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サイカル研究室

紫式部の“紫”はどんな色?―失われた平安の色を求めて―

紫式部の“紫”はどんな色?―失われた平安の色を求めて―

2024.02.17

「源氏物語」の作者は紫式部だが、「紫式部の紫とはどんな色?」と問われれば、どう答えるだろうか?

 

ひと言で紫色と言っても、青みがかった紫から赤っぽい紫、薄い紫、濃い紫など、紫色には数多くの種類がある。紫式部の「紫」は、現代の私たちが思い浮かべる色と同じだったのだろうか。

 

その紫式部の「紫」を再現しようと、国文学の研究者や伝統的な装束の専門家たちが立ち上がった。

 

1000年の時を経て再現された平安時代の紫色。

 

一体どんな色だったのだろうか?

平安時代の装束「現存せず」?

「源氏物語」は、およそ1000年前、平安朝の貴族社会を舞台に架空の人物である主人公・光源氏とそのゆかりの人たちの姿を描いた長編物語だ。

作者は紫式部。

NHKの大河ドラマ「光る君へ」の主人公にもなっている。

紫式部の肖像 収蔵:実践女子大学

このドラマでも描かれているが、平安時代の朝廷文化の象徴とも言えるのが当時の貴族女性の装束の数々だ。いわゆる“十二単(じゅうにひとえ)”は、桃の節句のひな人形の衣装と言えばイメージが付きやすいのではないだろうか。

ところが、実は平安時代の装束の実物は1着も現存していないという。

もちろん宮中の装束文化は脈々と受け継がれているものの、当時の装束そのものを今、見ることは叶わない。特に色彩については、現物が無い以上、想像するしかないというのが現状だという。

そんな平安の色をよみがえらせようというプロジェクトが、東京にある実践女子大学で5年前から進められてきた。
「源氏物語」の装束を再現しようという試みだ。

左)実践女子大学 横井孝 名誉教授   右)髙倉永佳 客員教授 衣紋道髙倉流26世宗家でもある

集まったのは長年、「源氏物語」を研究してきたスペシャリスト・横井孝 名誉教授に日本古来の装束の研究者で「衣紋道髙倉流26世宗家」でもある髙倉永佳 客員教授、それにさまざまな専門家たちだ。

「源氏物語」の登場人物が着た装束を、できる限り当時の文化や技術に忠実に再現しようというこのプロジェクトを取材した。

「源氏物語」に登場する「紫」とは?

どうやって「源氏物語」の色を再現するのか?

チームが、まず注目したのは「源氏物語」そのものだ。

平安時代から繰り返し写本されることで現代に伝わってきた「源氏物語」。横井さんは、この物語には重要な色が隠されているという。

実践女子大学 横井孝 名誉教授

「源氏物語は光源氏を取り巻く女性たちのドラマといわれていますが、その女性たちのなかでも特別な存在は3人だけです。母である桐壺更衣、光源氏の愛を集めた藤壺の宮、生涯添い遂げた紫の上の3人です。植物の桐や藤はいずれも“紫色”の花を咲かせます。そこに『紫』の上ですから、この物語全体が“紫のイメージ”で包まれていることになります」

平安時代、「紫」は貴族の中でも最も高貴な人しか身にまとうことができない色とされ、貴族なら誰もが憧れる色であった。

「源氏物語」はその「紫」の物語だというのだ。

実は「源氏物語」には決められたタイトルは書かれておらず、古くは「紫の物語」「紫のゆかりの物語」などとも呼ばれてきた。

源氏物語の注釈書「湖月抄」より  収蔵:実践女子大学

紫式部という呼び名も、藤原氏出身であった父の役職から「藤式部(とうのしきぶ)」と呼ばれていたものが「“紫の物語”を書いた藤式部さん」というようなあだ名が付けられ、それが省略され「紫式部」となったとする説が有力だという。

では「源氏物語」の本文には、紫色についてどのように描写されているのだろうか?

ところが横井さんから驚きの事実を聞いた。

「源氏物語」にも装束の色についてさまざまな記述がある。そこで横井さんが、源氏物語の中で、装束を「紫」「むらさき」という言葉で描写している箇所がどれだけあるかを調べたところ、(どの写本かによって異なる可能性はあるものの)装束について書かれた箇所は1か所も無かったというのだ。

「紫」は、いずれも「紫の上」など人の名前か、紙の色などの描写となっていた。

例えば「葡萄色(えびいろ)」と呼ばれる赤みがかった紫のように「紫」そのものでなければ、装束の色として登場する。しかし「紫」の装束については書かれていない。

これについて、横井さんは次のように推測している。

(横井さん)
「紫はきわめて高い地位の人にしか許されておらず、また儀式など紫を着る場面は限られていました。平安時代の読者にとっては、身分の高い人が儀式などで紫を着ることは、当然のことであり、あえて描写しなかったのではないでしょうか」

「紫」の装束についてあえて直接書かなくても、紫式部や当時の読者のイメージの中では、「紫」の装束を身にまとった高貴な姿が思い描かれていたということだろうか。

「源氏物語」の本文を読み解くだけでは「紫」の色の正体に迫るのは難しいことが分かってきた。

絵巻にヒントはあるのか?

