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震災と表現 あの日から未来へ

被災者とは誰なのか

2021.03.12 :

ことしのベルリン国際映画祭で「偶然と想像」が審査員大賞を受賞した、濱口竜介監督。

東日本大震災のあと、濱口監督は被害が甚大な東北地方の沿岸部をおよそ2年間にわたって取材し、震災を記録するドキュメンタリー映画を作りました。

「一体何が起きているかを見極めたい」と、被災者の語りを記録し続けた濱口監督がたどり着いたのは、「被災者と自分を分けて考えるのはやめよう」という結論でした。

あのとき、考えていたことを記録する

濱口監督が手がけた「なみのおと」「なみのこえ」という二つの作品は、東日本大震災を記録したドキュメンタリーにも関わらず、震災の爪痕を伝える生々しい映像はほとんど使われていません。
代わりに、被災した家族や友人など、親しい人たちどうしが、当時何があったかを思い出しながら語り合う「会話」が、淡々と記録されています。

映画の中で、福島県の新地町で被災した夫婦は、一度津波にのまれながらも、奇跡的に助かったときのことを回想します。
福島県新地町で被災した夫婦 ©️silent voice
夫:目の前に波が来て、これはまずい、逃げろって言ったのは覚えてるのよ。逃げようがないんだけども。

妻:それは覚えてる。

夫:そのあと、2,3歩しか逃げられなかったね。あとは記憶が無い。ぱっと気がついたときにはやぶに流れ着いて、本能的につかまったというかな。ただ背中にゴーッと水圧がくるのは分かったんだよね。なんとか耐えて、ぱっと見たらあんたが転がってて。

妻:方向感覚が無かったからね。頭からがらんがらんといって、どこなんだここっていう。

夫:いま振り返ってみると、あのときに怖いとか、誰がどうしたとか、家が流されてこれからどうしようとか、何も考えられなかった。呆然としていたのが正直。

妻:何も考えられない。ただ逃げることだけだから。目をつぶって波にのまれた時は、さようならと思ったから、自分何しているのかなというような。もしかして夢かなというような感覚で。目の前のことが信じられないような状態でしょ。

夫:こうして無事だから過去のことをときたま話すけど、あのとき子どもを迎えに行ったらどうなったんだろうとか、水量がもうちょっと多かったら、流された場所がもう少しずれていたら・・・と思うね。

震災とは何かを知るために

濱口監督は、震災から2か月たった2011年5月から、現地で取材を始めました。
「一体何が起きているかを見極めたい」と向かった被災地では、それまでテレビの映像を見て抱いていた震災のイメージが覆されたといいます。
©️silent voice
(濱口竜介監督)
「テレビで映っているがれきやヘドロのあととか、そういうのを見て『それが震災だ』と思ってやってきたけど、どうもそうではなかった。一体このがれきがもともとは何だったのかが分からないと、震災というものが分からないと思いました。そこで、被災者と呼ばれる人たち、震災を味わった人たちにまず聞くしかないというところから始まったんだと思います」

被災した”あなた”のことを教えて

被災者に話を聞く濱口監督 ©️silent voice
濱口監督は、ほかの共同監督とともに、震災の年の7月から撮影を始めました。

しかし、最初にインタビューした被災者の話は、ほとんど使わなかったといいます。
(濱口竜介監督)
「被災者として被災体験を語られてしまうと、その人が誰なのか見えなくなるということがありました。震災というのは一体誰が被災するということなのかが、ちゃんとつかめなかった。私たちは被災者に、“あなたは誰なんですか”ということを、聞いていたんだと思います」
もちろん、直接そう聞くわけにもいかないので、ともに震災を経験した身内や友人どうしで、当時何を感じていたかを話し合ってもらうことにしました。

同じ消防団の仲間、夫婦、親子、友人、町役場の上司と部下。

震災前から親しくしていたさまざまな関係性の人たちが、震災当時の状況や、ふるさとへの思いを方言で語り合っている映像からは、その人柄や率直な感情が伝わってきます。
(濱口竜介監督)
「親しい人たちに会話をしてもらって、その人たちがどういう人たちかというのを、だんだん教えてもらいました。それによって、震災というのは少なくともこの人にとっては、こういう体験だったと、少しだけ理解するということをひたすらやってきました」

たどり着けない被災者の声

濱口監督は、東北の沿岸部を車で回って被災者の話に耳を傾けながらも、本当に話を聞くべきだと思う人にはたどり着けないことを、悩み続けていたといいます。
濱口竜介監督
「沿岸部に行って被災者がいるかなと思うと、『自分なんて家もあるし、家が流されたあの人たちに比べたら』となる。じゃあ家が流された人たちのところに行って話を聞いてみると、『僕たちは体も無事だし、身内も無事だし、身内を亡くした人に比べれば』という。じゃあ身内を亡くした人に話を聞くと、『波にのまれたあの人はどれだけ苦しかっただろう、どういう気持ちだっただろう』と言う。そうなると、聞くべき人がいなくなってしまう。究極的には、聞けない。被災した人には究極的にはたどり着けない。どうやったら死者の声が聞けるんだろうということを考えていました」
被災した人たちに「あなたは誰なのか」と問うことにこだわり続けてきた濱口監督。
そう問われた人たちが、淡々と語る、みずからの被災体験と失った身近な人たちに寄せる思い。その思いに触れるうちに、あることに気づいたといいます。
「話を聞いているうちに、被災した人と自分は違わないんだなと思ったんです。たまたまこの人たちは被災をして、たまたま自分は被災しなかっただけで、簡単に立場は変わり得るものなんだということを実感しました。なんで自分は助かったんだろう、なんで自分の家は流されたんだろうと思うけど、それは誰にも分からないというか、誰にでも起こりえたということだけが分かった気がします。だから、被災者や死者と、自分を分けて考えるのはやめておこうと思いました。なぜなら、自分も潜在的には被災者だし、死者なんだと」
100年後にこの映像を見れば、そこに記録されている被災者の声は、死者の声になっている。この結論に至ったとき、ようやく映画が完成し、被災地を離れる決意が出来たといいます。

いつでも当事者になり得る

震災から10年。最後に「どうやったら震災を忘れずにいられるのか」と、尋ねたところ、濱口監督は次のように答えました。
「僕は、どうやったら震災を忘れずにいられるだろうかということを、そこまで考える必要は無いのではないか思っています。どちらかというと、自分はいつでも当事者になると考えておくことの方が、きっと必要なんじゃないだろうか。当事者になったときに、自分に何が出来るのか準備しておくということは、とても大事なことなんじゃないかと思っています」
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科学文化部記者

加川直央

平成27年入局。初任地の京都局では学術・文化担当として最先端の科学技術やノーベル賞、漫画やアニメの資料保存のあり方などを取材。令和2年から科学文化部で映画やIT分野の取材を主に担当している。

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記事の内容は作成当時のものです

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