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渡辺謙 1年越しの舞台に立って

渡辺謙 1年越しの舞台に立って

2021.05.31

日本を代表する俳優、渡辺謙さん。今、東京の劇場で主演舞台の上演に臨んでいる。

 

実はこの舞台、去年の春にも一度上演を行ったものの、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、早々に中止を余儀なくされていた。

 

「『夢や希望を与えたい』とか、大それたことは思わない」
「懸命に、今目の前にいる人とどう生きるか。それに終始するしかない」

 

コロナ禍で表現の場を失った俳優が、1年越しの舞台に立った今、思うこととは。

 

(科学文化部記者 河合哲朗)

俳優人生の“原点”『ピサロ』

今月15日、東京・渋谷のPARCO劇場で、舞台『ピサロ』が初日を迎えた。

靴裏の除菌と手指の消毒、検温などを行って入る劇場内はふだんにはない緊張感が感じられる一方、公演を心待ちにしたファンの様子からは、これから始まる舞台への期待感が伝わってくる。

渡辺謙さんが演じるのは、南米・インカ帝国に攻め入るスペインの将軍・ピサロだ。

舞台は16世紀。

キリスト教を信仰するスペインと、太陽を神とするインカ帝国。

異なる価値観の衝突を通じて、人は何を信じ、どう生きるかを問いかける。

この作品は渡辺さんにとって、特別な意味を持つ舞台だ。

今から36年前の1985年、当時25歳でまだ「無名に近かった」時期に出演したのが『ピサロ』だった。

この時は、名優・山崎努さんが主人公・ピサロ役を務め、渡辺さんは対する若きインカ王の役を演じた。

渡辺さんはこの時の経験が、俳優人生の“原点”になったと語る。

「それまでも仕事はちょこちょこしていたんですけど、本当に自分が俳優になるという覚悟を持たないまま、ずるずるやっていました。

この時は『この芝居をやってだめだったら、もう俳優をやめてもいいかな』とまで思って稽古に臨んだんですが、ある種の手ごたえというか、『厳しいけど、いい仕事だ』と思える経験をしました」

コロナ禍で断たれた思い

渡辺さんは、60歳の節目を迎えた去年の春、再びこの舞台の上演に臨んだ。

ハリウッドやブロードウェイへの進出など国際的に活躍してきた渡辺さんが、改めてこの作品に挑む背景には、もう一度俳優としての原点を見つめ直す思いがあったという。

「自分がピサロを演じる立場になった時に、『何でこれを今、俺はやるんだろう』って考えるんですよ。

その時に、今まで俳優としてやってきて、もちろんそれなりに成果も上がり、評価もいただいたんですけど、自分をもう1回“さら地に戻す”いい時期だという気がしたんです。この芝居を今やる意義があるだろうって」

しかし、その思いは半ばで断たれることになる。

新型コロナウイルスの感染拡大に直面したのだ。

予定されていた初日は1週間延期され、その後幕を開けたものの、全45回の公演予定が10回で中止を余儀なくされた。

去年の舞台稽古

当時はまだ、劇場の感染対策について業界内のガイドラインも明確に定まっていなかった。

「マスク越しで表情が見えなくても、観客のみなさんがお芝居を見に来る空気じゃない感じがしました。異様な緊張感なんです、『俺たちはここに来ました!』みたいな。

それはある意味すごくつらかったですね。そんな時に来ていただくのもどうなんだと感じながら10回の公演を行っていたので、公演を止めることも『残念』というより、『しょうがない、これは駄目だ』って。スパッて、僕の中では終わりました」

この時、渡辺さんは楽屋に1枚の手書きのメッセージを貼った。

〈厳しいインカの旅になりました。でも皆と過ごしたかけがえのない日は忘れません!!又笑って再会できる日を楽しみにしています。心して自分の身を守って下さい。またな!謙〉

「互いに『お疲れさま』も言えなかったし、もちろん打ち上げもなかった。心根としては『絶対もう一回やるぞ』って僕の中では決めていたんで。『これは終わりじゃないよ』って」

コロナ禍で見つめた 舞台に立つ意味

その後の1年間は、多くの舞台が延期・中止に追い込まれた。

1人の観客にも届けられないまま中止となった作品も少なくない。

表現の場を失われる状況を前に、渡辺さんは、俳優という仕事の“もろさ”を痛感したという。

「僕らは、求められない限りは出ていくことができないわけです。その時の社会情勢として、今は言いたくもないですけど“不要不急”みたいな感じで、僕らの仕事は必要じゃないという感覚があったので」