国宝「源氏物語絵巻」の模写  画像提供 東京藝術大学日本画研究室

次にチームが注目したのは国宝「源氏物語絵巻」。

源氏物語の成立からおよそ150年後とされるものの同じ平安時代に制作されたという。
失われてしまった部分が多いものの、一部は今も残されている。

絵の中に登場する「紫」の装束にどのような彩色が行われていたかが分かれば、当時を想像する手がかりになるはずだ。

(横井さん)
「現存している源氏物語絵巻はほとんどがカジュアルな場面なので、公式な儀式のときにまとう紫があまり出てきません。上流貴族は儀式のときに紫をまとうのが常ですので、そういう場面が絵巻には残っていないため、残念ながら紫が出てきませんでした」

「紫式部日記絵巻断簡」  「国立文化財機構所蔵品統合検索システム」より画像を拡大して作成

もう一つの絵巻が「紫式部日記絵巻」。

紫式部の日記を鎌倉時代に絵巻にした作品だ。後の時代ではあっても、手がかりになるかもしれない。

注目したのはこちらの女性。「光る君へ」にも登場する源倫子(みなもとのりんし)が、唐衣(からぎぬ)と呼ばれる当時の正装姿で後に天皇になる孫を抱いた姿が描かれている。

髙倉さんたちは、この唐衣の色が「紫」だった可能性が非常に高いと推測した。

実践女子大学 髙倉永佳 客員教授 衣紋道髙倉流26世宗家でもある

「唐衣というのは、当時の第一級の正装を意味します。いまで言えば男性ではえんび服、女性ではローブデコルテというドレスにあたるものです。装束は単にファッションというだけではなく、その人の身分や環境も表すものなので、唐衣の色は紫に違いないと考えました」

しかし、およそ800年の年月は絵巻から紫色を奪ってしまっていた。

長い年月とともに色あせていて、絵巻が描かれた当時、どんな色をしていたのか分からなくなっていたのだ。

謎を解く手がかりとなった「延喜式」

振り出しに戻った「紫」の謎。

最大の手がかりとなったのは意外にも、平安時代の法令集、「延喜式(えんぎしき)」と呼ばれる文書だった。

50巻にわたり儀式や制度の決まりごとを定めた、いわば当時の“法典”だが、この中に「紫」の染め方に関する記述があったのだ。

「深紫」の記述のなかに「紫草」の文字がある   国立歴史民俗博物館 khirin-t デジタル延喜式より

(髙倉さん)
「布や糸を何色に染めて、どのような染め方をしたのかが、記載されています。深紫は『紫草』を使い、酢を使って、灰を使って、ということが細かく書かれていました」。

「延喜式」に書かれた「紫草」は植物の名前。

高貴な身分の人たちが身につけた紫の装束は、「延喜式」から「紫草」を使って染められていたことがわかったのだ。

「源氏物語」の世界でもこの「紫草」が使われていたはずだ。

これで、ようやく紫式部の「紫」を見ることができる、かと思われたのだが、そうは簡単にはいかなかった。

というのもこの「紫草」は古代より貴重な植物で、現在ではほとんど見当たらないという。

平安時代の”紫” いまも栽培続く

そんな「紫草」を今も栽培している数少ない産地の1つが九州にあるという。

プロジェクトチームからの情報を得た私たちは大分県に向かった。

竹田市内で見かけた看板 志土知入口 紫草の里」と記されている

竹田市志土知(しとち)地区。山に囲まれ、のどかな印象もある農村だ。

車を走らせていくと「紫草の里 志土知」という看板が目に入った。

道の先で見つけた神社はその名も“紫神社”。

“紫神社”のそばにあった「紫草」の原産地についての案内板

神社のそばにはこの地が“「紫草」の原産地”であること、火山灰を含む土壌や標高などが「紫草」の生育に適しており、古代から栽培されていたことが記されていた。

「志土知」という地名もかつては「紫土地」だったという。
まさに「紫」に深く結びついた土地のようだ。

そして訪れたのは「紫草の里営農組合」という建物。

「紫草の里営農組合」の事務所

組合の代表理事を務める森道雄さんに話を聞くことができた。
幻の「紫草」、一体どんな植物なのか?

