科学と文化のいまがわかる
文化
2021.03.23
新しい航空博物館は、国立科学博物館と茨城県の企業が連携して設置されます。展示されるのは、「日本の航空産業の発展」という大きなストーリーを構成する重要な歴史遺産です。
「ここで展示させていただく資料はどれもが“物語性”がある、そういう航空機です」。
発表記者会見の場で、国立科学博物館の林良博館長はこう言いました。
旧日本軍の戦闘機、ゼロ戦は、徹底した軽量化と空気抵抗を計算しつくした機体によって、当時の世界最高レベルとなる航続距離3000キロ超えを達成。日本の技術力の高さを象徴的に示しています。
昭和27年に完成した、「日本電建号」の愛称で知られるグライダー。ゼロ戦を開発した日本は、敗戦によって航空機の開発や飛行を禁止されます。その禁止が解けてから初めて空を飛んだのが、このグライダーです。
ヘリコプターの「シコルスキーS58」。南極観測隊で使われ、昭和34年に南極に取り残されていた「タロ」と「ジロ」を救出した、まさにその機体です。
このヘリコプターはアメリカで開発されましたが、日本の航空機開発を再開させる第一歩として、日本のメーカーが部品の供給を受け、国内で組み立てることで技術を蓄積しました。
そして、「YS11」の量産1号機。
昭和30年代から国を挙げての開発が進み、昭和39年に初飛行しました。
博物館には、これら6機の機体などが収蔵され、日本が戦禍から立ち直り再び発展するまでの大きな流れとターニングポイントをつかむことができます。
これらの機体はいずれも国立科学博物館が所有し、新しい博物館に貸し出されます。
なぜこのような形をとっているのか。その背景には、航空機を将来に残していく上での大きな課題がありました。
「理工系の工業製品というのは、もともとが残すような形で作られていないんです。だんだん壊れていってしまうこともあって、保存して将来に残していくというのは非常に難しい行為なんですね。特に飛行機のような大きい資料は保管の場所なども課題で、本来長くても50年もたないような飛行機を、100年、さらにその先まで残していこうとすると、非常に大きな苦労を伴います」
国立科学博物館で機体の保存に携わってきた、産業技術史資料情報センター長の鈴木一義さん。航空機などの近代産業にかかわる資料は、部品などが消耗するため保管に向かないうえ、サイズの大きなものが多く、長期間の保管や展示をしていくための十分なスペースを確保するのが難しいと言います。
例えばYS11の機体は、平成10年の引退後に国立科学博物館が引き取って羽田空港の格納庫に保管してきました。
しかし鈴木さんによりますと、当初から「飛ばさない機体を保管のためだけにいつまでも空港には置いておけない」と言われていて、羽田空港の国際化が進む中、滑走路の拡張などを受け、新しい保管先を探すことになったということです。
YS11の機体は全長およそ30メートル。劣化しにくい屋内に十分なスペースを確保できる場所が必要です。その候補は挙がっては消え、最終的に筑西市の施設に1800平方メートル余りの新しい格納庫を作って、迎え入れてもらうことになりました。
手を挙げたのは、20の企業からなる筑西市の「広沢グループ」。地域の活性化のために、引退した鉄道の車両やクラシックカーなどを引き取って展示するテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」を整備・運営しています。
その広さは、東京ドーム25個分のおよそ115万平方メートル。企業側にとっては、YS11を引き取ることでこの施設の魅力度をより高めようというねらいもあり、「科博廣澤航空博物館」が実現することになったのです。
「国立の博物館が民間企業とともに一般財団法人を設立して共同で運営する、常設の博物館というのはわが国初の取り組みになります」(国立科学博物館 林良博 館長)
「昔、客として乗った思い出の飛行機なので、残す場所が見つからないならぜひ引き取りたいと思った」(広沢グループ 廣澤清 会長)
YS11は胴体から翼などを外したうえで去年3月に羽田空港から移送され、その後、機体を元に戻す作業が進められました。羽田空港では一般公開の機会は限られていましたが、ここでは常設展示が予定されています。
ほかの機体も同様です。ヘリコプターのシコルスキーS58は、およそ20年間展示されず、茨城県つくば市の資料庫での保管にとどまっていました。
「日本電建号」の機体も、平成22年に特別展に出されて以降、保管されたままだったということです。
また、ゼロ戦は上野の本館で展示を続けていましたが、海に沈んだ状態で見つかったこともあって劣化が目立つようになり、去年7月から修復のために展示を中止しています。新たな博物館では、活用の機会が大幅に増えることになります。
「科博では数百万点の膨大な資料を蓄積していて、その中で展示されるのはだいたい2万点とか3万点なんです。その中で飛行機というのはもともと大きいものですから、やはり上野の本館では面積的な問題もあって。資料庫にあった貴重な資料、なかなかお見せできなかった資料をこういう形で公開するということで、今回の取り組みは非常に大きな意味があると思います。こういった場所であれば地域の活性化にもつながるわけですから、まさに文化財の有効活用が行えるということでも今後に向けた大きな事例になるんじゃないかなと思います」(鈴木一義 センター長)
日本の航空史を物語る機体を眠らせたままにしないために、国立科学博物館と民間企業が手を組んだ、新しい航空博物館。
官民連携の初めてのケースとして、また、国立科学博物館にとって初めての航空分野に特化した施設として、ことし中にオープンします。
保存の難しい文化財を新たな枠組みで後世に伝え、私たちの目に触れる展示も実現させる。こうした取り組みの広がりに期待したいところです。