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2021.11.01
将棋界で“最高峰”のタイトル戦「竜王戦」七番勝負。10月8日に開幕し、躍進を続ける藤井聡太三冠が、“現役最強”の1人・豊島将之竜王に挑んでいる。
藤井三冠が史上最年少で「四冠」を決めるか、豊島竜王がそれを阻むか。「今後の将棋界を占う」とされるこの戦いについて、谷川浩司九段に話を聞いた。
藤井三冠の強さ、迎え撃つ豊島竜王との勝負の見どころなど、ロングインタビューを紹介する。
(名古屋放送局 記者 田川優)
※文中一部敬称略
谷川浩司九段は、中学生でプロ入りを決めた棋士の1人。これは、藤井三冠や羽生善治九段など、史上5人しかいない。
短手数で相手玉を詰ませる終盤の強さは「光速の寄せ」と呼ばれ、それを武器に、史上最年少の21歳で「名人」のタイトルを獲得した。
この記録は今も破られていない。
四冠を達成したのは29歳。ライバル対決を繰り広げた羽生九段には七冠独占を許すも、その後「名人」を通算5期獲得して「十七世名人」の永世称号の資格を獲得。タイトルの通算獲得数は27期を誇り、一時代を築いた。
谷川九段が初めて藤井に出会ったのは、10年以上前の名古屋市での将棋イベント。
当時まだ小学校低学年だった“藤井少年”のことを、鮮明に覚えているという。
「『将棋の日』というイベントで、小学校低学年の藤井さんと指導対局をしました。『飛車角落ち』で対局をして、イベント時間の終わりが迫ってきたので、こちらが優勢だったところで『引き分けにしようか?』と提案したら、彼が突然といいますかね、将棋盤に覆いかぶさるような感じで泣きじゃくられてしまった。それから5年以上たって、師匠の杉本さん(杉本昌隆八段)に『あのとき大泣きしていたのが藤井なんですよ』と言われて、記憶が結びついたという感じですね。あそこまで大げさに泣かれることはなかったので、よく覚えています」
「将棋に強くなるうえで“負けず嫌い”は大きな要素です。今も藤井さんには“負けず嫌い”の気持ちはあると思うんですが、気持ちをコントロールできるようになった。あれから10年ほどしかたっていないのに、ここまで成長するとは驚きです」
藤井は中学2年のときに史上最年少の「14歳2か月」でプロ入り。その後も最年少記録を次々と更新してきた。去年からはタイトル戦の舞台にも登場し、渡辺明三冠、豊島竜王といった”現役最強棋士”を次々と破り、ことし9月、最年少で「三冠」を達成した。
しれつなタイトル戦を経て、藤井の強さにはどのような変化があったのだろうか。
「タイトル戦を経験してさらに強くなっています。渡辺さんも豊島さんも、藤井さんとの対局ではかなり作戦を練り、中盤の先のところまで想定して臨んでいるはずです。豊島さんとの2つのタイトル戦(ことしの王位戦と叡王戦)もそうでした。それに対し、藤井さんが実戦の中でどう対処するかというかたちになっています」
「藤井さんはここ1年ほど『相掛かり』(※)という作戦を多用するようになっています。もともとプロ入り後すぐの頃は『角換わり』(※)という、角を交換する将棋が多かったんですね。そのあとに『矢倉』(※)の将棋も指すようになりました。これらは『居飛車』(※)と呼ばれる戦法の1つなんですが、その3つすべてを得意戦法にしたということです」
「作戦の幅も年々広がり、AIもうまく活用し、序盤の精度も高くなっています。持ち時間が8時間ある2日制のタイトル戦というのは、序盤の何でもないような、考えてもなかなか結論が出ないような局面でも、時間を惜しみなく使って考えることが可能なんですね。そういう将棋の積み重ねがその人の財産になって、また強くなるのだと思います。去年とことしの王位戦、そして今回の竜王戦はいずれも2日制・8時間のタイトル戦です。そういう真剣勝負の場で、なかなか答えが出ない中で考えることが、藤井さんの強さにつながっているんだと思います」
※「居飛車」…将棋の戦法の大きな分類の1つ。大駒の「飛車」を主に右側の最初の位置に据えたまま戦う。
※「相掛かり」…互いに「居飛車」で、序盤に飛車の前の歩を進めていく戦法。
※「角換わり」…互いに「居飛車」で、序盤で大駒の「角」を交換する戦法。
※「矢倉」…主に居飛車で使われる代表的な囲い。通常は左側の「角」の位置に王を移動させ、金銀3枚で囲う。
ことし6月に王位戦が始まるまで、豊島は藤井に6勝1敗と大きく勝ち越していた。「勝率8割」を誇る藤井の前に、越えられない“壁”として立ちはだかってきた存在だ。
