文化

空襲の記憶を今に伝える「戦災樹木」

空襲の記憶を今に伝える「戦災樹木」

2020.04.03

今から75年前、東京の下町一帯が焼夷弾で焼き尽くされ、およそ10万人が犠牲となった東京大空襲。
その被害の傷痕を残し、悲惨な記憶を今に伝えるのが「戦災樹木」と呼ばれる樹木です。
これまで知られてこなかったその実態が、専門家の調査によって初めて明らかになりました。

実は各地に残っている「戦災樹木」

ピンク色:空襲で被害を受けた地域 緑色:「戦災樹木」の数

私たちが町を歩いている時に何気なく目にしている、大きな樹木。もしその木の樹皮に黒い焦げ痕が残っていたり、焼けてできた大きな空洞があったりすれば、それは「戦災樹木」かもしれません。

空襲の惨禍をくぐり抜け、その傷痕を今に伝える「戦災樹木」は、東京の各地に存在しています。

例えば大田区の新田神社にあるご神木のケヤキは、幹の表面が大きく裂け、焼け焦げた痕も見られますが、今も生き続けるその生命力にあやかって、触ると御利益が得られるパワースポットとして地域の人から親しまれています

戦災樹木「残すべきものと認めることが重要」

こうした戦災樹木の調査を続けているのが、明治大学農学部の菅野博貢准教授です。都市景観などが専門の研究者ですが、自宅近くで目にした戦災樹木に強烈な印象を受けたことをきっかけに、これまで詳しい調査が行われていなかった戦災樹木の実態を明らかにすることを重要な研究課題に位置づけました。

明治大学農学部 菅野博貢准教授
「木に残る焦げ痕や変形にはちゃんと歴史的な意味や価値があって、残すべきものであることを認めてあげることが重要だ」

東京大空襲

東京大空襲などの空襲で被害を受けた戦災樹木が東京23区にどれだけ残っているのかを調べることにした菅野さん。まず樹齢が70年以上と推測できる木を航空写真で確認し、その後現地に足を運んで、焼け焦げ痕や空洞などの特徴を持った樹木をリストアップしていきました。

不可欠な「証言者」の存在

証言者の田中稔さん

しかし、それだけでは戦災によるものかどうかは分かりません。必要となるのが、当時を知る人の証言です。

墨田区の飛木稲荷神社にあるご神木のイチョウの木。この樹木が戦災に遭ったことを証言してくれたのが、田中稔さん(89)です。

東京大空襲があった昭和20年3月10日、自宅近くの空き地に避難していたという田中さんは、イチョウの木が炎に包まれた様子を鮮明に覚えていました。

田中稔さん
「最初は神社の社務所の裏から燃え始めたんです。それから本殿、神楽殿と燃えて、そのうちご神木にも火が移って、葉っぱがない時期だから燃えやすく、すぐに燃え上がりました。それを見たときは本当に怖かったです」

焼失こそ免れたものの、幹が焼け焦げてしまうなど、甚大な被害を受けたイチョウの木。しかしその数年後には新たな芽を出し、その後も以前と変わらず、今も同じ場所に立ち続けています。

田中稔さん
「イチョウの生命力の強さにびっくりしました。子どもたちにこの木を見てもらうことで、戦争の恐ろしさを感じてもらいたい」

菅野さんは、樹木が戦災に遭ったことを裏付けるだけでなく、当時の地域の状況や周りにいた人たちの思いを知ることができるという意味でも、田中さんのような証言者の存在が不可欠だと言います。

23区内に202本 一方で判断できない木も

菅野さんらの6年にわたる調査で確認できた戦災樹木は、東京23区に202本。空襲によって焼失した地域と重なるように点在し、被害が大きかった下町一帯で数多く見つかりました。

また、湯島聖堂や上野公園、富岡八幡宮など、大規模な緑地がある場所にまとまって存在していることも確認できました。

75年の月日が流れ、町並みも大きく変わった東京で、200本以上の樹木がそのまま残されていたことに、菅野さんは驚いたと言います。

一方、焦げ痕などがあっても戦災樹木と判断できない木も150本にのぼりました。証言が得られなかったためです。

判断できぬまま伐採されるケースも

調査を続けるなかで菅野さんは、証言者が見つかる前に樹木そのものが失われつつある現状にも直面しました。

中央区の大原稲荷神社にある樹木は、おととしの調査で焼け焦げ痕などの特徴が確認できましたが、証言者が見つからず、戦災樹木と判断できずにいました。

その後、神社の関係者から話を聞けることになり、2年ぶりに現地へ向かいました。

ところがその樹木は、台風などで倒壊して歩行者に危険が及ぶ可能性があるとして、すでに伐採されていたのです。

明治大学農学部 菅野博貢准教授
「実際に戦災樹木であっても、その確証が得られないばかりに切られてしまって廃棄されてしまうことが起こるので、こういったことがないように戦災樹木と認定して、何らかの保護措置がとれるように努力したい」

戦災樹木には、国や自治体による認定や保護の制度は設けられておらず、その管理は所有者に委ねられています。

空襲の傷痕によって、強風などによる倒壊の危険性がほかの木よりも高いおそれがありますが、診断やせんていなどの費用は所有者が負担しなければなりません。

戦災樹木を残し続ける意義を所有者に理解してもらうことが、喫緊の課題となっています。

身近な傷痕を残していくことも“戦争の記憶”に

神社や公園、施設の敷地内などに今もたたずむ戦災樹木。空襲に遭ったことをみずから語ることはありませんが、その傷痕は、当時の記憶を静かに伝えています。

文章や映像だけでなく、こうした身近な傷痕を残していくことも戦争の記憶の継承につながると考えている菅野さん。戦災樹木の分布図をわかりやすくまとめて一般の人に見てもらうなど、活用にも取り組んでいきたいと話しています。

ことしは戦後75年。時代も町並みも変わるなか、戦災樹木は当時何があったかを今に伝える身近な存在として、調査と保護がますます必要となっています。



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