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ゴジラのきょうだい!? 佐賀で“生きていた” ティラノサウルス

2020.11.26 :

きっかけは、強烈な違和感だった。

佐賀県の森や干潟にすむ小動物を紹介している、博物館の一室。そこに、最強の肉食恐竜、ティラノサウルスの巨大な模型が展示されている。相当古いものなのだろう。頭をもたげて直立したそのスタイルは、懐かしさすら覚える。ところで、恐竜の骨が見つかっていない佐賀になぜこんな模型があるのか-。謎を追うと、あの“怪獣”とも縁をもつ、意外な過去が明らかになった。(佐賀放送局記者 国枝拓)

 

50年前まで「科博」にあった

ティラノサウルスの模型があるのは、この秋に開館から50年を迎えた佐賀県立博物館。来館者の誰もが最初に足を踏み入れる「自然史」コーナーで、サルやイノシシ、タヌキなどの剥製と並び陳列されている。石こうでできていて、実物の半分とはいえ、高さ3m、全長は7mと、大人が見上げるほどの大きさだ。
これほど巨大な展示物はほかになく、明らかに浮いている。前傾の姿勢が一般的となった
現在のティラノサウルスのイメージとかけ離れた立ち姿は、レトロで、趣きがある。ただ、そり上がった長い尻尾や太い爪、ギザギザの鋭い歯など迫力は健在だ。

佐賀県立博物館によると、この模型は50年前、1970(昭和45)年10月に開館した際に、「お祝い」として、東京・上野の国立科学博物館から譲り受けたものだという。
それ以前の、昭和36年のニュース映像には、確かに同じ模型が、科学博物館に展示されている。子どもたちがおそるおそる見上げた先には、上体を後ろにひねった独特の姿が確認できる。
佐賀県立博物館の開館当時から学芸員を勤めた森醇一朗さんは、目玉の展示物だったと振り返る。東京と地方の行き来がいまほど簡単ではなかった時代。「科学博物館の展示物が佐賀に来る」というだけで話題となった。1970年代初頭は、「帰ってきたウルトラマン」や「仮面ライダー」などのテレビ放送が始まり、特撮・怪獣ブームと重なって、子どもたちからの人気は特にすさまじかったという。
「子どもたちは玄関に入るとすぐに『怪獣!』といって展示室に向かっていた。そのくらい人気があった。50年前からずっと同じ場所に展示されていて、博物館の歴史を見守り続けてきた代物です」

なぜ佐賀にきたのか?

しかし、そんな代物がなぜ、佐賀にやってきたのか。佐賀では恐竜の化石はみつかっておらず、ゆかりはない。県立博物館に尋ねても、当時を知る学芸員がおらず、関係する資料も残っていないため、詳しい経緯はわからないという。
佐賀新聞 昭和45年12月13日付
手がかりを求め、当時の新聞をひもといた。昭和45年12月の佐賀新聞には、移設作業のようすが載っていた。分解して運ばれたのか、組み立ての途中のようだ。科学博物館から「開館祝いに贈られた」と書かれているものの、肝心の、佐賀にきた理由については、やはり触れられていなかった。
そもそも、なぜ、この模型を手放したのか。「開館祝い」などという理由で、恐竜の模型を贈ることなどあり得るのか。深まる謎を解くべく、所有元の国立科学博物館に向かった。

「模型」は時代遅れに

かつて展示していた国立科学博物館には、この模型が佐賀に贈られる前の資料が、いくつか保管されていた。昭和30年代のパンフレットは、表紙をめくるとすぐに、このティラノサウルス模型。目玉の展示物だったことがうかがえる。さらに昭和33年の写真からは、ほかに数体の恐竜模型と並べて展示されていたことも判明。体を後ろにひねった特徴的な姿勢は、背後のステゴサウルスを威嚇していたためだったことがわかった。
その中で、ついに、謎を解く重要な資料が見つかった。科学博物館の要職を歴任した古生物学者で、この模型を監修した尾崎博氏が、展示の移り変わりを振り返った論文だ。

