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推し研 あなたの知らない究め人

クリーニングの“タグ”が捨てられません “不合理なマイルール”

2021.12.22 :

「クリーニングのタグは捨てずに取っておく」

「郵便受けのダイヤルは必ず“1”にあわせておく」

これは私が生活で守らねばならない「マイルール」の一部です。意味の無いことだと分かっているのに、破ることができません。

 

ある日、困ったルールが生まれてしまいました。

『仕事で失敗した日に着ていたシャツは2度と着てはいけない』

着られないシャツが増え、新しいシャツをどんどん買わねばならなくなりました。

 

「ちょっとおかしくなっているかな・・・」

放っておけば、深刻な状態になっていた可能性がありました。

生活を支配する「不合理なマイルール」

開けたあとは、必ず“1”に合わせておかなければなりません
▼クリーニングに出した服についてくる「タグ」は捨てずにとっておかないといけない

▼郵便受けのダイヤルは必ず「1」にあわせておかないといけない

▼帰り道は、必ず同じ道、放送センター内でも同じ廊下を通らないといけない

▼リビングの照明は、寝るとき・家にいないときでも常に豆電球にしておかないといけない
これはほんの一部です。

マイルールは、生活を続けるなかでどんどん増えています。大学でひとり暮らしを始めてから増える一方です。

自分自身、まったく無駄で意味の無いことだと心底理解してはいます。

でも、ルールを破った瞬間に、何かイヤなコトが起こるような気がして、続けざるを得ないのです。

ルール誕生の瞬間

絶対に2段目!
なぜ、そんな意味のないことを?

あるルールができた時を例にとって説明します。

私の家のリビングの本棚の上から2段目には愛読書・浅田次郎さんの「蒼穹の昴」がしまってあります。

あるとき、棚の整理をしようと思って本を別の段に移動させようとした瞬間、頭の中で事件が起きます。
①まず、これらの本が長い期間ずっと2段目にあったことに思い至ります。

②そして、本当に不合理だと自覚しながら「もしかしてこの本が、ここ(2段目)に長年あったことで、いままで仕事が順調だったのでは?生活が平穏だったのではないか?」という考えが、ふいに頭をよぎるのです。

③瞬時にわたしは「そんなわけがあるか!」と考えを振り切って本を移動させます。でも、一度生まれた考えは、そっと背中に張り付いたまま消えません。

④翌日、本当にたまたま、取材をお願いしていた人から断りの連絡が来たり、原稿でミスをしたり…と良くないことが立て続けに起こります。

⑤そうなると「あ、やっぱり」と“本を移動させたこと”と“良くない出来事”が頭のなかでガッチリとつながり、私は即座に「蒼穹の昴」を本棚の2段目に戻します。
マイルール“「蒼穹の昴」は本棚の2段目に置いておく”誕生の瞬間です。

何も意識せずに続けていたことが、生活に影響を及ぼしていたのでは?という思い込みと、偶然起こる良くない出来事がリンクするということが積み重なり、生活を取り巻くルールがたまっていくのです。

「お金がなくなる・・」生活脅かすルールの誕生

2018年のある日、非常に困ったルールが誕生してしまいました。

「仕事で失敗した日に来ていたシャツは2度と着ない」というルールです。

この年の夏に仙台放送局から東京の科学文化部に異動した私は、新たに担当した医療の分野の取材で手痛い失敗をしてしまいます。

非常に注目されていた研究の進捗に関わるニュースを各社が一斉に報じるなか、その情報を取りこぼしてしまったのです。いま思い出しても胃がキリキリしてきます。

その日、ちょうど前日に新しく買ったシャツを着ていた私は、失敗をなんとかリカバリーしようと右往左往しながら、「もしかしてこのシャツが…」という考えに突如とらわれ、いつもなら「バカバカしい」と思って捨てられる観念が頭の中に固定化して、そのシャツをクローゼットにしまったまま、着られなくなってしまいました。

そしてそれ以降、なにか失敗をするたびにその日に着ていたシャツを着なくなるということが続くようになったのです。
最初に着られなくなった“失敗シャツ”
異動したばかりで、部署内の年齢も一番下だったわたしは、とにかくいろいろ失敗しました。

日々、着られないシャツが増えていき、そうすると仕事で着る服がなくなってしまうため、どんどん新たなシャツを買わねばならなくなりました。「失敗」の定義もどんどん厳しくなっていきます。

1着3000円くらいのシャツですが、失敗をするたびに買うのが儀式のようになってしまいました。「失敗した自分が罰金を払うことは理にかなっている」というようなおかしな感覚も持つようになっていきました。

