NHKスペシャル 連動企画 “復興ハイウェー”変貌する被災地

今、1本の高速道路が被災地の姿を大きく変えようとしています。東日本大震災の被災地を貫く高速道路、“復興ハイウェー”。国の総事業費は2兆円。2021年3月末までには、青森県八戸市から、三陸の沿岸を通り、福島、そして首都圏までつながります。東日本大震災から9年、変貌する街の姿を追いました。

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陸前高田市

空き地に大手がやってきた

道の駅外観

陸前高田インターチェンジを下りると、ひときわにぎわっている施設があります。2019年9月に開業した「道の駅 高田松原」です。併設されている「東日本大震災津波伝承館」とともに、全国から多くの観光客が訪れる人気スポットになっています。最初の2か月間で20万人が訪れ、震災の風化と共に減っていた観光客は、“復興ハイウェー”をきっかけに予想外の増加に転じました。市の中心部には、新たにショッピングセンターや店ができ、昼時には行列ができるほどのにぎわいをみせています。

広がる空き地

しかし、中心部の周りを見渡してみると、空き地が広がっていて家は数えるほどしか建っていません。あの日10メートルを超える津波が押し寄せ、1715人が犠牲になった陸前高田市は、2度と浸水しない街を作ろうと東京ドーム27個分にも及ぶ広大な土地のかさ上げ工事が続けられています。しかし、工事が長期化するうちにもともと住んでいた住民たちは、津波で浸水しなかった内陸部に生活拠点を移してしまっていたのです。1500億円の費用と8年という月日をつぎ込んだかさ上げ地が空き地のまま放置されることに、市も強い危機感を抱いています。

視察する渡邉会長

そんな中、“復興ハイウェー”をきっかけに空き地の活用に名乗り出る企業も現れました。大手飲食店チェーンは、市から土地を借り受け、循環型の農業を体験できる巨大な農業テーマパークを計画しています。野外音楽堂に農業用ハウス、そしてレストラン。総額60億円かけて2021年3月の一部開業を目指していて、年間の来場者は50万人を見込んでいます。

中心市街地CG

これをきっかけに市は、かさ上げ地の活用方針を大きく転換させました。道の駅と農業テーマパークの集客力に期待して、道路沿いの宅地を商業地に用途変更させ企業や店舗を呼び込もうと考えたのです。こうした中、大手ビジネスホテルが事業化を目指すことを決めました。

仮設商店街で飲食店を営む太田明成さん

大手が相次いで進出する一方で、元々の商店主の中にはかさ上げ地に戻れない人もいます。仮設商店街で飲食店を営む太田明成さんは、資金不足によりかさ上げ地に戻る計画を断念しました。中心部が再生するにつれ客足も遠のき、売り上げは半分に落ちこんでいるといいます。なんとか商売を続けようと、2月からは道の駅に地元の食材を集めた弁当の販売を始めました。

太田さん
「観光バスが入ってくるので、まずはそういう人にこういう弁当があるんだなと知って欲しい。不安の方が大きいし余っちゃったけど、少しでも1個でもいいから多く売りたい」

新しい町にもとの住民を呼び戻すことを目指して行われた陸前高田市の復興事業は、ハイウェーの登場によって、大きく変わろうとしています。

山を切り開いて走る高速道路
震災9年メモ:かさ上げ地の現状

被災地で行われたかさ上げ工事は、民有地の利用状況を見ると地域によって大きなバラツキが。陸前高田市の高田地区は24%、気仙沼市の南気仙沼地区は37%。被災の規模が大きく、工事に時間がかかった自治体ほど土地の利用率は低くなっている。

気仙沼市

不漁の町で競争激化

気仙沼市での水揚げ風景

“復興ハイウェー”は、漁港間の距離も一気に縮めました。三陸屈指の漁港、気仙沼では震災前に10万3000トンあった気仙沼の水揚げは6万5000トンまで落ち込んでいます。海水温の上昇や漁業者不足が原因で、被災3県ではいずれも水揚げが落ち込んでいて、少ない魚を巡って業者の競争は激しさを増しています。

