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『ペスト』に学ぶ コロナ禍の生き方

2020.11.05 :

新型コロナウイルスは、文学界にも異変をもたらした。そのひとつが、小説『ペスト』の空前のヒットだ。70年前に出版された小説が、半年で36万部売れる異例の事態。なぜ、人々はこの小説にひかれるのかー。コロナ禍のなか、『ペスト』に支えられたというさまざまな読者に出会った。

小説「ペスト」とは

『ペスト』は、フランスの作家、アルベール・カミュが第二次大戦後まもない1947年に発表した小説だ。194X年代のアルジェリアの港町が舞台。大流行する感染症のペストに対して、人びとが何の手も打てず、死者が増え続ける。絶望の淵で、思想も立場も異なる人たちが手を携え感染症という不条理にあらがう様子を描いている。
アルベール・カミュ

不条理を受け入れる

小説『ペスト』から生き方を学んだという青年が佐賀県にいた。
県西部にある伊万里市の松本啓さん。ことしの春に大学を卒業した新社会人だ。
地域に密着した農業を実践しようと、祖母の畑を借りて水菜やとうもろこしなどの栽培を始めた。収穫した野菜を契約した飲食店に直接販売するやり方で、販路の開拓に乗り出そうとしていた矢先、新型コロナウイルスの感染拡大で、あてにしていた飲食店はことごとく営業を自粛。出鼻をくじかれ、計画の変更を余儀なくされた。
松本啓さん
読書好きで、過去に、カミュの作品をはじめとする不条理文学にも親しんでいたという松本さん。新型コロナで苦境にあえぐなか、自然と、本棚で眠っていた『ペスト』に手を伸ばしていた。そして、主人公・リウーのある言葉に励まされたという。
「今度のことはヒロイズムという問題じゃないんです。これは誠実さの問題なんです。こんな考え方は笑われるかも知れませんが、しかしペストと戦う唯一の方法は誠実さということです」
感染者数の増減に一喜一憂する市民。ペストを封じるための法改正に躊躇し対策が後手になる行政。「気温と湿度が高くなる夏には収束する」とたかをくくる政治家。治療より患者の隔離を優先する医療。主人公の医師・リウーは、そんな現実を受け入れ、「誠実さ」を掲げて頑張り抜くことで、仲間と連帯して感染の終息に奔走していく。
「主人公のリウーが“頑張った”結果、報われたか、ペストを収束できたか、と言うと、そこは分からないですが、『ペスト』に一貫しているのは不条理という、どうにもできないこととどう向き合うかということです」
松本さんは、自分も、手を加えられる範囲のことに対し“誠実”に取り組んでいこうと、野菜の生産と並行して、一般家庭での消費量が安定している鶏卵の生産に乗り出した。
「不条理は、起こる」。
『ペスト』を読み、心の準備ができていたことで、廃業の危機はなんとか乗り切ることができたという。

正常化バイアスへの警戒

新型コロナ対策の最前線に立った医師にも、『ペスト』に影響を受けた人がいた。
佐賀大学医学部附属病院の青木洋介教授。
佐賀県の感染症対策を、行政や医療機関と連帯してリードしてきた。
小説は、話題になっていることを知り、初めて手に取ったという。
佐賀大学医学部付属病院 青木洋介教授
青木さんが、目を見張った小説の一節があった。
「こいつは長くは続かないだろう、あまりにもばかげたことだから」
新型コロナが流行しはじめた頃、ワクチンがすぐに開発されるだろうという楽観的な見方が、医療界にも広がっていたという。
「今までこんなことはなかったから、すぐ終息するだろうという期待。人間がその気になれば、いつでもなんでも、おおかたのことはコントロールできるというような錯覚があるのかも知れません」
自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人々の心理は、「正常性バイアス」と呼ばれる。『ペスト』が描いた世界にも、この正常性バイアスが、いまと同じように働いていた。そして、当時も現在も、その背景にあるのは、医療・科学に対する過度な期待だと、青木さんは考えている。

「ウィズコロナ」の時代を冷静に生き抜くには、そうした医療・科学に対する過度な期待を捨て、正常性バイアスに流されないこと。不条理をいつもそばにあるもの、起こりうるものとして冷静に受け入れることが重要だと、青木さんは言う。
「『こんなことが起きるなんて!』とパニックになるより『やはりこういうことが起きてしまったんだ』と思う方が、少しでも冷静になれる。『ペスト』の登場人物たちと同じように、いろんな業種、組織で“連帯”してコロナに立ち向かっていくことの大切さを感じています」

いま再確認したい文学の価値

現代の人々にも力を与えている小説『ペスト』。
フランス文学が専門の佐賀大学文化教育学部の相野毅教授は、不条理を受け入れつつ、絶望しない主人公の姿にこそ『ペスト』を名作たらしめるメッセージがあるのだと指摘する。
「私たちは自然災害や新型コロナといった不条理なものに立ち向かうと、ついヒロイズムに走ったり、他人を批判したりしがちです。しかし『ペスト』に出てくる登場人物はそうならず、淡々と、ペストを食い止めるために、自分たちがするべき仕事に従事している。不条理に対して真摯に生きていく姿こそ、現代人が学ぶべきことだと思う」
佐賀大学文化教育学部 相野毅教授
そのうえで、文学が持つ普遍的な価値を再確認し、コロナ禍の時代の生き方の参考にしてほしいとしている。
「文学作品は、人間の考え方をシミュレーションしてくれている。『ペスト』は感染症への対応や起きてしまった不条理に対する、人間のとるべき行動について、あんなケースがある、こんなケースがあるとシミュレーションしてくれている。読書が、自身の考えを深めたり、生き方を見直すきっかけになる。『ペスト』はそのことをあらためて知らしめてくれている」
不条理を受け入れること、前向きに生きること、冷静になること、正常化バイアスに警戒すること。「ペスト」に込められたメッセージは、コロナ禍という未曾有の厄災を生き抜く私たちにも、気づきや励まし、指針を与えてくれる“道しるべ”になっている。
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佐賀放送局

小野明良

平成29年入局 佐賀県政の取材など担当 学生時代はラグビー部 特技はペルシャ語

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記事の内容は作成当時のものです

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