自民党総裁選挙の投開票が9月29日に行われます。
候補者の情報、プロフィールを詳しく伝えます。

候補者

※左にスライドすると候補者情報がご覧いただけます

候補者 選挙区 当選回数 派閥 過去の主な役職

河野 太郎 氏(58)

衆院神奈川15区 8回 麻生派 防衛大臣、外務大臣

岸田 文雄 氏(64)

衆院広島1区 9回 岸田派 党政務調査会長、外務大臣

高市 早苗 氏(60)

衆院奈良2区 8回 無派閥 総務大臣、党政務調査会長

野田 聖子 氏(61)

衆院岐阜1区 9回 無派閥 総務大臣、党総務会長

※ 届け出順

プロフィール

河野 太郎

河野太郎氏は、衆議院神奈川15区選出の当選8回で58歳。(昭和38年1月10日生)。

麻生派に所属しています。

総裁選挙は2回目の挑戦です。

規制改革担当大臣を務め、ことし1月からは新型コロナウイルスのワクチン接種も担当しています。

祖父は、かつての党の重鎮、一郎氏。父は党の総裁や衆議院議長などを歴任した洋平氏です。
日本の大学を中退後、アメリカのジョージタウン大学に入り、のちに国務長官を務めるオルブライト氏のゼミで、アメリカの外交政策の立案過程を学びました。

サラリーマンを経て平成8年の衆議院選挙で初当選。
若いころから総理大臣を目指すと公言し、自民党が野党だった平成21年の総裁選挙に挑戦しました。
そして世代交代や派閥政治からの脱却を訴えました。

自民党が政権に復帰したあと、安倍内閣で国家公安委員長兼行政改革担当大臣として初入閣し、その後、外務大臣に就任しました。2年あまりの在任期間中、訪問した国と地域は延べ123に上ります。
また、防衛大臣も務め、新型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の山口・秋田両県への配備断念を決めました。

河野氏はこれまで、将来的な「脱原発」や年金制度の抜本改革などを主張し歯にきぬ着せぬ言動から「自民党の異端児」とも呼ばれてきました。

今回の立候補にあたっては、安全が確認された原発の再稼働を容認する考えを示し、「持論を変更したのではないか」と指摘されました。

発信力には定評があり、自身のツイッターには240万を超えるフォロワーがいます。

父・洋平氏も議員だった平成14年には、洋平氏の肝臓病の治療で移植に必要な肝臓の一部をみずから提供し、話題になりました。

「くせの強い果物」ドリアンが好物だということで、外務大臣時代には、その匂いでちょっとした騒ぎになったということです。

岸田 文雄

岸田文雄氏は、衆議院広島1区選出の当選9回で、64歳。(昭和32年7月29日生)。

総裁選挙は、去年の前回に続き、2回目の挑戦です。

同じ広島が地元の池田勇人元総理大臣によって創設されて以来、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一と、4人の総理大臣を輩出した派閥、「宏池会」を率いています。

祖父と父も衆議院議員の政治家一家に育ち、大学卒業後は、旧長銀=日本長期信用銀行に入りました。
その後、父親の秘書を経て、平成5年の衆議院選挙で初当選しました。

平成19年には、第1次安倍改造内閣で沖縄・北方担当大臣として初入閣しました。

自民党が野党転落後には党の国会対策委員長を務めました。

第2次安倍政権発足後は、4年半余りにわたって外務大臣を務めました。
連続の在任期間では戦後最長で、この間、当時のアメリカのオバマ大統領の被爆地・広島への訪問実現や、慰安婦問題をめぐる日韓合意などに尽力しました。

平成29年には、党の政務調査会長に就任。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、事業者の賃料負担を軽減する新たな給付金の創設などに取り組みました。

かねてから総理大臣を目指し、良好な関係を保ってきた安倍前総理大臣からの後継指名に活路を見いだす戦略をとってきましたが、安倍氏辞任に伴う去年の総裁選挙では菅総理大臣に敗れ、要職から外れました。

8月下旬に立候補を表明した際には、心に残った国民の声を書き留めてきたというノートを紹介し、みずからの「聞く力」をアピールしました。

座右の銘は「春風接人」(しゅんぷうせつじん)。「春風のような優しさで人と接する」という意味の通り柔らかい語り口や誠実な人柄は誰もが認める一方、「真面目すぎる」との声も聞かれます。