「紫草の畑を見せてください!」(取材班)
「この季節(冬)はもう収穫してしまって畑にはありません」(森さん)
「えぇ・・・」(取材班)

そんな私たちに、森さんは、収穫したあと保管していた「紫草」を見せてくれた。

倉庫の中から取り出したのは、意外なことに植物の根っこ。

「紫草」の根っこ 黒っぽい色をしていた

黒っぽい色で、光の加減か、わずかに紫がかっているようにも見えるが、やはり黒っぽい。

だが、この根こそが、「紫」の染織の原料となる「紫草」の根、「紫根(しこん)」だった。

「紫草」(読み方は「ムラサキ」)は、ムラサキ目ムラサキ科ムラサキ属の多年草で、もともと日本に自生している植物だという。

紫草の花 白い花を咲かせる

ただ、環境の変化などにより、今では絶滅が危惧されている(環境省のレッドリスト2020に記載)。

根腐れしやすく栽培も難しいということだが、森さんたちの営農組合では郷土の歴史を生かした地域おこしの一環として20年あまり前に「紫草」を復活させた。

高齢化が進む中、栽培には手間がかかり、人手も厳しいということだが、森さんは地域の“誇り”だという。

「紫草の里営農組合」代表理事 森道雄さん

「志土知の紫根は日本のなかで最高峰という評価を頂いているので、やはり誇りに思う部分もあります。紫式部が憧れた紫がどんな色だったかは分かりませんが、私たちの紫根を使ったものなら当然、青みが強く、深い紫色だったのではないかと想像しています」

森さんたちの「紫根」が、今回の「源氏物語」装束再現プロジェクトで使われることになった。

紫根で染め上げる”紫” 絞り込み

「紫根」を使った染めを担当したのは、江戸時代から続く京都の染色工房を受け継ぐ、染織家、吉岡更紗さんが担当した。

父で先代の故・吉岡幸雄さんは古代の「紫」の再現の第一人者として知られていた。

紫根染めの様子  撮影:伊藤 信

吉岡さんは、この「紫根」を使い、先代から受け継いだ草木染めの技法を駆使して、糸や生地を「紫」に染めていった。

紫根染めの様子  撮影:伊藤 信

「紫」の糸や生地の見本は、さっそくプロジェクトチームの元に届けられた。

ここから、平安時代の地位に応じた色合いの違いや、重ねたときの色のバランスなど専門的な知見をもとに意見を出し合い、最終的な色が絞り込まれていった。

紫根染めの見本

(髙倉さん)
「コロナ禍でしたが、夜中11時くらいまでオンラインで会議をしていた時期もありました。進め方としては、これにしようと結論ありきではなく、議論の結果を踏まえて徐々に選択肢を狭めていき、最終的にはピンポイントでこれにしようという形で決めていきました」

こうして平安の「紫」を今に再現した「源氏物語」の装束が完成した。

紫式部が“夢見た紫”と“手に届きそうな紫”

再現した「唐衣」 平安時代の正装  撮影:タケミアートフォトス

完成した2つの装束。

1つが、「紫式部日記絵巻」で倫子がまとっていた「唐衣」だ。正装である唐衣は特に高貴な色合いを表現するため、深みを持った紫色に染め上げられた。

「紫根」だけで、ここまでのはっきりした紫を出すのは、簡単ではないという。

再現した「表着」  撮影:タケミアートフォトス

そしてもう1つの「表着(うわぎ)」は唐衣の下に着る装束の1つ。こちらは「源氏物語」に登場する光源氏の妻の1人で、高貴な女性「明石の君」の装束をイメージしたという。

3種類の薄い紫を組み合わせて「紫」の濃淡によって文様が浮かび上がらせた。

「表着」の文様について説明する髙倉さん

「濃い紫の色合いはすぐに決まりましたが、薄い紫をどれだけの濃さにするか、全体のバランスを想像しながら決めていくのがとても難しかったです。結果的に、とてもきれいで鮮やかないいバランスに整ったものが出来ました」

1000年の時を経て現代に再現された平安時代の2つの「紫」。

実は、当時の紫式部の地位ではこうした「紫」の装束を身につけることは出来なかったと考えられている。

紫式部が憧れたのはどちらの「紫」だったのだろうか。

実践女子大学 横井孝 名誉教授

(横井さん)
「紫式部にとって紫はいずれも憧れの対象だったと思います。濃い紫は最上級の色なので、もはや“夢のレベル”ですね。薄い紫であれば場合によっては紫式部にも“手が届くかもしれない”。紫式部もやっぱり一度は(紫を)着てみたかったんじゃないでしょうか」

実践女子大学 髙倉永佳 客員教授 衣紋道髙倉流26世宗家でもある

(高倉さん)
「私たちがいま見ているこの紫が本当に平安時代の色でよいのか、追及していけばいくほどに謎が深まっていき、『これが答えだ』という判断には至らないところが多々ありました。今回の再現は、新たな研究の始まりだと思っています」

プロジェクトチームでは、今回の再現にあたって、美しさではなく、文献や絵巻物を駆使して当時の装束をできる限り忠実に再現することを目指したという。

それでも、平安時代の「紫」が実際にどんな色だったのか、今となっては想像するしかない部分もある。

紫式部が憧れた「紫」はどんな色だったのだろうか。

志土知にある“紫神社”の鳥居と偶然にも空にかかった虹

2024年2月18日(日) おはよう日本で放送

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