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私たちの日常から天気予報が“消えた”日

私たちが毎日、目にする「天気予報」。これから本格的な梅雨のシーズンを迎え、日々の天気の確認だけでなく、命を守るための防災情報として活用する機会も増えると思います。今から142年前の明治8年6月1日に今の気象庁に当たる「東京気象台」が設立されて以来、天気予報は飛躍的な進化を遂げてきました。しかし、かつては日常生活から消えたことがありました。(社会部・加藤大和記者)

進化し続ける天気予報

近年、台風や大雨、猛暑など極端な気象現象が頻発し、洪水や浸水、土砂災害などが相次ぐ中、気象庁や気象会社が発表する天気予報は重要性がこれまで以上に増しています。
気象庁では予報精度の向上のため、さまざまな技術革新を続けてきました。例えば、気象衛星による観測では大気や雲の流れ、それに水蒸気量などを測定できるほか、衛星からは最短で2分半に1度、日本を含む世界各地の画像が送られてきます。沖合にある台風など、陸地の観測では予測が難しい現象でも、詳細なデータを基に進路や勢力などを予報することができるのです。

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気象庁はさらに、ことし7月から、洪水や浸水の危険性を地域ごとに細かく4段階に色分けし、上流で降った雨が下流に及ぼす影響などを伝えて迅速な避難などにつなげるための情報も、新たに発表することになっています。

戦争で軍事機密に

私たちの生活や命を守るため、今や欠かすことのできなくなった天気予報ですが、かつて、私たちの生活から姿を消したことがありました。
NHKに残されている昭和16年12月8日の番組表では、放送される予定だった「天気予報」の欄に二重線が引かれ、消されています。この日は、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まった日です。

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なぜ、この日から天気予報が流れなくなったのか、その答えは気象庁に写しが保管されていたある文書にありました。この文書は、陸軍と海軍から当時の中央気象台長・藤原咲平に対して出されたもので、「直ちに全国気象報道管制を実施すべし」と記されています。「気象管制」とは気象に関わる情報を制限するという意味です。これは、天気予報が軍事作戦と密接に関わっていることが理由です。たとえば、空気が乾燥し風が強いときに焼い弾を落とせば、火が燃え広がりやすくなるほか、上陸作戦には波の高さが大きく影響します。このため、敵に絶対に知られてはならないとして、軍事機密となり、国民からも隠されたのです。

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命を守る天気予報 伝えられない事態に

天気予報が隠されたことで、国民の命が脅かされる事態が起きていました。
東京・狛江市に住む気象庁の元職員、増田善信さん(93)は、16歳だった当時、今の京都府宮津市にあった測候所で気象観測や天気予報の作成などにあたっていました。

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観測地点や風向、風速、それに気温などの観測データは、5桁の数字をいくつも並べてやり取りするのが、当時も今も変わらないルールで、増田さんがいた測候所でも毎日、それを基に天気図を作成し、天気予報を発表していました。
ところが、開戦を境にデータはすべて暗号化されました。開戦の日、増田さんが勤務する測候所の所長は、金庫の鍵を開けて中から真っ赤な表紙の分厚い『乱数表』を取り出し、暗号を解読するよう伝えました。送られてきた数字に乱数表に書かれた数字を足すと、本来の観測データがわかる仕組みに変わったのです。

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さらに、それを基にせっかく作った天気予報を住民に伝えることも禁止されました。増田さんによりますと、それまで天気予報は気象台の屋上に立てた旗の色や、気象台の前の道路に立てた看板を使って住民に知らせていましたが、これが開戦を契機にできなくなりました。
特に日本海は、冬場に海が荒れやすく、天気予報が命綱となります。地元の漁師からは『どうして天気予報を教えてくれないんだ』と詰め寄られたこともあったといいます。
増田さんは「極めて厳しい気象現象が起こる可能性があると思われるようなときに教えられないっていうのは、本当に心苦しかった」と話していました。

