“伝説のあの試合で” リネカー(イングランド)

初めてJリーグにやってきた得点王はサッカーの母国イングランドのリネカー。ワールドカップに2回出場し合わせて10得点を決めた世界的なストライカーが名古屋グランパスエイト(現 名古屋グランパス)に加入し、1993年のJリーグ発足を盛り上げました。

リネカーが得点王になったのは1986年メキシコ大会。当時の記録を調べると、得点王となる6点目を決めたのはワールドカップ史に刻まれた伝説の試合でした。
準々決勝、アルゼンチン対イングランド。アルゼンチンのマラドーナによる“神の手”と“5人抜き”。今なお語り継がれる2つのゴールが生まれた一戦です。

写真は“神の手”とのちに呼ばれるマラドーナの先制ゴール。よく見ると、ボールは振り上げた手に当たってゴールの中に吸い込まれていますが得点は認められました。

2点目は“5人抜き”。ハーフウェーライン近くでボールを受けたマラドーナが巧みなフェイントとドリブルで次々と相手を抜き去り、最後はゴールキーパーも抜いて決めました。

2点差を追いかけるイングランドはリネカーが終盤にヘディングシュートを決め1点差に詰め寄りましたが、試合はそのまま終了。脚光を浴びるマラドーナの陰でリネカーは大会を去りました。
あの時代にVAR(ビデオアシスタントレフェリー)のシステムが導入されていたら、マラドーナの1点目は取り消され、“5人抜き”も生まれなかったのか。リネカーが決勝ゴールを決めていた可能性は・・・。こうした“たられば”をあれこれ考えながら振り返るのもワールドカップの楽しみ方の1つでしょうか。
“幸運を呼ぶストライカー”スキラッチ(イタリア)

ジュビロ磐田では1990年イタリア大会の得点王、イタリアのスキラッチが活躍。ジュビロ磐田で出場したリーグ戦78試合で56ゴールを決め得点力の高さを示しました。(1994年〜1997年まで在籍)

のちに日本のワールドカップ初得点を決めるフォワード・中山雅史との2トップは心躍るコンビでした。
ワールドカップでは6得点を決めイタリアの3位に貢献したスキラッチ。しかし、FIFA(国際サッカー連盟)は「ワールドカップが始まる前にイタリア国外で彼の名前を知っている人はほとんどいなかった」と当時のスキラッチを伝えています。ワールドカップの前の年はイタリアの2部リーグでプレー。その後、移籍した強豪ユベントスでの活躍が認められ、初めてイタリア代表に選ばれたのが開幕わずか3か月前。その勢いでワールドカップ出場を果たした25歳は、自国開催の初戦で途中出場し決勝ゴールを決めます。NHKの取材では「イタリア国内でのテレビ視聴率は85パーセントを超えた」という注目の一戦で活躍し、短期間でスター選手へと駆け上がっていきました。

スキラッチがイタリア代表として記録した7点のうち6点はワールドカップでのゴール。大舞台で勝負強さを発揮したストライカーとしてワールドカップ史にその名が刻まれています。
“世界のレフティー” ストイチコフ(ブルガリア)

左利きの「レフティー」として世界にその名をとどろかせたのがブルガリアのストイチコフです。柏レイソルでプレーしたのは1998年からわずか1年程度と短期間でしたが、左足から繰り出す強烈なシュートでインパクトを残しました。
1994年アメリカ大会、当時小学5年生だった私の脳裏にはブルガリアと言えばヨーグルトしか思い浮かばず、サッカーの強豪国というイメージはありませんでした。

ストイチコフ擁するブルガリアは快進撃を続け、準々決勝ではドイツに逆転勝ち。ストイチコフは得意の左足で同点のフリーキックを決め、同国初のベスト4入りに大きく貢献しました。

Jリーグでプレーしていませんが、この大会でストイチコフと並び得点王となったのがロシアのサレンコです。ロシアは1次リーグで敗退しながらも、サレンコは6得点を決め得点王となりました。第3戦のカメルーン戦でなんと1試合5得点。ワールドカップの1試合で1人の選手が決めた最多得点記録として今も残っています。
“世界屈指のミドルシュート” フォルラン(ウルグアイ)

屈強な肉体に眼光鋭いフォルラン。2010年南アフリカ大会で得点王と大会最優秀選手に輝きウルグアイをベスト4に導いたストライカーが2014年にセレッソ大阪にやってきました。
セレッソサポーターの歓待ぶりにフォルランの表情はほころび、ワールドカップで見せた威圧感あふれる姿とのギャップに見ているこちらも和みました。

フォルランといえば、左右両足から繰り出す豪快な“ミドルシュート”。ゴールから離れ、相手守備の網にかからない位置からのシュートが印象的です。南アフリカ大会で残した5点のうち3点がペナルティエリアの外から決めたものです。(流れの中から決めたミドルシュート2点、フリーキック1点)
ペナルティエリアの広さはゴールから見て縦が16.5メートル、横が約40メートル。その外から決めることは簡単ではありません。日本が出場した6大会で決めたゴールは合わせて20。そのうちペナルティエリアの外から決めた得点は「4」です。
“スペイン初優勝の得点源” ビジャ

フォルランと共に2010年南アフリカ大会で得点王となったのがスペインのビジャ。スペインの小気味よいパスサッカーの得点源として、チームの初優勝に貢献しました。

ビジャはヴィッセル神戸で現役生活を終えました。ラストマッチは2020年1月1日、天皇杯の決勝。ヴィッセル神戸が2点リードした後半アディショナルタイム、引退を表明していたビジャが途中出場すると新しい国立競技場に大歓声が響き渡りました。輝かしい現役生活を締めくくる試合終了の笛の音は、同時にヴィッセル神戸にクラブ初のタイトルをもたらす天皇杯優勝を告げました。スペイン代表の盟友イニエスタと肩を組む姿が心に残っています。
日本は1次リーグの初戦で優勝4回のドイツと、そして第3戦でスペインと対戦。過去のワールドカップを振り返ると改めて厳しいグループに入ったことを実感します。