しかし、王位戦と叡王戦の連戦で豊島はいずれも藤井に敗れる。
竜王戦でも開幕局、第2局と藤井に連敗し、通算成績は9勝10敗と勝ち越されている(竜王戦第2局終了時点)。
「初対局からの数局は、まだ豊島さんのほうに少しは余裕があったと思うんですが、その後の対局は豊島さんのほうが作戦選択で苦心している印象もあったので、王位戦・叡王戦も豊島さんとしては相当な覚悟をもって臨んだと思います。ただ、この2つのタイトル戦では豊島さんのほうがややできがよくなかったと思いますね。特に中盤から終盤の競り合いでのミスがありました」
「『ダブルタイトル戦』は私も羽生さんと経験があるんですが、ずっと同じ相手と戦い続けることになり、特に豊島さんは1か月間公式戦の相手がすべて藤井さんという時期もあったようで、これはちょっと言葉にできないくらいのプレッシャーがあったと思います。その中で叡王戦でのフルセット負けというのは、厳しい結果だったと思いますね」
しかし谷川九段は、敗れた豊島の指し手から、棋士としての意地を感じたという。
「印象的だったのは王位戦第5局です。豊島さんが大きなミスをして銀をただで取られてしまう形になったんですが、あっさりと諦めてしまうのではなかった。藤井さんとの勝負はこれからも続く、ポッキリ折れてしまうのではなく闘志を振り絞って銀をただで取られる手を指したことは、とても印象的でしたね。“藤井さんを止めるのは自分だ”という気持ちが表れていました。もちろん豊島さんにとっては思い出したくもない不出来な将棋ではありましたけど、やはり気持ちを感じる1局でしたね」
もうひとつ、谷川九段が注目したのが叡王戦の第2局だ。
中盤で劣勢に立たされていた豊島は終盤で粘りを見せ、藤井の14連続王手をかいくぐって逆転勝ちを収めた。
「かなり苦しい将棋だったのに、勝負手を連発して逆転しました。藤井さんが逆転負けをするのは珍しいことです。豊島さんはいつも淡々としているんですけれども、あの将棋に関しては指し手に迫力を感じましたね。豊島さんのまた違った一面を発見できたと思います」
幼い頃から“天才少年”として将来を嘱望されてきた豊島。しかし、棋士としての歩みは平坦ではなかった。
20歳で初めてタイトル戦の挑戦者になるも、タイトル獲得を果たしたのはそれから7年半後のこと。
その後は「竜王」や「名人」のタイトルを獲得し、一時は「名人」「王位」「棋聖」の三冠も達成。
苦難を越えて、棋士として大きく花開いたときに現れたのが、藤井だった。
「豊島さんからすると、ようやく“自分の時代”になったかというところで藤井さんというスーパースターが出てきた。ことし、ダブルタイトル戦を戦うことが決まった時点で『自分の30代というのはもう藤井さんと戦い続けるんだ』と覚悟を決めたと思うんです。戦い続けるためには自分自身も強くならなければいけないという気持ちも持っているんじゃないでしょうか」
谷川九段自身も29歳で四冠を達成したあと、羽生九段という才能が現れ、死闘を繰り広げてきた。
「私は羽生さんと8つ年齢が離れていて、(豊島さんとは)違うところはあると思うんですけれども、年下の強い人が出てくると気持ちの面で変化は生じるんです。最初はなかなか平常心で戦えなかったり、焦りを感じたりします。でもしばらくすると、そういうことを克服して盤上の勝負だけに臨める心境になれる。やっぱり年齢差がある対決では、これからどんどん伸びていく年下のほうが気持ちの面で楽ですし、有利ではあるんですけれども、そうは言っても若いときの12歳差(豊島と藤井の年齢差)も、少しずつ年齢が上がっていけば関係なくなると思います」
「豊島さんの本来の実力はこんなものではないと私は思っています。今は“4強”、タイトル保持者が4人いますが(渡辺三冠、藤井三冠、豊島竜王、永瀬王座)、その中で藤井さんといちばん多く戦っているのは豊島さんですし、対戦成績もほとんど五分。3年前の2018年にタイトル保持者になって、そのあともずっと何かのタイトルを持ち続けています。本来31歳というのはいちばんの充実期で最も強いときではあるので、豊島さんとしても王位戦、叡王戦で結果は出なかったですけれども、得ることはあったと思います。そのなかで自分に足りなかった部分をきちんと洗い出して、竜王戦では、精神面でも、前回とは違う戦い方ができるのではないかと思っています」
豊島や藤井など、次々と現れる新星たち。
現在の将棋界を語る上で欠かせないのが、「AI」の存在だ。
