思いを聞く機会をつくってきました。

長崎で被爆し核兵器禁止条約の署名活動を続けてきた日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の木戸季市事務局長は、川崎さんについてこう話しています。

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「私たちの意見を聞いてくれたりしながら、ICANが設定する場に必ず被爆者が参加できるように尽力してくれた。被爆者にとって頼りになる人というのは川崎さんだ」

一方で日本政府は、「北朝鮮の核・ミサイル開発の脅威が迫る現状では、アメリカの核抑止力に頼らざるをえない」として、核兵器禁止条約にも終始反対の姿勢を貫いてきました。

川崎さんは、被爆者や市民団体のメンバーとともにたびたび外務省を訪れ、日本こそ禁止条約を推進すべきだと訴えてきました。

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「昼間、外務省とのやり取りで、核兵器禁止条約には賛成できないってさんざん言われて、夜、家に帰ると中学生の息子の社会や歴史の教科書に、日本の外交方針の優先事項は、核兵器廃絶って書いてあるんですよ。本当にたまげますよ。息子がそういう教科書で教わっているということは、今でも多くの子どもたちが日本は核兵器廃絶の先頭を切っていると思っているわけですよね」

ノーベル平和賞に選ばれたあと、川崎さんのもとには全国から講演や取材の依頼が殺到するようになりました。川崎さんはいま、核軍縮をめぐる日本の矛盾に満ちた状況と向きあい、ともに答えを探していこうと、若者たちに呼びかけています。

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「北朝鮮の核が怖いからアメリカの核のもとで守ってもらうしかないという古い考え方をずっと続けていることが、本当にいいのか。そこを悩んでほしいし、考えてほしい」

私がインタビューした翌日、川崎さんはノルウェーへと旅立ちました。ベアトリスさんとともに、ノーベル賞の授賞式に出席するためです。2人はおよそ8000キロ離れた日本とスウェーデンの全く異なる環境で生まれ育ちながら、安全保障の名のもとに核を持ち続けること、核で守られ続けることに、同じように疑問を持ち、核兵器の禁止に向けた行動を起こしてきました。

「核兵器を禁止する活動など荒唐無稽だ」と批判されながらも地道に活動を続け、条約の採択にこぎ着け、ノーベル賞も受賞することになったICAN。

ひとりひとりの力は小さくとも、同じ志を持つ世界の人々が手を携えれば大きな力となることを、私たちに示してくれました。

古山彰子
国際部記者
古山彰子