授賞式

AIがノーベル賞の主役に?

ことしのノーベル化学賞に選ばれた吉野彰さん。
リチウムイオン電池の開発に大きな貢献をしたことがその受賞理由だ。
1970年代から80年代にかけて、世界中が小型でパワフルな充電池の開発競争を繰り広げていた。充電池開発の鍵は「材料開発」、電池に使える新たな材料を見つけ出すことだった。
今回、吉野さんと共同受賞するスタンリー・ウィッティンガムさんは「リチウム」という物質が充電池の材料として非常にすぐれていることを見つけ出した。また、ジョン・グッドイナフさんはリチウムを「コバルト酸リチウム」という化合物にすることで電池としての安定性が飛躍的に高まることを発見した。そして、吉野さんは、もうひとつの電極に炭素を使うことで、現在のリチウムイオン電池の原型を完成させた。
まさに、天才たちが鋭い洞察とたゆまぬ努力で切り開いてきたのが、材料開発の分野だ。
日本は材料開発の分野では、数々のノーベル賞受賞者を輩出している、いわば得意分野となっている。

そんな材料開発の現場が大きく変わろうとしている。
その主役はAI。
AIによるデータ解析などを活用して材料開発を行う「マテリアルズインフォマティクス」と呼ばれる手法が新たなイノベーションを巻き起こそうとしている。
日本は、この新しい波を乗り切ることができるのか?
(科学文化部 鈴木有)

材料開発でAIの衝撃

「非常に危機的な状況です。企業や研究機関がAIを使って負けないように、なんとか世界で戦えるようにしたい」。
ことし11月、大阪で開かれた材料開発のフォーラムで、大手電機メーカーの担当者が訴えた。
材料開発分野のフォーラムのはずだが、会場には「機械学習」や「ディープラーニング」といったAIに関係する専門用語が並ぶ。
材料の分野では、この数年、AIを使うことで、これまで人の手では難しかった発見を生み出そうとする研究が大きな注目を集めている。

きっかけは、2012年に出された論文だった。マサチューセッツ工科大学と韓国のサムスン電子が共同で発表した次世代のリチウムイオン電池に関する論文だ。
内容は、高性能のリチウムイオン電池に使うことができる最適な材料を見つけ出したというものだったが、実は、その1年前に、東京工業大学とトヨタ自動車が共同で特許を出願していた材料と同じものだった。結局、特許は東京工業大学とトヨタ自動車が取得することとなったが、世界に衝撃を与えたのは、材料そのものではなく、研究手法だった。
マサチューセッツ工科大学などのグループは、実際の実験ではなく、コンピューター上の計算だけで材料の組み合わせを導き出していたのだ。

従来、新たな材料開発の研究は、候補となる無数の物質を調べ上げ、その組み合わせや割合など、求める結果が得られるまでひたすら実験を繰り返すことで行われてきた。1つの実験を行ってはその結果を考察し、もう少し1つの物質の割合を多くしたり、他の物質を試してみたりと試行錯誤を繰り返す。膨大な実験と、わずかな兆候から最適な答えを探し出す洞察力が求められてきた。

ところが、マサチューセッツ工科大学などのグループは、最小限の実験を行った結果をAIに学習させ、AIがそのデータから、最適な材料を予測するという方法で、東京工業大学などのグループと同じ答えを見つけ出した。かかった時間はわずか1年ほどだった。

危機感抱く日本

AIの衝撃を受け、日本でも材料開発にAIを活用する研究が本格的に始まっている。
材料研究の日本の拠点となっている「物質・材料研究機構」。
世界最高クラスの強度を持つ接着剤がAIを活用して開発された。

厚さ1ミリのアルミニウムの板2枚を、貼り合わせて上下に引っ張る実験。
アルミニウムの板がゴムのように伸び板が断ち切れても、接着面はびくともしなかった。

こうした強力な接着剤は、通常2つの物質を混ぜ合わせて作られる。
2つの物質とはいってもその組み合わせは無数にあり、人の手で実験を繰り返すと膨大な時間がかかるのが常識だった。
開発グループは物質の種類や配合する量などを変えた32の実験を行い、その結果をAIに学習させた。AIは1000通りの実験結果の予測をはじき出した。この中から、強度が強くなると予測された上位4つのパターンを実際に試したところ、そのうち1つが、世界最高クラスの強度を持っていることが分かったのだ。
人の手で実験すると1年半はかかる作業だったが、AIが予測するのにかかった時間はわずか1日だった。