一方で、政界随一の酒豪としても知られています。外務大臣時代にはロシアのラブロフ外相とウォッカを酌み交わし、互角に渡り合ったというエピソードもあります。

プロ野球は、地元広島カープのファンで好きな食べ物はお好み焼きだということです。

高市 早苗

高市早苗氏は、衆議院奈良2区選出の当選8回で、60歳。(昭和36年3月7日生)。

総裁選挙には初めての挑戦です。

女性の立候補は、当時、衆議院議員だった東京都の小池知事以来、13年ぶり。女性2人が立候補するのは総裁選挙史上初めてです。

大学卒業後、松下政経塾で学びアメリカ連邦議会での勤務やテレビ番組のキャスターを経て、平成5年の衆議院選挙で無所属で初当選しました。

旧新進党などに所属したあと、平成8年に自民党に入党。

平成15年の衆議院選挙で議席を失いましたが2年後の郵政選挙では、郵政民営化に反対した相手候補の「刺客」として、立候補し勝利しました。

保守的な政治信条で知られ、初当選が同期の安倍前総理大臣とも近く、平成18年の第1次安倍内閣では、沖縄・北方担当大臣として初入閣しました。

今の細田派に所属していましたが自民党が野党時代、派閥会長だった町村元官房長官ではなく、安倍氏の総理大臣復帰を後押ししたいとして派閥を離れました。

第2次安倍内閣の発足に伴い、政務調査会長に就任し、アベノミクスの推進に党の立場から取り組みました。

その後、総務大臣に就任し、在任期間は1438日で歴代最長です。
この間、マイナンバーカードの円滑な交付に向けて自治体などとの調整に取り組みました。

今回の立候補について、高市氏は、安倍氏に立候補するよう繰り返し求めたもののかなわず、安倍政権の政策実現のため、自ら立候補するに至ったと説明しています。

目標とする政治家は、イギリスのサッチャー元首相。
「国民に不人気な政策でも、国家のために必要と思ったら信念を持って取り組む姿勢が好きだ」と話しています。

学生時代にはヘビーメタル・バンドでドラムを担当していました。

趣味は、スキューバダイビングや野球観戦など多岐にわたります。

好物は、たらこをのせたごはん、コロッケ、そして、豚まんということです。

野田 聖子

野田聖子氏は、衆議院岐阜1区選出の当選9回で61歳。(昭和35年9月3日生)。

総裁選挙には初めての挑戦です。

女性の立候補は、当時、衆議院議員だった東京都の小池知事以来、13年ぶりで、女性2人の立候補は総裁選挙史上初めてです。

野田氏は、ホテル勤務や岐阜県議会議員を経て、平成5年の衆議院選挙で初当選し平成10年の小渕内閣では、37歳、当選2回で郵政大臣に抜擢されました。

その後、平成17年に郵政民営化に反対して自民党を離党しましたが、翌年に復党し、福田改造内閣と麻生内閣で消費者行政担当大臣を務めました。

また、平成24年の第2次安倍内閣の発足に伴って、党の総務会長に就任し、従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に向け、党内の意見集約にあたりました。

その後、総務大臣を務めたほか、翌年には衆議院の予算委員長に就任しました。この時、衆議院の議院運営委員長を務めたのは高市氏で、2人とも女性初の就任でした。

去年の菅内閣の発足に伴い、二階幹事長を支える党の幹事長代行に起用されました。

野田氏は、男性が中心の政治を変えたいとして、これまで立候補にたびたび意欲を示し、6年前と3年前には、推薦人を確保できず断念し、去年も立候補を見送った経緯があります。

また、みずから不妊治療を続け、第3者から卵子の提供を受け、10年前に長男を出産しました。子育ての様子などをブログで発信していて、みずからの経験も踏まえ、生殖補助医療の法整備を検討する超党派の議員連盟の会長を務めています。

大の日本酒好きで、日本酒の海外輸出の拡大も後押ししています。

趣味は読書、ドキュメンタリー鑑賞。

好きな食べ物は、なすの揚げ出し、ギョーザだということです。