科学

「重力波」ノーベル賞“異例”の受賞にみる日本の科学技術の行く末

「重力波」ノーベル賞“異例”の受賞にみる日本の科学技術の行く末

2017.12.20

12月11日にスウェーデンのストックホルムで行われた今年のノーベル賞の授賞式。あるアメリカ人研究者の“異例”の受賞が、世界の注目を集めました。「アインシュタインの最後の宿題」と言われた時間と空間のゆがみ=重力波の観測という、人類の叡智を結集して達成された研究成果が受賞テーマとなった物理学賞で、いわば“門外漢”とも言える人物が、科学界最高の栄誉に輝いたのです。
その人物とは、カリフォルニア工科大学名誉教授で、重力波を初観測したLIGOという研究グループの所長を務めたバリー・バリッシュさん(81)。LIGOをアメリカの2つの大学による小さな研究グループから、世界10カ国の1000人以上の研究者が集まる国際プロジェクトに作り替え、見事、科学の歴史を塗り替える成果を成し遂げたことが受賞理由でした。
日本の科学界ではいま、国際舞台での科学論文の発表本数が、年々低下し、日本人のノーベル賞受賞者の中からは、このままではノーベル賞をとれなくなると科学力の低下を懸念する声が強まっています。バリッシュさんの受賞は、こうした日本の科学界にとっても今後の行く末を考える上で重要な示唆を与えると言われているんです。

(科学文化部・大崎要一郎)

”異例”な受賞が持つ意味は

LIGOはアメリカのワシントン州とルイジアナ州の広大な土地に、それぞれ全長4キロのトンネル2本を備えた巨大な観測施設を持っています。2015年9月、ここで人類の歴史を新たな段階へと進める偉大な成果が達成されました。水素原子1個分よりもはるかに小さい時空のゆがみ=重力波を観測することに成功したのです。2つの巨大なブラックホールの衝突で生まれた波が、はるか13億光年の距離を伝わって地球に届いたものでした。100年前、その存在を予言したアインシュタイン自身が「不可能ではないか」と言ったほどの偉業。翌年、成果が発表されると、世界中の研究者が称賛し、大方の予想通り今年のノーベル物理学賞を受賞しました。

そのノーベル賞を受賞したバリッシュさんはどんな人なのか。1994年にLIGOの2代目の所長に就任し、2005年まで務めましたが、実はそれ以前には、素粒子と呼ばれる物質を形作るもっとも基本的な粒子を探す、加速器という装置の開発に携わっていて、重力波は専門外でした。一緒にノーベル賞を受賞したレイナー・ワイスさん(85)はパイプの中にレーザー光を放ち、その光が往復する時間の変化を調べることで重力波を観測するというアイデアを元に、実現に向けて技術的な向上を進めてきた、いわば発案者です。もう1人の受賞者キップ・ソーンさん(77)は宇宙でどういった現象が起きたときにどれくらいの重力波が発生するのか、それがどのような信号として地球に伝わるかといった研究を担い、LIGOの理論的支柱となりました。2人に比べるとバリッシュさんの所長という仕事は「管理職」のような響きがあり、一般的な「科学者」というイメージとは少し異なっているようにも見えます。

左からワイスさん、バリッシュさん、ソーンさん

しかし、専門家はバリッシュさんが受賞したことにこそ、現代の科学研究が置かれている状況が反映されていると見ています。科学技術政策が専門でノーベル賞の歴史にも詳しい科学技術・学術政策研究所の赤池伸一さんは「これまでのノーベル賞は対象となる研究成果を発表した論文の主要な著者に贈られるものだと考えられてきた。バリッシュ氏のようなプロジェクトリーダーが、観測施設の建設や組織の運営を評価され受賞したケースは聞いたことがない」とした上で、「特に現代の物理学の実験は大型化し、“ビッグサイエンス”と呼ばれるプロジェクトがどんどん増えている。プロジェクトリーダーはその成功の鍵を握る重要な存在であるということが示された点で受賞の意義は大きい」と話します。そして、「今回の受賞は日本の科学技術政策を考える上でも重要な示唆を与えている」と指摘しました。

“史上最大のプロジェクトを立て直せ!”

