原子力

スリーマイル島原発事故から40年 福島の廃炉の行方は

スリーマイル島原発事故から40年 福島の廃炉の行方は

2019.03.30

ちょうど40年前の1979年3月28日。アメリカ北東部のペンシルバニア州にあるスリーマイル島原発で、核燃料が溶け落ちる世界初の「メルトダウン」事故が発生しました。その後、溶けた核燃料は取り出しましたが、「廃炉」は中断し、建物や施設は今も当時の姿をとどめています。一方、同じようにメルトダウンを起こした東京電力福島第一原発でも今、30年から40年での終了を目標に「廃炉」の作業が進められています。しかし最近、この「廃炉」の終了が何を指すのかについて、東京電力自身が「思い描くのが非常に難しい」と言い始めました。いったい何が起きているのでしょうか。

世界初 メルトダウンした原発の「廃炉」

取材で訪ねたスリーマイル島は、原発から1キロも離れていない場所に住宅地が広がり、かつて大事故があったとは思えない静かなところでした。

事故が起きたのは、夜も明けやらぬ午前4時。スリーマイル島原発2号機で、原子炉の圧力を下げるための弁が閉まらなくなり、冷却用の水が流出。そこに運転員の、水は入っているという誤った認識による操作のミスが重なり、原子炉の中で一気に核燃料がメルトダウンしました。

世界で初めて、そして最も多くの原発を運転していたアメリカで起きた事故。放出された放射性物質は限定的でしたが、正確な情報が乏しい中、多くの住民が避難する事態に発展しました。

この事故の後、進められたのが「廃炉」です。

アメリカ政府や電力会社は、核燃料が溶けて金属などと混ざり合った、通称「燃料デブリ」を取り出そうと試みました。

しかし、作業は難航。原発内の放射線量を下げ、取り出しを開始できたのは事故の6年後でした。

その後、開発した掘削装置で取り出しを続け、事故から11年後、全体の99%、130トン余りの「燃料デブリ」を取り出し、作業を終えたのです。

そこから先は、隣接する1号機が運転を継続していたこともあり、原子炉や建物はそのままに残されています。その1号機もことし9月に閉鎖される可能性がありますが、事故から40年たっても「廃炉」をどのように進めるのかはっきりとは決まっていません。

広辞苑に「廃炉」が

スリーマイル島原発の経験を参考に、「廃炉」の工程を決めたのが、福島第一原発です。

ただ、スリーマイルでメルトダウンした原子炉は1基で「燃料デブリ」はほとんどが原子炉の中にとどまっていました。

撮影:東京電力HD

それに対し福島第一原発では、3基の原子炉がメルトダウンし、「燃料デブリ」は原子炉にとどまらず、その外側の格納容器まで広がりました。その量はスリーマイルの6倍以上のおよそ880トンと推定されるなど被害はさらに深刻で、デブリの取り出し開始も事故から10年後の2021年と、より長い期間が設定されました。

国や東京電力は、「廃炉」の終了までにかかる期間を、事故の年から、30年から40年としています。

では「廃炉」の終了とは何を指すのでしょうか。

去年、10年ぶりに改訂された広辞苑に、「廃炉」が初登場しました。それによると、「原子炉の運転を停止し装置を撤去すること」と書かれています。

岩波書店 広辞苑 第七版

普通、電力業界で「廃炉」とは、運転を止めて核燃料を運び出し、建屋を解体。最後はその場所を「さら地」にすることとされています。

東電「最後の姿を思い描けない」

しかし、ことし2月、東京電力の責任者の発言をきっかけに、「廃炉」の姿が揺らぎだしました。

「福島第一原発の廃炉の定義をどう考えるのか、議論をしているのか」

記者会見で出された質問に、東京電力福島第一廃炉推進カンパニーの小野明代表の表情が曇りました。

「非常に厳しい質問だ」

福島第一原発の廃炉の工程には、「原子炉施設の解体等」という項目があり、終了までの期間として40年後まで線が引かれていますが、「廃炉」の終了が何を指すのか、答えに窮してしまったのです。

「通常の原発の廃炉って言うと、最終的には建屋まで解体・撤去して、さら地に戻して、場合によってはそこに原発を作り直すことがベースになっている。福島第一原発の場合は通常の原発と様相が違うので、最後の姿は非常に振れ幅が大きすぎて、今の段階で思い描くことが難しい」

「廃炉=さら地にする」かは、今の段階ではわからないという小野代表の発言。重要なポイントとなるのが、取り出した燃料デブリや解体で出る廃棄物をどこで処分するのかという問題です。

引き受けてもらうあてがない中、さら地に戻す見通しは立っていないのです。

地元「本当の意味での復興は」

小野代表の発言に反応したのが、地元・福島県の内堀知事です。

さら地という言葉は使いませんでしたが、「廃炉を行ったあと、そこをしっかりきれいにしてもらいたい。本当の意味で復興を遂げるには、きれいにしてもらうことが何よりも重要だ」と述べました。

燃料デブリや廃棄物は、県外で処分することを求めたのです。

しかし、それが容易ではないということは関係者の一致した見解です。

スリーマイル島原発の「燃料デブリ」も、取り出された後、遠く北西部のアイダホ州にある国立研究所の施設に保管されていますが、あくまでも仮置きで、最終的な処分の見通しは立っていません。

福島第一原発の廃炉を監視する原子力規制委員会の更田豊志委員長は3月27日に開かれた会見で、「40年という工程表は、技術的な検討によるもので、『燃料デブリ』をどこで処分するかなど、社会的な意思決定に要する時間を織り込むことは難しい」と話しました。

そのうえで、「どの時点をもって『廃炉』が終了したとするのかは難しい」と述べ、この問題の複雑さを伺わせました。

“われわれの世代で議論すべき”

福島第一原発の廃炉に詳しい福井大学の柳原敏特命教授は、廃炉の姿を決めることは、先送りできない課題だと指摘します。

「廃炉の最終的な姿を目標として決めなければ、どんな技術開発を進めるかやコストがいくらかかるかといった、今必要なことも決められない。将来の世代にすべてを委ねるのではなく、われわれの世代である程度の方向性を決める責任がある問題だ。重要なのは、施設や廃棄物をどうするかということの先にある、この場所と地域をどのように使っていくのかということであり、それによっては、すぐにすべての燃料デブリを取り出すとか、施設を解体撤去するという以外の選択肢もあり得るかもしれない。地域の住民と話し合い、議論を十分に尽くしながら、方向性を決めていくべきだ」

福島第一原発の事故から9年目の今、実際の廃炉作業はまだまだ緒に就いたばかりです。40年後の廃炉の姿を思い浮かべるには、現状はあまりにもほど遠いという印象はぬぐえません。

しかし、事故の責任を負う東京電力は、この難しい議論に背を向けることはできないはずです。もちろん、東京電力だけで決められることではありません。「本当の意味で復興を遂げる」という地元の言葉に、私たちの社会が向き合うことが求められています。

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