電話かける長牛さん

気仙沼をけん引する水産加工会社の工場長は、セリの直前まで他の漁港の相場を確認していました。ハイウェーの開通により、気仙沼から各地へのアクセスが向上。例えば隣の岩手県にある釜石漁港までかかる時間はこれまでの90分から65分へと短縮され、遠くの港からも鮮度を落とさずに魚を調達することが可能になったのです。

輸出用の鰯

三陸中からかき集めた原料は震災後に新たに建てた大型冷蔵庫で保管し、日本では商品にならないような形の小さい魚も海外に輸出できるようになりました。輸出額は年間10億円以上。売り上げは震災前の水準に戻り、さらに勢いを増しています。

寂しいカート

一方で、競争は激しさを増し、廃業や倒産が相次いでいます。震災後、経営を断念する水産加工業者は被災3県で119社にのぼりました。ハイウェーの開通により物流は飛躍的に発展し、地元で長年やってきた小規模な企業ほど存続が難しくなっていると専門家は指摘しています。

宇都宮社長

運送業界の競争も激しくなっています。気仙沼のインターチェンジ近くに全国区の大手運送会社が進出し、独自の輸送網を生かして三陸の水産物を全国に届けようと計画しています。
一方、地元で20年以上、水産物を専門に運んできた運送会社は、水揚げの落ち込みにより売り上げが震災前の7割にとどまり、経営は赤字です。生き残りを図るため、社長の宇都宮博行さんはさらなる赤字覚悟で、名取市のインターチェンジ沿いに新たな運送拠点を設ける予定です。

宇都宮さん
「世の中、変わらざるをえないんだと思いますね。それに乗っていくか乗っていかないか、それが勝つか負けるか。この高速道路は私にとっては命なんですよね。これが私の前に進むきっかけなんですよ」

被災3県水揚げ高比較グラフ
震災9年メモ:被災3県の水揚げ高

被災3県の水揚げ高は依然厳しいまま。宮城県では震災前の7割。岩手県は6割、福島県では2割しか回復していない。基幹産業の水産加工業にとって深刻な影響を及ぼしている。

南三陸町

素通りされる復興の象徴

南三陸ハマーレ歌津

“復興ハイウェー”の利便性によって逆に苦しめられているのが、南三陸町歌津地区にある市場、「南三陸ハマーレ歌津」です。

開業時の風景

2017年に開業してからの1年は、地元復興の象徴として35万人が訪れました。当時はまだハイウェーが整備されていなかった歌津地区。ドライブ休憩に立ち寄る人が多く、地元の人の買い物拠点としても活用されていました。その年の12月には近くに「歌津インターチェンジ」が整備され、さらに多くの観光客が来ると期待していました。

閑散とした店内

しかし、今は訪れる人は9万人と4分の1に減ってしまいました。稼ぎ時の昼間でも、飲食店に客の姿はほとんど見られません。飲食店を営む小野寺敬さんは、その背景には“復興ハイウェー”の整備があると考えています。

小野寺さん
「本当に半分以上客が減ったという感じですかね。あからさまに人の流れが変わりました。大きい町と大きい町の間の素通りするポイントになってしまった」

車窓からのショッピングモール

“復興ハイウェー”は2019年2月、さらに北の気仙沼市内まで延伸したことで、「ハマーレ」は素通りされやすい状況になりました。さらに地元の人も生活道路としてハイウェーを手軽に利用し、ショッピングモールがある石巻市などへ、買い物に出るようになったとみられています。

飲食店を営む小野寺敬さん

地元を元気づけるために、震災後ハマーレに店を出した小野寺さんは、今、瀬戸際に立たされています。

小野寺さん
「このままでは。店を締めるという決断をせざるをえない状況だとは思います」

ハイウェーの地図CG
震災9年メモ:アクセス向上

2020年度末に“復興ハイウェー”が全線開通すると、仙台-宮古の間の移動時間は5時間から3時間へ短縮。人の流れは大きく変わっている。

双葉町

原発の町にインターチェンジ

常磐双葉インターチェンジの看板

2020年3月に開通した常磐双葉インターチェンジ。2022年春に住民の帰還を始める予定の双葉町が、その起爆剤とするべく75億円をかけて建設をすすめてきました。

帰還困難区域の看板

国によって、「帰還困難区域」に指定され、立ち入りが厳しく制限されてきた双葉町は、原発事故による避難指示が出た自治体で唯一、全町民の避難が続いてきました。原発事故から9年経って初めて避難指示が町の一部で解除されました。