バリッシュさんは、所長としてどのような業績を上げたのでしょうか。実は就任した1994年、LIGOは窮地に立たされていました。1990年に資金を支出するアメリカ国立科学財団(NSF)から建設が承認されていながら、実際の建設はまったく進んでいなかったのです。財団側も実現性に疑問を示し、このままでは計画が頓挫しかねない状況でした。
就任早々、バリッシュさんは新たな建設計画を打ち出しました。建設を重力波観測の“可能性がある”レベルにまで技術を高める第1ステージ(後にイニシャルLIGOと呼ばれます)と、“おそらく”は実際に観測できるレベルにまで感度を上げる第2ステージ(現在の通称アドバンストLIGO)という2段階で経験を積みながらLIGOを建設するというものでした。これが現実的な計画だと評価され、NSFからの信頼を得たと言われています。同時に予算の増額も勝ち取りました。ちなみにこれまでLIGOに投入された費用は6億2000万ドル(700億円)とも11億ドル(1200億円)とも言われ、NSFが手がけた中で最も大きなプロジェクトになっています。バリッシュさんはまさにその立て直しを担うことになったのです。

バリッシュさんはNHKのインタビューに対し、「10年で実現するつもりだったが、20年かかってしまった」と笑いつつも、「重力波の観測にはいくつもの技術開発が必要だと言うことが分かっていた。そのためには建設だけでなく技術開発のための予算も必要だと頼んだ。施設も後々さまざまな改良が施せるように、当初は使わないようなものまで建設しておいた」と話し、長期的な見通しをもって計画を立てたことが成功の秘訣だと明かしました。
もうひとつバリッシュさんが力を入れたのは、優秀な人材を確保することでした。カリフォルニア工科大のインタビューに答えたところによると、就任当初は、古くからのメンバーがLIGOを私物化し、お互いをライバル視するように、情報の共有もなされないことで建設が滞っていると感じたと言うことです。バリッシュさんは、特に大型施設の建設に必要なエンジニアやマネージャーをチームに加えることを意識し、就任から半年かけて必要な人材や資材を集めたと言います。また、国内だけでなく、世界中から優秀な人材を集めようと、1997年にLIGO科学コラボレーションという新たな組織を立ち上げました。各国から参加する全ての研究者が平等に研究の機会を与えられるよう、調整する役割です。全ての研究者がやりがいを感じ、自らの専門性を生かして活躍できる環境を作ったのです。今では18か国の108の研究機関から1200人が参画し、重力波観測の原動力になりました。バリッシュさんはインタビューの中で、「機会が平等であることが良い人材を集める上で重要だった」と語っています。

2005年、LIGOの所長を退くと、バリッシュさんは巨大加速器の国際プロジェクトにリーダーとして招かれました。その後、再びLIGOに戻り、2015年に歴史的な成功を迎えたのです。

巨大科学プロジェクト専門の”管理職“=マネージャーという存在

LIGOのメンバーでカリフォルニア工科大学の山本博章上級研究員は、バリッシュさんに声をかけられて参加した1人です。
バリッシュさんを間近に見てきた山本さんは、LIGOが観測に成功した理由として、「マネジメントの層の厚さ」を挙げます。ディレクター、サブディレクター、プロジェクトマネージャー、科学者の上に立つ責任者、エンジニアの上に立つ責任者等々が、現場の状況をくまなく把握していると言います。それによって、現状に沿ったスケジュールを立てることができるほか、最終的にトップが責任をもって決定することができ、全体がうまく機能していると分析しています。しかもこの人たちはLIGOの仕事だけに専念していて、大学の業務などに追われることはないと言います。また、資金を提供するNSFと密接にコミュニケーションをとりながら、議会の理解も得て、継続的な支援を引き出すことができたことも重要だったと言います。
そうしたマネジメントを担う人たちは、専門分野をまたいで活躍の場を広げています。バリッシュさんは、大型加速器の建設からLIGO、そしてまた別の国際共同研究へと大型プロジェクトを渡り歩いています。彼の前任者もNASAの惑星探査機ボイジャーの計画に携わっていましたし、彼の下で働いていた副所長は今、世界最大の望遠鏡の建設プロジェクトを率いています。山本さんはこうした引く手あまたのマネジメント人材の特徴として、「面白い研究を契約として請け負った以上、必ずやり遂げるという意思を持ち、その為には何をしなければならないか自ら考え、外の意見も聞くことができる」と話します。

写真 左が山本さん、右がバリッシュさん

今回バリッシュさんがノーベル賞を受賞したことについて山本さんは、「バリーは重力波に関しては素人でしたが、短時間で正確に将来の計画を立て実行出来たのは、大型計画を実際に作り上げる力量と、何が大切かを見極める能力があったからだと思っています。バリーは重力波の研究に携わっていなかったので、ノーベル賞を貰うのはどうか、と言う声を聞いたことがありますが、もし彼がいなかったら、重力波はまだ見つかっていないでしょう。LIGOの前に携わっていた加速器の計画が中止になっていなければ、彼はそちらの成果でノーベル賞を受賞していたと思います。重力波業界にとっては、中止は幸いなことでした」と最大級の称賛を送っていました。