もう、ジンクスを気にするという次元の話ではありません。

このまま続けば、お金がなくなってしまいます。

「さすがにこのままではマズいな」と思い始めていました。

え・・・?これって病気なの? 「強迫症」

そんなとき目にしたのが、「強迫症」を特集している新聞記事でした。

症状の定義をみると「自分でもつまらないことだとわかっていても、そのことが頭から離れず、わかっていながら何度も同じ確認などを繰り返すなどの症状」と書いてあります。

「まさに、これはいまの自分に当てはまっている」

「強迫症」について正確に理解していなかった私は、自分の症状が当てはまっていることに衝撃を受けました。

急いで厚生労働省のサイトも見てみました。

すると強迫症について主な症状は「強迫観念」と「強迫行為」の2つとありました。
▼「強迫観念」…頭から離れない考え。不合理だとわかっていても、頭から追い払えない。

▼「強迫行為」…強迫観念から生まれた不安にかきたてられ行う行為のこと。無意味とわかっていてもやめられない。

代表的な症状(抜粋)
▼「不潔恐怖と洗浄」汚れの恐怖から過剰に手洗い、入浴をくりかえす。ドアノブなど不潔だと感じるものを恐れて、さわれない。

▼「儀式行為」自分の決めた手順でものごとを行わないと、恐ろしいことが起きるという不安から、どんなときも同じ方法で仕事や家事をしなくてはならない。
儀式行為などについては、そのまま自分のことが書いてあるような感じでした。

メンタルヘルス関連の症状があると自覚するというのは、正直に言ってかなり受け入れにくいことでした。しかし、放置しておくとどんどん悪化していくということもわかり、不安になりました。

克服のきっかけは“コラム”

日本精神神経学会 WEBサイトより
そんな、私の転機になったのが、あるコラムとの出会いでした。

書いたのは、兵庫医科大学の松永寿人教授。

強迫症の症状への対応として、認知行動療法のひとつ「曝露反応妨害法」が紹介されていました。
「不安を軽減するために行ってきた強迫行為を、衝動が下がるまで止めるよう我慢する。『逃げない、繰り返さない』を継続的に練習し身につけること」
「たったそれだけ?」と感じましたが、治療のガイドラインなどを見てみると、正しく行えば症状を改善する効果があることが精密な臨床研究でも実証されているとのことでした。

この方法を、自分のルールに当てはめて実践することにしました。

私の場合、「仕事で失敗するかもしれない」という不安を避けるために繰り返していた「失敗した日に着ていた服を2度と着ない」という行為。

これを我慢して、失敗した日のシャツを着て仕事に行く!ということにします。

ごく単純なことなので、すぐにやってみよう!と思ったものの、どうしてもそのシャツには手が伸びず…

そんなことを繰り返して、1か月あまり経ったある日。

意を決しました。

最初に選んだのは、比較的小さい失敗をした日に来ていたシャツでした。

すると…(本当に当然のことなのですが)何も起こりません。

1週間、日を置いて今度は別の着られなくなったシャツを着て出勤。

…それでも何も起こりません。

これを何度も繰り返して、3か月くらいたったある日、わたしは異動直後の、手痛い失敗をしたときに着ていて「もう2度と着るものか・・・!」と心に決めていた「あのシャツ」を手にします。

袖を通すのはあの日以来です。

その日に書いたニュース原稿は、いつもの10倍くらい、間違いがないか何度も何度も確認したことを覚えています。

結果、当日も次の日も、全く悪いことは起こりませんでした。

「マイルール:仕事で失敗した日に着ていたシャツは2度と着ない」を廃止できた瞬間でした。何を大げさなと思うかもしれませんが、私にとっては大きなことでした。
いまでは、着ていくシャツにルールはありません。

クローゼットもかなりすっきりしました。

教訓は“早期発見と治療が命”

兵庫医科大学 精神科神経科学講座 松永寿人 主任教授
今回、この記事を書くにあたって松永さんに改めて話を聞きました。
当時の私の状態について説明すると・・・
ちゃんと診断しないと正確なことは分かりませんが、聞く限りでは“かなり黒に近いグレーゾーン”。ギリギリのところで、自分で認知行動療法を取り入れて、踏みとどまったケースだと思います。そこで踏みとどまらなかったら、将来本格的な治療が必要な状況まで悪化していた可能性がある。その分岐点の手前で、必要な対処ができたケースではないでしょうか。
先生のコラムのおかげです…。

松永さんは「今回のあなたのケースは多くの人に知ってほしい」といって、こう続けました。
症状が悪化すると、催眠状態というか、なにかの行為が不吉な結果に繋がるかもしれないと感じることの不合理さを認識しにくくなる。自分を客観的にみる力が失われ、不合理なことを繰り返す行為が修正できなくなります。