開発グループの内藤昌信グループリーダーはこう話す。

物質・材料研究機構 内藤昌信グループリーダー
「配合量はすこしでもずれてしまうと性能が落ちる。こうした結果に正直、驚いた。新しい研究の切り口を見つけたような感じがした」

このほかグループでは、車両や航空機などに使われる断熱性の高い薄い膜の開発でも、世界最高クラスの性能を持つ材料の開発に成功したという。
こちらは過去に出された論文から大量のデータを取り出してAIに学習させた。すると、AIはおよそ8万種類の物質の組み合わせの中から、最適な物質を予測したというのだ。

開発した徐一斌データプラットフォーム長は、
「開発したのはビスマスとシリコンという物質の組み合わせで、これらはそれぞれ断熱性能が高いわけではなく、人間では考えつかない組み合わせだった」と話す。

AIはリチウムイオン電池の高性能化にも

吉野さんが開発に貢献したリチウムイオン電池は、IT社会の実現や自然エネルギー活用に道を開いたことがノーベル化学賞の受賞理由となった。
リチウムイオン電池に関わるAIの論文が材料開発の分野に衝撃を与えたということは、吉野さんのリチウムイオン電池が材料開発という新たな分野の扉を開くのにも一役買ったことになるのかもしれない。

そして、そのAIは、リチウムイオン電池の高性能化に活用されている。
リチウムイオン電池を作る際に欠かせない「電解液」と呼ばれる溶液。この中をリチウムイオンが移動することで電気が生まれる。
この電解液の性能を高めるため、人間の100倍の速さで実験を行うことができる自動実験装置を使ってデータが集められ、その結果をAIで分析している。
結果はこれからだが人の手ではたどり着くことが難しかった、もしくはごく限られた天才たちにしか見ることができなかった、新たな領域が目前まで来ているのかもしれない。

また、マサチューセッツ工科大学などのAIによる材料開発に、従来の方法でかろうじて勝つことができたトヨタ自動車と名古屋工業大学のグループも、今はAIを使いこれまでより2倍から3倍も効率的にリチウムイオン電池の材料を探す技術を開発していて、次世代の電気自動車の実現を目指している。

日本の材料研究をけん引する物質・材料研究機構の出村雅彦副部門長は、今後の研究にはAIが欠かせなくなり、国際競争は過熱すると指摘する。

物質・材料研究機構 出村雅彦副部門長
「材料の開発を加速したり、思いもかけないものが見つかったりという経験を我々は今してます。AIはこれまで私たちが行けなかった場所、行けなかった地点まで私たちを運んでくれます。AIを使うか使わないかというのではなく、AIは必須の道具になっていき、これから、まさに、国家間の大きな競争に入るのかなと思っています。官民一緒に取り組んでいかなければなりません」

“電機の二の舞”にならないために

今回の取材の中で、特に大きな危機感を感じていたのが、吉野さんと同じ企業の研究者たちだった。
冒頭紹介した大阪のフォーラムで訴えたパナソニックの水野洋所長は、過去の経験が危機感の源になっていると話す。

パナソニック 水野洋所長
「私は以前に半導体やデジタル家電に関わっていて、日本は一時世界をリードしていたが、今、非常に苦しい状態になっている。材料でも、現在、日本は非常に高い技術を持っているがAIなどで加速していかないと必ず危機が来ると思う。この分野ではアメリカや中国がすごいスピードで研究を進めている。日本の強みを生かしきれるか、あるいはAIをうまく使った別の国に破れてしまうか、今が分岐点となっている」

また、豊田中央研究所は「『100年に1度』ともいわれる自動車産業の変革期を迎え、新しい技術群に柔軟に対応していく必要がある。手間と時間がかかる従来型の手法では追従できない状況を打破するために、データ駆動型の材料開発『マテリアルズインフォマティクス』の導入と展開を強力に推し進めている」としている。

吉野さんの研究で実現したリチウムイオン電池、または炭素繊維や青色LED、光ファイバー、ネオジム磁石など日本が開発した材料は世界中で使われている。
これまで、優秀な研究者が経験やひらめきで開発してきたが、AIを使った開発が、それらを凌駕する日が来るのかもしれない。
AIを使っていかに材料開発の期間を短くし、効率よくイノベーションを起こしていくのか。
研究を加速しなければ、日本は産業の競争力を失う事態もあり得るのだ。

科学文化部 記者

鈴木 有(すずき ある)

平成22年入局。初任地の鹿児島放送局では、島嶼部の人口減少問題や種子島のロケット取材などを経験。平成27年から科学・文化部で文部科学省を担当。科学、宇宙分野を取材したのち、現在はサイバー分野を担当しています。