“どうする?日本の科学界”

現代の大型プロジェクトをリーダーとして担うマネジメント人材。実は、日本も優れたリーダーを輩出してきました。2001年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さん(91)はその代表格です。1980年代、カミオカンデという観測施設を設計、建設し、宇宙から来るニュートリノという素粒子を捉えることに成功した小柴さんは、今回重力波で受賞した3人の業績を1人で成し遂げたようなものだと評する人もいます。その教え子で東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章さんも、2015年にノーベル賞を受賞しました。日本では、いわば徒弟のように、リーダーの背中を見て、新たなリーダーが育ってきたと言えるかもしれません。

名古屋大学教授の川村静児さん

しかし、それはこの先も安泰ということなのでしょうか。今、科学研究はますます大型化し1000人以上の研究者が参加して、予算が1000億円を超えるような規模の研究も少なくありません。そうしたビッグサイエンスを成功に導くことができるのか、日本の現状に課題を挙げる人もいます。日本の重力波観測施設KAGRAの建設に携わってきた名古屋大学の川村静児さんは、かつてLIGOの建設にも携わった経験から、日米で大型プロジェクトの進め方の違いを感じることがあると言います。海外の研究者などから外部評価を受けると、予算が少ないことや、人が足りないこと、スケジュールも現実的はないことを指摘されると言いますが、予算を付ける文部科学省からは予算を削れないかと求められ、人手が足りなければ自分たちで外部資金を獲得しなければならないなど、LIGOとは異なり研究や建設に専念しづらい環境があると言うことです。その背景について川村さんは、LIGOの予算を握るNSFにはLIGO専任の担当者がいるのに対し、文部科学省にKAGRAの専任はいないため、現場の実態が把握されにくいことがあるのではと分析します。また、LIGOでは専門の技術者がいましたが、KAGRAでは教員だけでなく学生も建設を担います。それでも、2016年に試験運転を始めることができた際には海外の研究者から「奇跡だ」と称えられたと言います。これを単なる褒め言葉と受け止めるべきでしょうか。川村さんは、プロジェクトマネジメントを学ぶ海外の講座にも参加していますが、日本人の研究者はほとんど見たことがなく、文部科学省など行政からも参加者がいないのが現状だと言います。
なぜこうした状況になっているのか。科学政策が専門の赤池伸一さんは、そもそも科学研究全体で確保できる資金面に圧倒的な差があることは否めないとした上で、「現場の研究者と文科省や政治の交流がアメリカに比べて弱いことは課題だ」と話します。アメリカでは研究者が行政機関にスタッフとして入ったり、政治家のアドバイザーを務めるなど人事的な交流が盛んで、予算を管理する部門にも、現場の実情に詳しい人たちが多く、「プロジェクトを進める上で理解を得やすい関係ができているのではないか」と言います。その上で、日本でも、小柴さんら現場任せにするのではなく、行政と研究者の間や様々な研究現場の間で人事交流を増やすなど、長期的な目を持ってマネジメントを担える人材を育てていく必要があると提言しています。

科学技術・学術政策研究所の赤池伸一さん

“これからの人材育成にむけて”

LIGOをきっかけに、アメリカの科学研究におけるマネジメントについて取材してきましたが、必ずしもアメリカ流だけが望ましいわけでないという意見も聞きました。ヨーロッパの大型プロジェクトでは、ひとりのリーダーに頼るのではなく、各国の代表が参加して議論しながら進めることで、大きな成果を上げているケースもあると言います(2013年にヒッグス粒子と呼ばれる素粒子を発見したCERNの研究などが知られています)。しかし、そうした共同研究においても、マネジメントに長けた人が必要だということについては、ほとんど異論がありませんでした。
ことし3月には世界的な科学雑誌、「ネイチャー」が日本の研究力についての特集記事を掲載。日本の論文数がこの10年、停滞しているとした上で、「日本の科学研究が失速し、このままではエリートの座を追われかねない」と警告するなど、日本の科学技術の凋落が危ぶまれています。ノーベル物理学賞を受賞した梶田さんも、「ノーベル賞がいままでのように出るかというと、怪しいといわざるを得ない」といいます。これからの科学研究を担う人材育成をどのように進めるのか、重力波、そしてバリッシュさんの受賞は、その問いに一石を投じたのではないでしょうか。

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