あるときひとつ「不安」が芽生え、その不安に対する安心行動としての「繰り返し」行為があらわれ、その行為を繰り返すことで、さらに不安が募り、その不安に対応するために行動が増え…というのが典型パターン。続ける内に生活に支障が出るレベルまで悪化してしまいます。

強迫症の患者は全人口の2%くらいと言われています。でも水野さんのような“グレーゾーン”の人はもっと多いのは間違いない。そこから病気の世界に踏み込んでしまうのかどうかは、どれだけ早いうちに気付き、修正できるかにかかっているのです。

実は、私も“強迫?”だった 無駄を作るのが苦手

WHO=世界保健機関の「ICD(国際疾病分類)」の改訂や、米国の精神疾患の国際的な診断基準「DSM-5」の策定にも携わった松永さん。

国内でも強迫症研究・治療の第一人者として知られています。

精神科の世界でも統合失調症やうつ病などの領域に比べ、強迫症の治療研究を専門にする医師はあまり多くありません。

この領域に深く関わるようになったきっかけを聞くと「私も子どもの時から強迫症かもしれないと思うことがあった」という驚きの答えが返ってきました。
子どもの時から、生活の中に「無駄」を作るのが苦手だったんです。いまの時間が生産的じゃないと思うことに耐えられない。学生の私にとっての“生産”は勉強でした。中学高校は寮生活でしたが、そこで友達と話す時間も無駄じゃないかと感じて、延々と勉強を続けてしまう。「無駄な時間を過ごしてはいけない」という思いにとらわれていました。強迫症との差は、強迫行為の対象となっている行動が生産的かそうじゃないかの違い。紙一重です。
オンラインで取材にこたえてくれる松永さん
さらに、趣味について話題が及んだとき、松永さんが笑いながら打ち明けてくれたことがありました。
サウナに通ういわゆる“サウナー”です。通う頻度は・・・ちょっと公言できないくらい(笑)帰宅前などに、仕事の頭をリセットするために行きたくなるんだけれど・・・・こだわり的なルーティーンなのか、強迫一歩手前なのかあやしくなるくらいです。
松永さんは、そうした自分の特性が、精神科医を志した道につながっていると明かしました。
実は結構、精神科の医師には自分自身も何かしら精神科の症状と親和性があるという人は多いと思います。ASD(自閉スペクトラム症)で有名な先生が“自分も実はそうだ”とか。精神科の病気は、レントゲンを撮っても影は映らず、血液検査の数値では何も分からない。患者さんの頭のなかにある「世界」を理解することがもっとも大事です。

その点、私のような医師は、患者さんの頭のなかにある「世界」で何が起きているのか理解しやすいし、悩みなどにも共感しやすい。程度の差こそあれ、自分も同じように悩んだから。それは診療する上での私の強みだと考えています。
弟子の亀井士郎 医師と
強迫症の治療ができる精神科医を増やそうと、後進の育成を進めている松永さん。

いま、研究室でともに研究をするのは、重度の強迫症にかかり、松永さんの治療を受けて回復した若手精神科医です。発症から治療の経験を振り返る本(幻冬舎新書/「強迫症を治す 不安とこだわりからの解放」)を共同で執筆し、強迫症の実態を知ってもらうための活動も続けています。

受診まで平均で8年… 早く治療を!

松永さんのもとには、各地から患者が受診に訪れます。

これまで診療してきた患者は5000人に上ります。

しかし、治療が必要な患者が、診療にたどり着くまでには大きな問題があると言います。
診療している立場からすると、一番ありがたいのは、病気になるかどうかの分岐点にたっていて「自分のやっていることは変かな」とまだ思えている段階で、受診をしてもらうこと。不合理だと認識して、行動を変える力が十分に働くうちに来てもらうと、本当にひと言ふた言のアドバイスで解決してしまうことも多いです。

しかし現実は、多くの人が症状を自覚しながら抱え続け、かなり進行して生活がどうにもならなくなってからようやく受診します。海外の研究では、症状を自覚してから受診するまでに平均で8年もかかっているという報告があります。

受診をためらう背景には、いまだに国内で根強い精神科の病気への偏見、スティグマ(烙印)という問題があります。8年も同じ事を続けていると、治療は可能ですが、それまでに長い時間がかかってしまいます。何度もいいますが、“早期発見・早期治療”がきわめて大切なのです。

対応見極めるポイント「時間・お金・エネルギー」

対処するために早く行動が必要なのはわかります。でも、やはり自分がメンタルの疾患かもと考えることは、正直、わたしにもかなり抵抗がありました…

なにか受診など、行動に移すことを考える基準はありますか?
強迫というのは、人のこだわりや習慣と区別が難しい場合があります。対応をするべき問題を見極めるポイントは、その人にとって「時間・お金・エネルギー」の面でどの程度生活に影響するかということです。

