授賞式

いよいよ授賞式へ 吉野彰さんとは

ことしのノーベル化学賞に選ばれた吉野彰さん(71)は、大阪・吹田市出身。
京都大学工学部に入学した際に、大学では「いろんなことをした方がいい」と言われたこともあり、サークルは考古学研究会でした。サークルでは遺跡の発掘調査のアルバイトなどをやっていたということで、吉野さんは今も歴史番組を見るのが大好きだと言うことです。
吉野さん曰く、「遺跡の発掘は、さまざまな実験をしながら真の発見に近づいていく研究開発と似ている」ということでした。

京都大学考古学研究会に所属していた頃の吉野さん

ノーベル賞受賞者の“教え子の教え子”

大学では、米澤貞次郎教授の研究室に所属しました。米澤教授は、1981年に日本人として初めてノーベル化学賞を受賞した福井謙一氏の教え子です。つまり、吉野さんは福井謙一さんの孫弟子にあたるのです。この研究室は、米沢教授の方針もあって、興味を持った事はどんな事でもとことん突き詰めるという、進取の気質に満ちた場所でした。ここで新しいことに挑戦する心と技術を学んだ吉野さんは、修士課程を修了すると、大学の研究者の道は選ばす、旭化成に入社して企業研究者の道に進むことになります。

ところが、吉野さんも、企業研究者としての道のりは順調ではありませんでした。入社後に関わった3つの研究は失敗が続き。30代に入って4つ目のテーマとして選んだのが新しい充電池の開発でした。
これが「リチウムイオン電池」の誕生につながります。

大切にしている「執着心」と「柔軟性」

吉野さんが研究に取り組む上で、大切にしていることとしてよく口にするのが、「執着心」と「柔軟性」という言葉です。ゴールにむかって最後まであきらめない執着心。そして、壁にぶち当たったときには、ある時は乗り越え、またある時は回り道をしながら、「なんとかなる」という柔らかい気持ちをもつこと。この2つがそろうことで、研究は前に進んでいくそうです。

また、最近は、若者に研究の面白さを伝えることにも特に力を入れています。愛知県にある名城大学で、毎週1回大学院生に対して講義を行っているのです。また、ノーベル賞の受賞が決まったあとには、岐阜県で開かれた子ども向けのイベントにも登場して、小中学生にリチウムイオン電池が実現する未来像を伝えていました。

次なる目標は「環境問題への貢献」

いよいよノーベル賞の授賞式に臨むことになった吉野さん。
次なる目標は、リチウムイオン電池の技術をさらに発展させて、「環境問題への貢献」を本格化させることだそうです。その実現には、いくつかの革新的な技術が必要となってきます。でも、吉野さんのバイタリティーと笑顔があれば、きっと実現すると感じました。