同時に渡辺さんはこの1年、俳優として舞台に立つ意味も改めて突きつけられたという。

「去年、初日が1週間延びた時に、衣装もメークも本番通りにして収録目的で無観客で撮ったんです。その時本当に、『俺たちはどれだけお客さまにエネルギーをもらっていたのか』っていうことを痛感したんです。

今は、人と人の間にシールドが張られてしまう。それは心も含めてで、僕たちはそれ(心のつながり)を頼りに生きているわけですよ。そのつながりの中でいろいろなことを受けとめながらパフォーマンスをして、表現をする。それが僕らの仕事であるはずなのに、その一番の原点を断たれた。

人と人の間でそういうシールドがすべて取っ払われないかぎり本当の表現はできないんだと、この1年ですごく思いましたね」

それでも届けたいものがある

1年越しの再演が決まった、舞台『ピサロ』。

この間、業界の感染対策のガイドラインも定まり、コロナ禍でも公演が可能になってきていた。

今回も公演決定後に緊急事態宣言に見舞われたが、キャスト・スタッフの全員が3日に1回のPCR検査を実施し、稽古場でもマスクを着けるなど、対策を徹底して上演にこぎ着けた。

開幕前日の記者会見で渡辺さんは、この状況下で劇場の幕を開けることの心境を率直に語った。

開幕前日の記者会見(5月14日)

「外出もはばかられる時勢の中で演劇に足を運んでもらうことに、ある意味で胸を痛めますが、それでも『僕たちは届けたいものがあるんです』という気持ちを、強く、カンパニー全員で思っています」

この舞台で渡辺さんが演じるピサロは、60歳を過ぎた老将だ。

やがて訪れるみずからの死を意識する中、異なる文化の上に生きるインカ王と心を交わすうちに、自分は何を信じて生きるか、限られた時間をどう生きるかを自問し、その内面が揺らいでいく。

《ピサロ:俺はもうすぐ死ぬ!あの暗闇のことを考えると、なにもかもが色褪せてしまう。どんな人生の喜びもたちまち腐ってしまう。齢をとってからの時間というものは、若い頃よりうんと永く、また辛いものだ》(舞台『ピサロ』より)

渡辺さんは、ピサロの姿には、自身と重なる部分もあるという。

「僕は今61歳で、まだまだではあるけど、人生の終えんというものもどこかでちょっと頭をよぎるんです。

(劇中のピサロは)自分を奮い立たせ、でもちょっと弱音も吐き、俺はこれからどうなるんだろうという不安もある。その辺は非常にシンパサイズ(共感)するものはあります」

一方でこの作品は、パンデミックを経験したこの時代にも普遍性を持って響く作品だと語る。

「(戯曲が書かれた1960年代)当時は戦争の傷痕が残っていて、冷戦もあり、まだ世界がガタガタしていました。今、そういうものがなくなったと僕らが錯覚してる時代に、コロナウイルスというものが現れた。“人の死”や“社会の分断”が、政治や国家のレベルではなくて、パーソナルに感じられる時代になったと思います。

『ピサロ』もまた、非常に壮大な話のようでありながら、ものすごくミニマムでパーソナルな話です。人生とは、痛みとは、安らぎとは、思いやりとは何かみたいなことを訴えかける作品です」

不透明な時代をどう生きるか

コロナ禍では、演劇も含め、多くの表現の現場が苦境に立たされてきた。

そして1年がたった今も、日常に平穏が戻る日がいつになるか、まだ先は見えていない。

「この時代をどう生きるか?」

インタビューの最後に渡辺さんが語ったのは、今できることを信じて行動するという、シンプルな思いだ。

「『勇気と希望を与えたい』って、エンターテインメントでもスポーツでも、そうおっしゃる方がいます。それはそれでいいと思うんだけど、僕は全然そんな大それたことは思わないんですよ。僕たちが1年ちょっとかけて築いたものを届けさせて下さいって、それだけです。

だって、こんな不確実な世の中ってないじゃないですか。だから、きょう午後2時になればまた舞台の幕が開く、そのことだけを信じてやっています。いつ自分の身に何が降りかかるかわからない時代だから、“覚悟”とか“割り切る”っていう両極じゃないところで、きょうも普通に舞台をやります。その中で、懸命に、今目の前にいる人とどう生きるかということ。結局それに終始するしかないんだなって、非常にシンプルな考えに帰結するんだと思います」

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