AIが現役の名人を破ったのは、2017年。
今では、藤井や豊島を含む棋士の多くが、AIを搭載した将棋ソフトを活用しながら研究に取り組んでいる。
では、藤井の強さはすべて「AI」で語ることができるのだろうか。
谷川九段は決してそうではないという。
「今では、自分が指した将棋をAIが精査してくれます。例えば、藤井さん自身がいい内容で勝ちを収めたとしても、家に帰ってAIに精査してもらうと、実はわずかな疑問手があったり違う手を示されたり、いろいろな課題を与えてくれる。それを調べることでまた実力をつけることができます。藤井さんはもちろん若いので、AIの強さを取り入れることはできていると思います。ただ、彼の本当の強さは、対局中でも自宅でも、とにかく集中して考えること、そして考え続けることができる『頭の体力』があることだと思います」
「AIの力を借りることができるのはふだんの研究の場面だけですから、やはり棋士の本当の強さというのは、初めて見る局面できちんと急所を捉えて、直感で正しい手を発見し、読みを進めながら最終的に最善手にたどり着けるかどうかです。優れた直感、読みの正確性、ひらめきの豊富さが強さの本質です。それからもう一つ大事なことは、藤井さんの将棋が“華やか”だということです。将棋盤を大きく使う彼の将棋は視野が広いです。盤上の一か所だけを見るのではなく、全体を見てすべての駒を使って戦っています。なかなかほかの棋士には出ない発想で良手を発見しますし、それをファンの人も楽しみにしておられます。将棋の可能性や魅力、おもしろさを表現できる人だと思いますね」
谷川九段は、この「AI革命」によって人間どうしの将棋の魅力も浮き彫りになったという。
「5年ほど前は、AIが棋士より実力が上回ることで棋士の存在意義が問われるのではないかと危惧していました。でも、AIが数億手を普通に読む一方で、人間は数百手しか読めないかもしれませんが、”読まなくてもいい手”を捨てる能力もあります。数百手、数千手しか読めない中でも最善手にたどりつけるのは、人間の長所だと思いますね。それと、棋士は過去の常識や先入観で判断してしまうこともあるんですけど、AIによってそういうことをすべてまっさらな状態で考えなければいけなくなったという側面もあります。それによって新しい戦法や定跡が生まれ、将棋自体が自由になりました。それがまた、現在の将棋の魅力につながっていると思います」
“AI時代”においては、人間らしい“勝負のドラマ”も際立っていくという。
「読む量やスピードでは、AIにはまったくかないません。それでも、対局の持ち時間には限りがあって、最後には1手につき1分や30秒という条件の中で最善手を求め続けていくわけです。棋士はやはり形勢がよくなったり悪くなったりすると気持ちに揺れが生じるんです。それを抑えながら戦うことも人間ならではの勝負だと思いますし、そういうところを見ていただきたいです。人間らしいドラマの1つに「逆転」があります。2人の対局でも、王位戦第2局では藤井さんの逆転勝ち、叡王戦第2局では豊島さんの逆転勝ちがありました。やはりあの2局は、苦しい側がどう粘って逆転に持ち込むかという、単なる盤上での最善手とは違ったおもしろさがあったと思います」
今回の竜王戦七番勝負を前に、谷川九段はどこに注目しているのかを聞いた。
「ふたりとも『居飛車党』で、居飛車の戦法は『矢倉』『角換わり』『相掛かり』の3つに分けられますが、王位戦と叡王戦では『角換わり』と『相掛かり』の将棋が多かったんですね。一方、2人の対局では『矢倉』の将棋が本当に少ないんです。竜王戦ではひょっとすると『矢倉』が見られるかもしれませんし、竜王戦までには将棋界全体の流行も変わり、2人の序盤の作戦も微妙に変わってきていると思います」
「プロ的には、どういう序盤戦になるかというところに興味がありますね。そのあとは1手1手難解な中盤戦でお互いに長考が続くと思います。勝負においては、できるだけ局面を混とんとした複雑な形に持っていくことが最善になるわけです。そういうところにも2人の考え方や勝負術が出てくると思います。終盤、最後の最後までどちらが勝つかわからない、しびれるような勝負を、2人なら繰り広げてくれると思っています」
※このインタビューは9月29日に行いました
NEWS UP藤井聡太の素顔に迫るため、雑煮について尋ねてみたら
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