なぜ重要?「最高裁判事」

9月、アメリカ連邦最高裁判所の判事、ギンズバーグ氏が87歳で亡くなった。

後任の新しい判事をめぐって、トランプ大統領が指名した保守派の判事を承認するかどうかの公聴会が、今月13日から議会上院で行われた。
この新判事の人事をめぐっては、大統領選挙の争点の一つにもなり、公聴会が行われた日には裁判所の周りに市民が集まって賛否を主張しあうほど。

判事の死去が、なぜここまで政治、社会を巻き込んだ議論になるのか?
その背景をひもとく。

目次

    最高裁判事の影響力

    連邦最高裁判所

    アメリカの連邦最高裁判所は、人工妊娠中絶や同性婚、銃規制の是非など、社会を二分するような問題に司法としての最終的な判断を下す。
    社会の在り方に大きな影響を与えることもある最高裁の判断は、9人いる判事の多数決で決められる。

    判事の人事で毎回焦点になるのは、共和党の支持者の考え方に近い保守派か、民主党の支持者の考え方に近いリベラル派かという点だ。
    亡くなったギンズバーグ氏は、リベラル派と見なされていた。

    ギンズバーグ氏が亡くなる前、最高裁判事の構成は保守派5人、リベラル派4人だった。
    つまり現在は、保守派5人、リベラル派3人。

    そこにトランプ大統領は、保守派のバレット氏を指名。
    この人事が議会で承認されれば、保守派6人、リベラル派3人と保守派の影響力が強まることが予想される。

    最高裁判事は終身制。
    原則として亡くなるか、みずから退任する以外、交代することはない。

    トランプ大統領は、現職大統領の自分に指名する権利があると主張。
    大統領選挙を前に、みずからが支持基盤とする保守層に、実績としてアピールしたいという狙いもあるとみられている。

    一方の民主党は、選挙で勝利した次の大統領が指名すべきだとして反発している。

    最高裁判事に指名されたバレット氏とは

    トランプ大統領に指名された、エイミー・バレット氏はどのような人物なのか。

    バレット氏は、南部ルイジアナ州生まれの48歳。
    カトリック系のノートルダム大学法科大学院の教授などを経て、2017年、トランプ大統領に指名され、中西部イリノイ州シカゴなどを管轄する高等裁判所にあたる、連邦控訴裁判所の判事を務めている。
    敬けんなカトリックで、7人の子どもがいる。

    関心を集めているのが、アメリカ国民の間で意見が分かれる問題について、バレット氏がどういう立場をとるのかということだ。

    例えば、人工妊娠中絶に対する考え方。
    バレット氏は、これまでの発言などから、プロ・ライフ=宿った命こそが大切、つまり、人工妊娠中絶には反対という考え方だとされている。
    アメリカでは、1973年に最高裁が中絶は女性の権利だと認める判断を示している。
    しかし近年、州レベルで中絶を規制する動きが活発化していることもあり、今後また最高裁に判断が委ねられることになった場合、先の判断が維持されるのか、あるいは覆されるのかということが大きな関心事になっている。

    もう一つは、いわゆるオバマケア=低所得者のための医療保険制度についてだ。
    2012年に最高裁がオバマケアを合憲とした判決について、当時大学教授だったバレット氏は批判的な学術記事を書いている。

    最高裁では、選挙直後の11月10日、オバマケアの無効化をめぐる裁判の審理が始まることになっている。
    こうしたことから、民主党は「バレット氏が就任すれば、中絶を選ぶ女性の権利が奪われ、大勢の国民が医療保険を失う」と反対。議会の公聴会では、民主党の議員が、これらの問題についてのバレット氏の見解を相次いでただした。
    これに対してバレット氏は「個人的な意見を言うことは差し控える」として明確な回答は避け、法にのっとってそのつど判断し、あくまでも三権分立の原則に従って、政権の意向にとらわれず独立した判断をすると強調した。

    国民に愛されたギンズバーグ氏

    RBGーールース・ベイダー・ギンズバーグ氏の名前の頭文字をとった愛称だ。

    髪を束ね、黒縁の眼鏡をかけたギンズバーグ氏は、そのフィギュアやTシャツなどが大人気だった。
    2015年に出版された伝記はベストセラーになったほか、フェミニストを集めた子ども向けの絵本にも登場。
    2018年には、女性の権利のために闘った半生を描いた映画も全米で公開された。

    コロンビア大学の法科大学院を卒業後、法学の教授として研究に携わった。
    1970年代には、アメリカの人権団体ACLU=アメリカ自由人権協会で、女性の権利拡大に向けた活動の中心的な弁護士としても活躍し、男女の格差是正を求める訴訟を数多く主導。

    特にギンズバーグ氏がこだわったのは、法の下の平等を定めた「アメリカ憲法修正第14条」。もともと、奴隷だった人たちの権利を保障するために南北戦争後に定められたものだが、ギンズバーグ氏は平等が保障される範囲を女性の権利にも適用することを求め続けたのだ。
    その結果、女性の人権をめぐる画期的な連邦最高裁判決をいくつも勝ち取り、気鋭の人権派弁護士として一躍有名になった。

    ホワイトハウスで記者団を前に話すギンズバーグ氏(1993年8月)

    こうした功績からギンズバーグ氏は、1993年、当時の民主党・クリントン大統領に女性として史上2人目の連邦最高裁判事に指名され、議会の承認を経て就任した。
    アメリカ社会にとって、女性の権利のために闘ってきた彼女は、フェミニストのアイコンとしても、絶大な人気を誇った。

    ギンズバーグ氏が亡くなると、その死を悼もうと、連邦最高裁判所前には、深夜にもかかわらず数百人の市民が集まった。

    たくさんの花束とともに「ありがとう」「安らかに眠ってください」といったカードが添えられ、その功績をたたえていた。

    テレビは連日、特別番組を放送した。

    そして、そのひつぎは、公職にあった女性としては初めて、連邦議会議事堂に安置された。
    これはアメリカでは最大級の敬意を表すこととされている。

    広く愛されていたRBGを失ったアメリカ。
    これからの未来は次の世代に託されることになる。

    国際部記者

    佐藤 真莉子

    2011年入局
    福島局、社会部を経て
    2015年から国際部
    アメリカ、ヨーロッパを担当