G7サミット 日本ではこれまでに6回開催

1979年の東京サミット

サミット=主要国首脳会議は、国際社会が直面する政治や経済、それに、地球規模の課題などについて、首脳どうしが意見を交わすため、日本を含む主要国が持ち回りで、毎年、開かれる国際会議です。1975年にフランスで第1回の会合が行われ、日本ではこれまで6回、開催されています。

①東京(1979年・昭和54年)

日本で初めてのサミットは、1979年、東京の迎賓館で開催されました。当時の大平総理大臣が議長を務め、アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、カナダの7か国の首脳と、EU=ヨーロッパ連合の前身であるEC=ヨーロッパ共同体の委員長が参加しました。

当時の大平総理大臣

前の年にイランで起きた「イスラム革命」の影響で、イランの石油の生産量が激減し、OPEC=石油輸出国機構が石油価格の値上げを発表する中、「第2次石油危機」への対応が最大のテーマとなりました。参加国は、石油の消費量や輸入量の上限をめぐって協議を行い、具体的な数値目標で合意しました。

②東京(1986年・昭和61年)

日本で2回目のサミットは、1986年に東京で開かれました。主要7か国が参加し、当時の中曽根総理大臣が議長を務めました。

1986年の東京サミット

各国がドル高の是正で一致した、前年の「プラザ合意」を受けて、世界的な経済や為替などの政策を話しあう場の必要性が高まり、財務相・中央銀行総裁会議を創設することで合意しました。財務相・中央銀行総裁会議は、この年から、毎年開かれることになりました。

③東京(1993年・平成5年)

3回目は、1993年、ソビエトの崩壊から2年後に、東京で行われました。議長は、当時の宮沢総理大臣が務めました。国際社会に、ソビエト崩壊の影響が残る中で、新生ロシアや東側諸国への支援のあり方や、核兵器の管理などがテーマとなりました。サミット終了後には、日本を訪問していたロシアのエリツィン大統領を加えた「G7+1会議」が開かれます。

そして、翌年からは、ロシアが「パートナー」としてサミットの議論に参加するようになり、1998年に正式にロシアが加わって、サミットは「G8」となりました。

④九州・沖縄(2000年・平成12年)

4回目は、2000年の「九州・沖縄サミット」。初めての地方開催という政府の方針を受けて、8つの地域が名乗りをあげ、当時の小渕総理大臣が、基地問題などを抱える沖縄の困難を世界の首脳に知って欲しいとして沖縄県名護市での開催を決めました。議長は、小渕総理大臣の死去に伴い、当時の森総理大臣が務めました。このときは、アメリカのクリントン大統領が、アメリカの大統領として初めて、本土に復帰した沖縄を訪れ、沖縄戦の犠牲者を悼む「平和の礎」を視察したあと、沖縄県民に向けて演説しました。

この中で、クリントン大統領は、在日アメリカ軍基地の大部分を受け入れてきた沖縄県民の負担を和らげるため、基地の整理・縮小に取り組んでいく考えを示しました。一方、当時の大蔵省は、九州・沖縄サミットが開催されることにちなんで、沖縄の守礼門が描かれた「2千円札」を発行しました。

⑤北海道洞爺湖(2008年・平成20年)

5回目は、2008年の「北海道洞爺湖サミット」。第一次安倍政権時代の安倍総理大臣が、みずからが掲げる「美しい国、日本」のイメージにふさわしいなどとして、北海道の洞爺湖地域に決めました。サミットでは、安倍総理大臣の辞任に伴い、福田総理大臣が議長を務め、地球温暖化や不透明さを増していた世界経済への対応が主なテーマとなりました。

2050年までに温室効果ガスを半減するという長期目標を世界全体の目標として共有することなどで合意したほか、原油高騰などで高まるインフレ懸念に強い警戒感を示すなどした「首脳宣言」を発表しました。

⑥三重県伊勢志摩(2016・平成28年)

そして、前回・6回目は2016年、三重県での「伊勢志摩サミット」。2014年に起きたロシアによるクリミア併合を背景に、この年のサミットから、ロシアを除くG7の枠組みでの開催に変わり、「伊勢志摩サミット」もG7となりました。

日本の自然や豊かな文化・伝統を世界のリーダーに肌で感じてもらいたいとして開催地に決定。当時の安倍総理大臣が伊勢神宮で各国首脳を出迎えました。討議では世界経済の持続的な成長に向けた財政出動のあり方などがテーマとなりました。またサミット後、当時のアメリカのオバマ大統領が現職のアメリカ大統領としては初めて被爆地・広島を訪問しました。