「また病院か」。
セキュリティー関係者がため息をついた。ことし1月、愛知県の病院が身代金要求型のコンピューターウイルスに感染した。昨今、あとをたたない医療機関へのサイバー攻撃。厚生労働省は、医療機関向けのガイドラインを見直し、「ランサムウエア」を喫緊の課題とした上で、バックアップの取り方などについて方針を示した。高いレベルのセキュリティーが求められる医療機関。いま、患者の命と情報を守る責任が問われている。
地域医療の現場でまさか…

愛知県春日井市の「春日井リハビリテーション病院」。けがをした人や高齢者などが、治療やリハビリによって日常生活を取り戻すためのサポートを行っている。
そんな地域医療を支える現場がある日突然、「事件」の舞台になった。関係者の誰もが想像していなかったという事態。その詳細が、病院などへの取材で明らかになった。
真夜中に届いた脅迫文

いったい何のことなのか。そのまま文章を読み進めたスタッフはその意味を理解し、顔が青ざめたという。

“非常事態”その時病院は

診察の開始時間は午前9時。
それまでに、病院内のシステムやスタッフが使うパソコンなど、インターネットがつながるすべての電子機器を停止する措置をとった。これ以上の被害の拡大を防ぐためだ。

さらに、電子カルテと連動していた会計システムも使えなくなり、
患者への費用の請求が一時、できなくなったという。
こうした“非常事態”は、およそ1か月に及んだ。その間、医師や看護師は連日残業が続くなど、大きな負担を強いられることになった。
多額の復旧費用まで・・・
そのための費用は数千万円。
さらに、今後は手書きのカルテをシステムに入力し直す作業が必要になるという。完全に復旧するのは、サイバー攻撃を受けてから4か月余りとなる5月末の予定だ。
標的になった原因は?

VPNは本来、病院や企業などのサーバーに外部から安全にアクセスするためのもので、テレワークでも広く活用されている。しかし、このサービスにはぜい弱性があり、そこが狙われた可能性が高いというのだ。
病院が導入していたのは、アメリカの企業が製造したVPN機器。実は、おととしから去年にかけて認証に必要なIDやパスワードが世界中で大量に流出し、問題になっていた。このため、企業側は放置すればハッカーに侵入され、情報を盗み取られるおそれがあるとしてパスワードを変更するなどの対策を取るよう呼びかけていたが、病院はシステムの保守については外部の企業に対応を任せていたため、詳しいことは把握していなかったという。

病院では、電子カルテを管理するサーバーが何らかの原因で使えなくなった場合に備えて、バックアップ用のサーバーを設置していた。ところが、オンラインで管理していたため、こちらもウイルスに感染。その結果、予備の電子カルテのデータまで暗号化されてしまったのだ。
このデータが生きていれば、手書きのカルテ作成に追われるようなことにはならなかったはずだ。
今回の事態を受けて、病院ではシステムのセキュリティーを常に最新の状態にするとともに、バックアップデータを複数保管するなど対策を強化するとしている。

見直し迫られる厚労省

2018年には奈良県宇陀市の市立病院で患者の一部の診療記録が見られなくなるなどの影響が出たほか、去年は徳島県つるぎ町の町立病院で、春日井市と同様に、電子カルテや会計システムのデータなどが暗号化され、およそ2か月にわたり、産科などを除いて新規患者の受け入れを停止する事態となった。
厚生労働省も対応に追われている。医療機関向けのセキュリティー対策について解説したガイドラインの見直しを迫られることになった。

一筋縄ではいかない「バックアップ」
春日井市のケースでもポイントとなった、いわば、復旧の要ともいえるバックアップだ。実は、このバックアップ、医療機関において、一筋縄ではいかない事情もある。
ランサムウエアの場合、院内のネットワークにバックアップデータもオンラインでつないでいれば、ウイルスはそのまま、バックアップも含めて、暗号化されるおそれがあることは、春日井市のケースでも明らかになった。

しかし、医療機関側からは、こうしたバックアップのあり方は「医療になじまない」という声もある。
「患者の状況は刻一刻と変化するため医療データは24時間、365日リアルタイムでバックアップをとっておかなければ意味がない」(医療関係者)からだ。
そこで、ガイドラインでは、医療システムは、医療機関の規模などによって様々であることから「一様に指針を示すこと困難である」と指摘した上で、複数の方法を示している。
具体的には、データを記録する媒体の種類やとる周期、それに媒体をネットワークなどから切り離して保管することなどの対策を列挙した。重要なのは、診療の継続や早期の業務再開のために、必要な情報は、具体的にどこまでを指すのか、事前に絞って明確にしておくことだという。
誰が責任を持って管理をするのか?
システムについて業者が外部からリモートでメンテナンスを行う際は、必ずログ=記録をとったり、終了後、医療機関の責任者が確認したりすることなどを求めている。
医療機関の電子カルテなどのシステムは、インターネットと接続されていないことが多く、それだけに安全とも考えられてきた。一部の専門家は、医療機関にはこうした「安全神話」が存在すると指摘する。
しかし、その一方で、情報化が進んだ現在、院内のシステムは、システムベンダーなどが外部からリモートで接続し、メンテナンスを行うのは珍しいことではない。こうした状況を医療機関側が十分に把握していないケースがあり、そもそも、システムの管理の責任が、システムベンダーとの間で明確になっていない病院も多いという。
厚労省は「医療機関の規模などによってセキュリティーにかけられる予算も違うため、一律に同じ対策を求めることはできないが、それぞれの事情にあわせてさまざまな対策を組み合わせてほしい」と話している。
ほかよりも高いレベルを

しかし、現場では人員もかけられる予算も十分に確保することが難しいという声もよく聞かれる。
ヒントとして、高倉教授があげるのが、定期的なシステムの更新や入れ替えの際に、安全性の高いもの切り替えること、そして、国の方針として進められている電子化カルテのデータの標準化にあわせて、たとえば小さなクリニックであれば、システムをほかの病院と共同で借りたり、クラウドを使ったりするという方法だ。その上で「医療機関がセキュリティーにかけるコストを、だれがどのように負担していくのか、これから議論が必要になる」とも指摘している。
すでに公表されているぜい弱性に対して適切な対応をとらなかったり、認証情報の漏えいがわかっているにもかかわらず、放置していたり…。その「隙」を攻撃者は容赦なくついてくる。
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