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震災と表現 あの日から未来へ

震災10年 被災者の「語り」とは

2021.03.10 :

この10年、被災した人たちは、当事者でなければ語れないことばで当時の体験や思いを語り、そのことばによって未曽有の災害の恐ろしさが国内外へと発信されてきました。

一方で、「被災者」としてひとくくりにされることで、1人1人の人間像や人生が見えづらくなり、被災の全体像が十分に伝えられていないのではないかという側面も指摘されています。

震災の後、福島の人たちとの交流を続けてきた文化活動家のアサダワタルさんと作家のいとうせいこうさんは、震災から10年が経ったいまこそ、被災者の本当の『語り』を記録していくことが大切だと考えています。

 

音楽とともに語る「ラジオ下神白」

原発事故の避難者が入居している福島県いわき市の災害公営住宅「下神白団地」

高齢の独居者も多く、住民たちの孤立が課題となっています。

文化や芸術を活用した地域活性化の取り組みを続けてきたアサダワタルさんが、この団地で5年前から続けているのが「ラジオ下神白」というプロジェクトです。
キーワードは、「歌」と「ラジオ」。

住民たちに、自らの人生を、思い出の歌とともに語ってもらい、それをラジオ番組風に収録します。

人生と言っても、実際に語ってもらうのは、かつて住んでいた地域の思い出や、最近身の回りで起きた出来事までその人の話したいことはなんでもOK。

語りの合間に、本人になじみ深い音楽を流すというラジオ番組のような構成で、収録したCDを住民たちに配布してきました。


おととしからは、住民みずから歌ってもらい、エピソードとともに団地に住む人たちに生で聞いてもらうコンサートを開催するなど、住民どうしの交流にもつながっています。

住民たちがリクエストする音楽は昭和ポップスから演歌、クラシックなどさまざま。

例えば、富岡町に住んでいた90代の女性は、藤山一郎の「青い山脈」をリクエストし、高校卒業後に暮らした東京で、喫茶店を回って友人と一緒にこの曲を聞いたという青春の思い出を語りました。そしてこのリクエストをきっかけに、「青い山脈」を好きだという団地の住民と出会い、アサダさんが橋渡しをして、新たなつながりが生まれました。

アサダワタルさん
被災者の声を集める、記録する上で大事なのは、被災者としての「情報」ではなく、その人が、被災するまでにどういった人生を歩んできたのか、そして被災後はどんな生活を送っているかなど、その人の人生をまるごと知ることだと、アサダさんは言います。
「被災者としてくくってしまうとその人個人の存在が見えづらくなってしまうと思います。だからその人の人生の歩みを聞きたくて、そのきっかけとして当時はやっていた音楽を尋ねています。そうやって聞いた話を通じて、その人のたたずまいや息づかいを残すことができる。音楽はそういった雰囲気がすごく伝わると感じています」

当事者でない「語り」に負い目

いとうせいこうさん
10年目の3月11日を間近に控えた2月23日、「ラジオ下神白」の活動報告会がオンラインで開かれました。

その場にゲストとして招かれたのが、作家のいとうせいこうさんです。

震災後から福島への訪問を続けているいとうさんは、東京都内のあるイベントでアサダさんと共演し、ともに福島に通い続けていることを知ったことがきっかけで交流を深め、この日のイベント出演が実現しました。
いとうさんが震災の2年後に発表した小説「想像ラジオ」は、津波で犠牲になった男性が、ラジオのディスクジョッキーとして死者の声を届ける物語で、被災地を中心に大きな反響を呼びました。

いとうさんにとって「想像ラジオ」は、亡くなった人への鎮魂の思いを込めて、そして作家として「何かできることをしなければならない」という使命感から書き上げた作品でした。

一方で、当事者ではないにも関わらず、また被災地に行って人の話を聞かないまま、作品を通じて「語って」しまったことに負い目を感じていたといういとうさんは、作品を発表したあとに訪れた東北の書店で、「想像ラジオ」の本の上に置かれた宣伝用のポップを見て、これから自分が果たすべき役割に気がついたといいます。
「『想像ラジオ』を紹介するために、ラジオにちなんでアンテナのポップが書かれているのを見て、これからはこのアンテナのようにならないといけないと思ったんです。今度は徹底的に聞く番なんだと」

聞き書きをライフワークに

それから定期的に福島に足を運ぶようになったいとうさん。そこではみずから質問するのではなく、住民たちの話を吸収するように耳を傾けているといいます。
2月には、これまで福島で聞き取った話を1冊の本としてまとめました。

タイトルは「福島モノローグ」。

聞き手の声を消して、語ってくれた人たちの1人語りをありのまま読者に届ける作品です。


「自分の言葉を全部削って、聞き書きをモノローグにして出すっていうことです。これは自分はライフワークだと思っています。出会った人、出会った人にたくさん話してもらうということがすごく大事、僕らはそれに対して何かをアドバイスするという立場にないし、とにかく今話したいこと、あるいは今まで話せなかったことがあるんだったら話してもらう。そのことで僕らが耳を傾けますよっていう気持ちが伝わることが一番大事だと思う。それはまさに終わらないですよね、その人が終わるまでは終わらないことなので。メディアがどういう風に違えど、被災した人たちの話を聞き続けたいなと思います」

被災者の「語り」とは

「被災者」としてひとくくりにするのではなく、1人1人の人生や人柄に寄り添い、耳を傾けることが本当の「語り」になると考える、アサダさんといとうさん。

震災から10年が経ったいまこそ、被災地にどのように向き合っていくのか、私たちみなが問われていると考えています。

アサダさん
「震災から10年を過ぎると、被災地のことを思う機会はどうしても少なくなってしまう。そういう中で、語りや音楽は被災地に暮らす人たちの人柄や人生を思い出す時きっかけになる。そのためにも、今のうちに音楽や声を聞いて記録することに意味がある。派手ではないけれど、これからも地道にやっていきたいです」
いとうさん
「被災した時にどういったことが起こるのか、その後どういった支援や補償が必要になるのかなど、長期的に研究し、今後に生かすためにも、当事者の本当の語りを残していくことが重要だと思います。災害に遭われた人たちも、みずからの経験を語ることで世界のために役に立つという意識みたいなものがあった方が過ごしやすいだろうなということも感じます。いまは、むしろ始まりの10年と思っています」
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科学文化部記者

富田良

平成25年入局。金沢局を経て平成28年から長崎局で勤務し、原爆を中心に戦争関連の課題や文化財をめぐる問題点などを取材。令和元年夏から科学文化部で文芸や学術などを担当

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