双葉町の再建計画CG

双葉町の再建計画は、インターチェンジを起点とする1本の道が柱になっています。ハイウェーと町の中心部を結ぶ「復興シンボル軸」を中心に、「農業再生地区」、「居住の拠点」、「産業団地」を整備し、5年かけて人口2000のコンパクトタウンを作ることを目指しています。元々の住民7000人の3割ほどの規模です。

中央アスコン外観

産業団地にはこれまでに17社が進出を決定しています。2019年暮れに真っ先に創業したのがアスファルト工場です。復興工事でアスファルトの需要が急増すると見込んでいます。

大手道路舗装会社から集めた従業員たち

しかし、従業員の確保が課題になっています。原発事故前にいた従業員20人は避難でちりぢりになり、戻ってくるように呼びかけても、応じる人はいませんでした。今回、共同運営者になった大手道路舗装会社の力を借りて、全国の工場から転勤の形で集め、しのいでいます。

人口増減CG
震災9年メモ:人口減少

双葉町に先がかけて避難指示が解消された周辺の自治体では、もともと町にいた住民の帰還が思うように進んでいない。住民の数が事故前の人口を大きく下回り、浪江町、富岡町、大熊町は10分の1以下にとどまっている。

富岡町

入れ替わる住民

インターチェンジの混雑

朝7時の常磐富岡インターチェンジでは、仕事に向かう車の列が途切れることなく続いていました。料金所では混雑を緩和するために、2018年に1レーン増設したほどです。原発に近く、インフラも整っている富岡町は廃炉と復興工事の拠点になっています。

アパート建設現場

町の中心部で目に付くのは、真新しいアパートの数々です。新築件数はこの3年でおよそ100棟で、部屋の数は1000部屋を超えます。廃炉や復興に関わる仕事でやってくる単身赴任の人の住宅へのニーズは高く、建設ラッシュが続いています。

地価上昇率CG

住民の帰還が思うように進まない一方で、原発周辺の自治体の地価は上昇していて、中でも富岡町の地価上昇率は2.9%と2019年度に福島県内で1位を記録。廃炉や復興需要をあてにした投資マネーも流れ込んでいて、地価の上昇を後押しています。

富岡町で生まれ育った上神谷久平さん

一方、もとの住民の中には土地を手放す人が増えています。富岡町で生まれ育った上神谷久平さんは、2019年10月に先祖代々受け継いできた土地を売却しました。避難先のいわき市に中古住宅を購入し、独立した子も町に戻る意向はありません。2021年4月に固定資産税の減免措置もなくなることから、売却を決断したといいます。

上神谷さん
「住みやすい町で、人のつながりとかそういったものがずっと続いていくはずだったんだけれど、糸が切れちゃったというか。もう元に戻らないですからね。非常に残念ですね。」

無人の中央商店街
震災9年メモ:入れ替わる住民

住民の帰還から3年が経った今、富岡町の商店街で店を再開したのは約50軒中1軒だけ。新住民の比率は高まり続け、今では町内に住む1200人の半分を新住民を占めるように。

震災から9年。“復興ハイウェー”によって、急激に動き出したヒト、モノ、カネの流れは、被災地の外の人たちをも巻き込んだ大きなうねりとなっています。国の定めた復興期間は10年間を迎え、“インフラなどハード面は整いつつあります。しかしその復興は誰のためのものか、“復興ハイウェー”は被災地のものとなるのか、それが問われています。NHKスペシャル「シリーズ東日本大震災 “復興ハイウェー” 変貌する被災地」は3月11日(水)午後8時から放送します。(NHK総合)

取材:井上浩平・平浩史 制作:成田大輔