医学・生理学賞

ノーベル医学・生理学賞とは

ノーベル医学・生理学賞は、医学・生理学の分野で最も重要な発見をした人に与えられます。1901年から、これまでに110の賞が授与されてきました。

賞は1人に対して与えられることもありますし、貢献した人が複数いる場合は、3人まで一緒に受賞することができます。これまでの受賞者はあわせて219人。女性は少なく、12人です。また、夫婦で受賞したケースも2回ありました。

受賞者の中での最年少は、1923年に32歳で受賞したカナダのフレデリック・バンティング博士です。血糖値を調整するインスリンを発見した功績で受賞しました。

最高齢は、1966年に87歳で受賞したアメリカのペイトン・ラウス博士です。ラウス博士は、がんを引き起こすウイルスを発見した功績で受賞しました。

1974年以降、ノーベル賞には、受賞が発表されたあとに亡くなったケースを除いて、「死去した人物には賞を授与しない」という規定が設けられています。医学・生理学賞では、9年前の2011年、病原体が体内に入ったときに最初に働く自然免疫と呼ばれる免疫の仕組みを解明したアメリカのロックフェラー大学のラルフ・スタインマン教授が、他の2人の研究者とともに選ばれましたが、発表の3日前に亡くなっていたことが明らかになりました。前例のないできごとでしたが、ノーベル財団はこのケースを、「受賞が決まったあとに授賞式までに死亡したケース」とみなし、当初の発表通り、スタインマン教授を受賞者としました。

また、医学・生理学賞では、歴史の中で一度だけ、受賞辞退を強制されたことがあります。ドイツのゲルハルト・ドーマク博士は、「プロントジル」という物質に抗菌作用があることを発見し、感染症に対抗する手段を見いだしたとして、1939年に医学・生理学賞に選ばれましたが、当時はナチス政権で、この数年前、ナチスを批判していた作家にノーベル平和賞が贈られたことに腹を立てていたヒトラーによって辞退を強いられました。

この年とその前の年には、ほかの2人のドイツ人科学者も、同様の理由でノーベル化学賞を辞退させられましたが、戦後になって、3人とも、賞状とメダルを受け取ることができました。

国際放送局(元科学文化部)

石坂 冴絵(いしざか さえ)

平成20年入局、初任地の京都局でiPS細胞などを取材。
千葉局を経て、平成26年から科学文化部で医療担当。大村智さんがノーベル医学・生理学賞を受賞した際には、スウェーデン・ストックホルムで授賞式などを取材。