水野さんの場合、クリーニングのタグを捨てないというのは、あまり生活に支障がない“こだわり”レベルのものかもしれません。でもシャツを買い続けるというのは、経済的負担から考えて放置するのは問題。だから対処が必要です。

帰り道に同じ道路を通るというのも、最初はこだわりレベルで済む話です。それが“右足であのマンホールを踏む”“あの枝に触る”という具合に、ルールがどんどん増えてきて、家に帰っても「ちゃんとマンホールを踏んだかしら」と気になって、戻ってやり直すといったことが始まると、時間とエネルギーを浪費しすぎていて、問題です。

“不安至るところに”コロナ禍で増えているおそれも

最後に松永さんは、去年から全世界で広がる新型コロナウイルスが、強迫症やそのグレーゾーンの人たちに良くない影響を与えるという懸念について話してくれました。
新型コロナウイルスの感染拡大が起きて、強迫症と相性の悪い「不安」が、日常生活のいたるところにあふれるようになりました。ウイルスが手に付いているのでは、帰りの電車のなかでだれかくしゃみをしていたな、なんか熱っぽいのではないか・・・不安を取り除くために、いろんな対策をしたくなり、それが習慣化してしまう。

この病気のきっかけは「不安」です。感染の不安が常にある新型コロナウイルスの存在は、強迫観念や強迫行為を強める絶好のきっかけを日々作り出すことになります。この1年半で、いままで治療対象にならないグレーゾーンだった人たちが、治療が必要なレベルに悪化しているケースが増えていないか懸念しています。

でも、コロナウイルスを強く意識する強迫にとらわれてしまった人にとっては、病院というのは最も近づきたくない存在です。治療が必要な人がむしろ病院に来ることができていない状況なのではないかと危惧しています。

取材の間にも、マイルール 廃止に成功

リビングの照明は、家を留守にするときも常にこの状態です。
わたしは、この記事を書くまで、強迫症に関して親も含めほかの人に話したことはありませんでした。

一方で、強迫症の治療を受けている方からすれば、わたしの経験や症状はあまりに軽く「こんな程度で大げさな!」と言われてしまうようなものかもしれません。

しかし、松永さんへの取材で「なるべく早期に気づき、なるべく早く対処する」ということがなにより重要だということを知り、一端を紹介する記事を書きたいと思いました。

取材のために何度も松永さんとやりとりをするなかで、自分の強迫ぎみの行動について伝えるとき、必ず強調してくれた話がありました。
不安を感じて、強迫行為を行動に移してしまいたくなるというその気持ち自体は、どうにもできません。そう考えてしまうことが問題ではなく、それを行動に移してしまうかどうかが問題なのです。踏みとどまって、行動にさえ移さなければ、まったく問題ないのです。これは診療現場でも本当に繰り返し患者さんたちに伝えることです。
「思っても、行動に移さない」。認知行動療法の原則と同じことです。毎日の生活のなかで、強く意識するようになりました。

これまで、帰り道になにか買い物をする用事があっても、帰宅ルートを変えられないため、一度家に帰ってから再び外に出なければいけませんでした。

取材を始めてから、同じ道を通りたくなっても、あえて用事をつくって別のルートで帰ることを続けました。

前半で説明した「蒼穹の昴」も、人に本を貸す約束をして本棚から出しました。

増える一方だった“マイルール”は、少しずつ減ってきています。クリーニングのタグはまだ捨てられませんが…。

家族や自分の健康、コロナ、仕事の悩み…人間生きているかぎり、不安はつきません。

そうした不安を強迫症につなげないために、ひとりでも多くの人にこの病気のことを知ってもらいたいと感じます。

ご意見・情報をお寄せください

科学文化部記者

水野雄太

2013年入局。北海道出身。第二の故郷は前任地・宮城県(特に三陸沿岸)。がん医療・移植医療をテーマに取材。新型コロナウイルス取材では政府分科会を担当。

科学文化部で、いつか唯一の趣味である宝塚歌劇をテーマに取材することが夢。19年雪組公演「ファントム」が人生最高の観劇体験。ブルーレイがすり切れるのではないかというほど何度も観ている。常に9割方が女性の客席に男ひとり混じって観劇。幕間には女性用トイレに果てしなく長い列ができるが、男性用はいつもガラガラなので楽に入れてうれしい。

最近できたマイルールは「寝る前10分間の有酸素運動」(翌日以降に繰越可)。健康になるので続ける予定。同姓の解説委員はお父さんではない。

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