それによると50年ほど前、科学博物館の展示のあり方に大きな変化が起きていた。それまでは珍しかった恐竜の骨格の標本が海外から入ってくるようになったのだ。
1964(昭和39)年にはアロサウルスの全身の骨格、さらに1970(昭和45)年にはティラノサウルスの頭骨の複製の展示が始まっている。展示の主流は模型から骨格へと移り、こうした時代の変化の中で、ティラノサウルスの模型は不要になっていった。

彫刻家の熱意で佐賀へ

なぜ、佐賀にやってきたのかー。そのわけを知る人物も見つかった。
50年以上にわたり、科学博物館で標本の製作に携わってきた円尾博美さん(87)。ティラノサウルスの模型を製作した福岡県出身の彫刻家・今里龍生氏の弟子として、佐賀への移設にも同行した。
「今里先生が、模型を九州に持っていくことになったから向こう(佐賀)で組み立てたりするのに連れて行ってやるといわれた。喜んでついていき着色の作業をした記憶があります」
円尾さんは、この恐竜模型に強い愛着があった今里氏の思いを関係者がくみ、ふるさとの近くにオープンする佐賀県立博物館への移設がまとまったと振り返る。
「今里先生は福岡県八女市の出身。模型が不要になり、廃棄するくらいなら、九州に持っていきたいと提案した。模型がいまも現存し、展示されていることに感動しています。できたら50年ぶりに恐竜に会いにいきたい」

『ゴジラ』のモデルだった!?

作者の愛着に、佐賀県立博物館のオープンという幸運が重なり、佐賀で生き延びることになったティラノサウルス。一方、この尾崎氏の論文の中に、思いもよらぬ記述が見つかった。
「映画のゴジラは、本館の恐竜の模型などを参考にして、つくられたものである」
(昭和45年11月20日発行『自然科学と博物館』)
(C)TOHO CO., LTD
怪獣映画の金字塔『ゴジラ』。実は尾崎博氏は、古生物学者の立場からゴジラの製作に助言をしていた人物としても知られている。その尾崎氏が、『ゴジラ』はこの恐竜模型を参考にしていたというのだ。
真相はどうなのかー。
博物館の歴史と『ゴジラ』の起源に詳しい専門家の犬塚康博氏によると、映画の製作過程で、何らかの形で、この恐竜模型が参考にされた可能性はあると指摘する。
初代『ゴジラ』は、水爆実験ですみかを奪われた古代生物という設定だ。映画には、絶滅した海洋生物の三葉虫が登場し、志村喬が演じる古生物学者が活躍する。昭和29年の第一作で人気を博した『ゴジラ』はシリーズ化され、当時、映画の製作陣と国立科学博物館の関係者が交流していたことは知られているという。
「私たちはゴジラを怪獣と思いがちですが、怪獣ではなく、恐竜なんです。映画のスタッフはいろんなものを見ているので、明らかに影響したかどうかはわからないがイメージの中にこれもあっただろう」
佐賀のティラノサウルス模型と『ゴジラ』の関係について、尾崎氏の記述を裏付ける決定的な証拠は、今回は探し当てることができなかった。しかし、ひとりの古生物学者がかかわって生まれたこの2つの“恐竜”は、きょうだいということはできないだろうか。

数奇な運命をたどり、佐賀にやってきたティラノサウルスは、意外な過去を秘めながら、きょうも来館者を迎えている。
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佐賀放送局記者

国枝拓

新聞記者を経て平成21年入局。松山局を経て、平成26年から5年間、科学文化部で福島第一原発事故の検証を中心とした原子力取材のほか、将棋・音楽・歴史などの文化取材を担当。現在は佐賀局で文化、原発などジャンルを超えた取材を担当。

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