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科学技術を支える若手が激減

吉野さんも未来を懸念

「就職についての不安が頭から離れない」「見通しの悪い将来が不安」―これらの声は、日本の科学技術の将来を担うと言われる、理系の博士課程を志望する学生たちから漏れ聞こえる悲痛な叫びです。

修士課程を終えて博士課程に進学する人は、ピークだった2003年度の約1万2000人から昨年度は6000人弱と半減しました。

研究者を目指す若い世代が減っている現実。

ノーベル賞受賞者たちからも、科学技術立国日本の存続が危ういと訴える声があがっています。

(国際部 記者 松崎浩子)

「若手の研究環境が保障されていない」

こちらに示すグラフは、科学技術立国を支えると言われる日本の大学院の「博士課程」に、「修士課程」から進学する学生の数です。

文部科学省によりますと、ピーク時の平成15年度の約1万1600人から減り続け、昨年度は最も少ない5963人とほぼ半減しています。

リチウムイオン電池の開発で、去年ノーベル化学賞を受賞した吉野彰さんも、この実態に懸念を示す1人です。

吉野さんは、「日本の若手研究者は、真理の探求や好奇心を満たす研究環境が保障されていない」と訴えます。

吉野彰さん
「私がリチウムイオン電池の研究を始めたのは、33歳の時でした。博士課程を経た人が10年自分で研究し、世界が認めてくれるのは30年後。何に役に立つとか、そういうことは抜きにして、真理をひたすら探求するというのは絶対必要だと思うんです。博士課程を経た人が約10年安心して研究できるようにする必要がある」

40歳未満の国立大教員 6割超が安定せず

保障されていないとは、どういう状況なのでしょうか。その1つが、研究者を目指す上での「ポスト」の少なさです。

文部科学省によりますと、40歳未満の国立大学の教員のうち、「任期付き教員」の割合は、平成19年度に38.8%だったのが、平成29年度には64.2%と、1.7倍近くに増えています。

つまり、研究者の6割以上が、40歳になるまで安定したポストにつけない状況になっています。

企業への就職でも処遇面に課題

では、企業への就職となるとどうでしょう。

吉野さんは、博士号を取得した人たちの処遇面に課題があると指摘します。

吉野彰さん
「世界では、博士課程を経るというのが、アドバンテージになる。ところが、日本では博士課程を経た人も修士課程を経た人も、民間企業で待遇は同じ。単に年齢ベースで処遇を決めるのではなく、それなりの待遇や給与面で優遇することが必要ではないか」

実際、博士号の取得者は引く手あまたというわけではないようです。

文部科学省によりますと、企業の研究者に占める博士号取得者の割合は、オーストリアが16%以上、シンガポールが8%以上。一方日本は4.4%と低い数字です。

「博士号を取得しても日本じゃメリットがない」

博士号を取得した日本の研究者の中には、その能力が日本では生かせないと海外の研究機関などに出て行く人も少なくありません。

現在、アメリカのノートルダム大学の航空宇宙機械工学科で研究や授業を行う坂上博隆准教授は、アメリカのパデュー大学で博士号を取得しましたが、日本で就職しようとすると、年齢で給料が決まり、博士号を取る過程で得た能力が考慮されなかったといいます。

坂上博隆准教授
「アメリカで博士号を取った場合、生涯年収が変わる。一方、私の航空宇宙分野に関して言うと、日本では博士号を取得して就職したところで給料は大きく変わらず、メリットがない」

さらに博士課程で学ぶ学生の環境も日本とは大きく異なるといいます。

坂上博隆准教授
「アメリカでは、理系の博士課程の学生は、職員として働いているようなものなので、大学から給料が支払われ、学費は免除されます。この間に結婚して子どもが生まれる人も珍しくありません。日本のように、学費を払い、3年間も余計に苦学生をする環境に、修士課程の学生は魅力を感じないのでないでしょうか」

実際、日本の人口100万人あたりの博士号取得者の数は、2008年の131人から、2017年には119人に減少し、増加傾向のアメリカ・ドイツ・韓国の半分以下の水準にまで落ち込んでいます。

博士課程の学生の能力 引き出そうという動きも

こうしたなか、理系の博士課程や修士課程の学生が、その能力を評価してもらえるよう、企業とマッチングさせる就職支援サービスを、3年前からベンチャー企業が始めたところ、全国で3万人が登録し、注目されています。

大手企業や外資系企業など250社が利用していて、たとえば、人工知能やバイオなど、企業が必要とする特定の専門性を持つ人材を検索すると、登録した学生の中から、これまでの研究内容やどのようなスキルを持っているのかなどわかりやすく示され、企業が学生1人1人にメッセージを送って採用に繋げるものです。

このベンチャー企業によりますと、学生が企業への就職という道を歩もうとしても、研究に忙殺され、思うように就職活動ができなかったり、大学の推薦という少ない選択肢で就職して企業とのミスマッチが起こったりすることが多かったということですが、このサービスを通じて来年はおよそ300人が就職するということです。

このサービスを提供するベンチャー企業「POL」(ぽる)の加茂倫明CEOは、次のように話します。

加茂倫明CEO
「企業側も自社に蓄積した技術的知見だけで闘える時代は終わり、隣の学術領域の知見やスキルを持つ人材を取り込む必要がある。そのため、専門知識を極めている博士を採用する動きが見られる。海外では、博士であればどこかの企業は絶対評価してくれるし、社会でも尊敬されるので、博士課程にも不安なく進める。このままだと日本では優秀な人が研究という道を選ばなくなってしまう。日本でも博士の価値を社会で認識、評価することが重要で、その風潮を作っていきたい」

博士号取得者の積極採用に舵を切る企業も

実は、10年近く前から博士号取得者に注目し、積極的に採用する方針に舵を切った企業があります。印刷インキ・樹脂などの製造や販売を行う化学メーカー「DIC」です。

有賀利郎執行役員
「以前は、博士というと、技術オタク的で扱いづらいという印象があったと思う。しかし2010年前後から主力の出版用のインキの売り上げが落ち始め、新しいことに取り組むにはアイディアや展開力を持つ博士の力が必要だと採用に力を入れ始めました」

有賀さんによると、ある博士の女性社員は、入社2年目で、5つの部署が関わるプロジェクトに参加。即戦力として研究開発に携わった結果、環境に優しい洋服用の水性インクの開発に成功したということです。

現在は、採用の2割近くが博士号の取得者で、研究開発の核となっている人が増えているといいます。

こうした流れが広がっていくことで、将来の科学者を目指す若者たちの減少に変化が起きるのかもしれません。

目先の利益だけでなく、日本は、数十年後の未来を見据えた「人への投資」を行えるのか。

気付けば「日本から博士がいなくなった」となってしまわないよう、将来もノーベル賞受賞者が生まれる国であるためにも、自由な研究環境を維持する対策を打ち続けていく必要があると感じました。

国際部記者

松崎 浩子(まつざき ひろこ)

名古屋局を経て現所属
欧州を中心にテクノロジーやジェンダーなどを取材