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消えた天気予報 失われた多くの命

天気予報が隠されたことで、多くの命が失われる事態も起きました。
開戦の翌年の昭和17年8月下旬に九州の西海上を北上して、九州北部に上陸した「周防灘台風」。高潮や暴風、大雨により、西日本の各地で大きな被害が発生しました。気象台は厳重な警戒が必要だとして九州に接近する前から暴風警報を発表しました。ところが、軍はラジオや無線、新聞による伝達を禁止し、台風が上陸するまで許可しませんでした。

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大きな被害が出た地域の一つ、山口県宇部市に住む大亀恆芳さん(83)は、当時、8歳。昼すぎから雨や風が急激に強まったのを今でもよく覚えています。夕方になって風は一層強まりましたが、天気予報が隠されていたため、何の情報もありませんでした。そこで、夕食を取ったあと部屋で休んでいたところ、午後8時ごろになって、突然、近くの住民から堤防が決壊したという知らせが届きました。家にいた両親と姉二人、それに生後3か月の弟と、着の身着のままで避難を始めたところ、通りかかった田んぼで、高潮が流れ込んでくるのを目撃しました。田んぼの稲穂は、収穫前で、高さ1メートルくらいありましたが、高潮はその10センチか20センチほど上まで高さがあり、すごい勢いで大亀さん一家の方向へ向かってきたといいます。
恐怖の中、あわてて近くの高台へ駆け上がり家族全員、すんでのところで難を逃れました。このとき、暗闇の中から「助けてぇ!!」という大きな叫び声を聞きましたが、暴風雨の中、誰も助けに行くことはできませんでした。大亀さんの住む地域では、家族全員が高潮に流され犠牲になった家もあったということで、軍の都合が優先された結果、多くの人の命が危険にさらされ、犠牲者は山口県を中心に1100人以上に上りました。

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大亀さんは、あのとき、天気予報がきちんと伝えられていれば多くの命が助かっていたと考えています。今も毎日、朝昼晩、テレビの天気予報を欠かさず見ているほか、郷土の歴史や文化を小学生に伝える出前授業の中でもみずからの体験を語り、事前に防災情報をきちんを入手して、いざというときの準備をしておくことが大切だと伝え続けています。
大亀さんは、「当時は情報が全くなくて本当に恐ろしく、あの日のことを忘れることはできない。もし今、天気予報が無くなったら大変なことになる。平和な日本の状況がこれからもずっと続くよう願っている」と話しています。

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“平和の象徴”の天気予報 当たり前の意味を考える

天気予報は世界およそ200の国と地域で共有する観測データを基に作られていますが、世界では天気予報が隠される事態がたびたび起きていて、朝鮮戦争やイラク戦争などでもデータに空白ができました。
今も戦争や武力衝突によってデータが入らなくなる事態が発生していて、中東・シリアではデータの数が内戦が始まる前の半分以下に減っています。複数の専門家によりますと、戦闘で機器が破壊されるなどして観測ができなくなっていると考えられるということです。

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気象庁の元予報官で青山学院大学非常勤講師の饒村曜さんは、「大気に国境は無く、世界どこでもつながっていて、どこか1つのピースがかけると次第に影響が広がって地球全体の予報の精度に影響が及びかねない。気象観測は各国が協力して行わなければならない最たるもので、天気予報や防災情報は、実は、平和の象徴でもあるということを認識する必要がある」と指摘しています。

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太平洋戦争当時、暗号化されていた観測データは終戦と同時に元に戻され、1週間後にはラジオの天気予報が徐々に再開しました。今回の取材では複数の気象庁の元職員の方にお話を伺いましたが、どなたもラジオから流れてくる天気予報を聞いて、「戦争が終わったんだ」と実感したと話していました。
私たちがふだん、何気なく利用している天気予報には、一方で、「軍事情報」としての側面があり、ひとたび戦争などの事態になった場合にはその側面が現れ、私たちの前から姿を消しかねないという危険性のあることを今回の取材で強く感じました。戦争の無い、平和な世界だからこそ、天気予報や防災情報に当たり前のように接することができるということを今、改めて考える必要があると思います。

加藤大和
社会部
加藤大和 記者