福祉避難所 活用の課題は

災害が起きた時、高齢者や障害者など、生活に特別な配慮が必要な人たちを受け入れる「福祉避難所」という避難所があります。
東日本大震災では一般の避難所で高齢者や障害者などが体調を崩すケースが相次ぎ、国は、適切な介護や医療を受けられる施設を「福祉避難所」として整備するよう自治体などに求めてきました。
岩手県内でも「福祉避難所」の整備が進んできましたが、いざという時、本当に避難させられるのか、課題も出ています。自治体や福祉施設の模索を取材しました。
(取材:NHK盛岡放送局 梅澤美紀)

東日本大震災 全盲の男性の2週間

中村亮さん

釜石市のしんきゅう師、中村亮さん。目が不自由です。
東日本大震災では、近所の人たちに助けられながら一般の避難所に逃げました。そこは、初めて訪れた寺院。避難生活は、目の不自由な中村さんにとって過酷なものでした。

一般の避難所で2週間過ごした中村亮さん

一番困ったのはトイレです。断水しているなか、自分で沢水をくんで流すほか、使った紙を袋に捨てるルールになっていましたが…。

中村亮さん
「ちょっとまずいなと思いましたね。見えないと、ビニール袋の口がどこなんだか、手探りで探さなくちゃならない」

実は当時、通い慣れた市の福祉施設が障害のある人の避難を受け入れていました。中村さんはこうした情報にも気づくことができませんでした。

中村亮さん
「市から出ているお知らせがあるようなんですけれどもね、文字で壁に貼られているようだったんですよね。それだって目が見えないから読めない」

福祉施設の受け入れを知ったのは2週間後のこと。避難生活に限界を感じ、「もしかしたら移れるのではないか」と思い立って自分で電話をかけたことがきっかけでした。施設で働く顔見知りの職員が調整を行い、ようやく移ることができました。

中村亮さん
「普通の避難所ではいつまでももたない。体調がおかしくなったりすることもあり得ると思うしね。地域の障害のある方はどなたがいるのかという事をまず確認してもらうことが大事だと思いますね」

福祉避難所 ガイドライン改定も…

障害のある人たちが避難先で不自由を強いられないよう、国はおととし、福祉避難所のガイドラインを改定。

福祉避難所 ガイドライン 改定内容

自治体に対し、受け入れが必要な人を把握し、どの福祉避難所に逃げるのか事前に調整しておくよう求めています。
久慈市でも障害のある人などを具体的にどう把握し、どう避難させるのか、検討が始まりました。

この日、集まったのは対象となる障害者などを日常的に訪問しているケアマネージャーたちです。市は今、在宅の要支援者を災害時にどう避難させるかあらかじめ決めておく「個別避難計画」作りに、ケアマネージャーに参加してもらえないか協力を呼びかけています。この「個別避難計画」は、福祉避難所を必要とする人を把握し避難先を調整するうえで有効な手段として、国のガイドラインでも活用が促されています。

ケアマネージャーたちと意見を交わしたところ、いざというときに誰がどう要支援者を避難させられるのか、不安の声も上がりました。
「利用者さんが(避難所に)行ったってベッドないし。ないっていうのに…」。
「一番のネックは支援者(避難を手伝う人)をどのように把握して協力を得ていくのか」。

さらに福祉避難所からも受け入れの義務を課されかねないと、困惑の声が出ています。

久慈市が行った福祉避難所へのアンケート調査

ガイドラインの改定を受けて、久慈市が去年5月、福祉避難所になっている市内の施設に行ったアンケート調査です。
『対応するスタッフの確保に不安がある』『支援者や介護者の同行をお願いしたい』といった声が寄せられました。福祉施設の職員だけでは受け入れきれないという現実が浮き彫りになりました。

久慈市社会福祉課 社会長寿係 滝口康弘 主査
「日常業務やってる中で、いざ災害が起きると利用者の数も増えますのでそういったところで受け入れ体制をどう確保するか。様々な方、支援者、地域の方とか含めて連携が必要になってくるかなと思います」

久慈市は、去年(令和4年)県が発表した津波の被害想定で、県内で最も大きな被害が出ると想定されています。それだけに、障害者や高齢者の避難計画づくりも待ったなしです。来年度(令和5年)は、ケアマネージャーを通じた要支援者の避難計画作りを本格的に進めていくことにしています。

震災経験生かす 福祉施設の取り組み

震災の経験を教訓にした取り組みを行っている福祉避難所もあります。大船渡市の高齢者施設にある福祉避難所では、地域の人たちと日頃から交流することで理解しあい、いざという時は助けあおうと、月に1回ほど、地域の人たちを招いたイベントを開いています。
この日は、味噌を作る催しが行われました。

取り組みのきっかけは東日本大震災でした。
ここは当時、福祉避難所にはなっていませんでしたが、高台にあるため、介護が必要な人も、一般の人も避難してきました。

大船渡市 高齢者施設「後ノ入」 河原明洋 所長
「あれもしなきゃいけない、これもしなきゃいけないとか、当然災害の時なので自分たちの家族の心配だったりとかしなきゃいけないし。それでも支えなきゃいけない人が目の前にたくさんいるっていう状況で八方塞がりだった」

すると、避難者みずから食料を持ち寄って食事を作ったり、避難してきた人の介護も行ったりするようになったといいます。

当時避難した人

当時避難した人
「助け合って暮らした経験から、結びつきを大事にしていこうと。いざというときみんな動くと思うんです。そのつもりで来てますから」

以来、施設では、福祉避難所の建物を地域住民に開放し、イベントや老人クラブの活動などに使ってもらうようにしています。こうした中で、非常時には施設に協力したいという住民も増えています。

味噌づくりに参加した住民
「専門的なことはできなくても、直接はできなくても掃除したり片付けしたりとか、そういうのは協力したり。今もやってる」

大船渡市 高齢者施設「後ノ入」 河原明洋 所長

大船渡市 高齢者施設「後ノ入」 河原明洋 所長
「(震災のとき)わたしたちで想定してた利用者を支えきれない部分が浮き彫りになったので、それを地域の方々に支えてもらったっていうような背景があるので。福祉避難所だから福祉関係者が支援しなきゃいけないっていうよりかは、くくりを設けずにみんなで支え合うっていう気持ちが一番大事だと思いますね」

いつ起きるかわからない災害。誰も取り残されないよう、地域の結びつきを強める模索が続いています。支援を必要とする人と受け入れる施設、その調整を担う行政だけでなく、地域全体で考えていく必要があると思います。