わたしの名刺を大切に持っていてくれた武田さんのこと

わたしは入局1年目の記者です。
3か月ぶりに訪ねたお宅で、自分の名刺が、電話機のあるカウンターに置かれているのを見つけました。

「武田さん、これ、ずっとここに置いているんですか」

「そうだよ。本当にどうしようもなくなったら、電話しようと思って」

取材でたまたま出会った記者を頼らなければならないほどさみしいのだろうか…?

それが気になって、取材が始まりました。(仙台放送局記者 栗岡希)

「1人だよ。誰も相手がいないんだもの」

宮城県東松島市の災害公営住宅で暮らす武田政夫さん(86)。

11年前の津波で51年連れ添った妻・千代子さんを亡くしました。

住まいを失い、仮設住宅での避難生活を経て、8年前に災害公営住宅に入居しました。

東日本大震災で住まいを失った人たちのために整備された住宅です。

2LDKの間取りに1人暮らし。

震災前の地域の人たちとは離ればなれとなり、親しかった友人と会うことはほとんどないといいます。

4日に1回行くというスーパーへの買い物は中古で購入した軽自動車をみずから運転。

そして、1人で食事を作って1人で食べ、午後7時には寝るという生活を続けています。

武田政夫さん
「51年、一緒に生活した女房が突然いなくなるんだぞ。人は支え、支えられつつなんだがな、ところがひとりだから、倒れるんだよな、支える人がいないんだから」

新型コロナに唯一の楽しみを奪われ

武田さんが唯一、楽しみにしていた地区の自治会が開く月1回のお茶会。

武田さん自慢の詩吟を披露できる場でもありました。

しかし、新型コロナウイルスの影響でこの2年開催されず、人々が集う楽しいひとときも奪われてしまいました。

武田政夫さん
「いまは全然ない。1人だよ。誰も相手がいないんだもの。みんな1人。何も、楽しみがないっちゃ」

支援側は財源も人員も減り…

武田さんが暮らす東松島市の社会福祉協議会では、被災した人たちの見守り活動や交流の場づくりにあたってきました。

しかし、震災の発生から10年が過ぎた今年度、財源も人員も昨年度に比べ半減。
武田さんが暮らす災害公営住宅の見守り活動は去年3月で終了しました。

武田さんのところを含め、一部の地区では民生委員による月1回の訪問に切り替えましたが、地域の民生委員も人数が限られています。

災害公営住宅の廊下

さらに、交流イベントや体操教室などが新型コロナの影響で自粛に追い込まれるなか、オンラインでの支援活動を模索しましたが、住民には高齢者が多く難しかったといいます。

東松島市社会福祉協議会 千葉貴弘 事務局次長
「新型コロナの感染拡大で、安否確認の電話だけでもと一時、取り組みましたが、『顔』が見えないなら電話もいらないという声があがりました。オンラインでの活動も端末操作などが必要で高齢の方にはハードルが高いと感じました」

苦悩する支援の現場

震災から11年。住民の孤立防止が課題となっている実態がNHKのアンケートからも浮き彫りになりました。

NHKはことし1月から2月にかけ、宮城・岩手・福島の各市町村の社会福祉協議会や自治体に対し、災害公営住宅で暮らす住民への支援活動に関するアンケートを行い、29の市町村から回答を得ました。

それによりますと、活動にあてる財源が震災の発生から10年となった昨年度と比べ、今年度『減った』と答えたのは19の市町村で全体の66%、活動する人員が減ったとしたのは18の市町村で62%に上りました。

さらに、新型コロナの影響について聞いたところ、「対面での見守りや訪問活動の頻度を減らした」、「サロンなど交流の場を少なくしたり、規模を縮小したりした」と答えたのはいずれも23の市町村で79%に上りました。

こうしたなか目立ったのが「支援者中心から住民どうしの支え合いへの移行」という意見でした。

住民どうしの支え合いへ

住民主体で支援し合う仕組みづくり。

そのことに取り組んできたのが、宮城県南三陸町の社会福祉協議会です。

外からの支援がなくなることを早くから想定し、被災した住民をボランティアとして登録。

およそ200人が災害公営住宅の見守りや障子の張り換えといった困りごとの解決までさまざまな活動を行っています。

南三陸町社会福祉協議会 高橋吏佳地域福祉係長

南三陸町社会福祉協議会 高橋吏佳 地域福祉係長
「かたい決まりはなくて、『やりたいときにやりたいことを長く続けよう』が住民によるボランティアのコンセプトです。地域で暮らす住民どうしでの支え合いができれば、持続可能なまちづくりにつながりますし、新型コロナの影響があっても活動ができるのではないかと思っています」

ボランティアのひとり、渡邊みつ子さん(80)。

津波で住まいを失い、町内の災害公営住宅で暮らしています。

孤立しがちな住民をできることで支えられればと、地域の清掃活動に誘ったり、交流会を開いたりしてきました。

渡邊みつ子さん
「とにかく住民みんなで外に出て集まって何かをしたいっていうのは常にありますね。とくに1人暮らしの方には『絶対出てきてよ』って言って誘ったりするの」

ことし2月下旬、渡邊さんがボランティアとして参加したのは弁当の配布。

新型コロナの感染拡大前はボランティアも災害公営住宅で暮らす人たちも、みんなで集会所に集まってごはんを作って食べていました。

集まることはできなくても交流の機会はなくしたくないと弁当を配っています。

この日は、感染対策をしながら災害公営住宅の高齢世帯を訪ね、中華丼とデザートの牛乳寒天を手渡しました。

直接の声かけを大切にする渡邊さん。

渡邊みつ子さん
「体調はどう?」

90代の女性には健康を気遣って優しく話しかけます。

90代の女性
「どうもいつもお世話さまです。体調は良好です」

渡邊さんはボランティア活動をすることで、これまで話したことがなかった人たちとも知り合いになれたといいます。

顔を合わせれば「あら、元気?」ということばが交わされるようになり、住民どうしのつながりが自然に生まれていると感じています。

渡邊みつ子さん

渡邊みつ子さん
「私自身、災害公営住宅に入居した時は知らない人たちばかりでやっていけるかなと思いました。でも今は顔を見ればお話をしたり、互いの調子を確認し合ったりしています。特に1人暮らしの方には『何かあったら電話くださいね』と伝えています」

わざわざ から ついでに

専門家は、支援という考え方から平時の支え合いに戻していくことが重要だと指摘しています。

福祉社会学が専門 地域福祉研究所 本間照雄 主宰

福祉社会学が専門 地域福祉研究所 本間照雄 主宰
「住民が主役になってお互いに隣近所という関係のなかで、見守り活動などをやっていくという方向に変わっていかないといけない。“わざわざ”から“ついでに”というのがこれからのキーワードで、住民どうしの“お互いさま”を醸成していく必要がある」

取材後記

電話機のカウンターに自分の名刺を見た日、「本当にいつでも電話してくださいね」と言って武田さんの部屋をあとにしました。

そのときのやり取りで抱いた思いが今回の取材につながりました。

災害公営住宅の閉ざされてしまった場所からかすかに聞こえた声に、少しでも寄り添うことができればと思いました。

顔写真:栗岡希

仙台放送局記者

栗岡希

2021年入局
半年間、宮城県政・仙台市政を担当したあと現在は県警担当
これからも地域の声なき声に耳を傾け発信していきたい