ノーベル賞候補に聞く 次の“危機”と“備え”

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未曽有の金融危機から10年。その手の特集が、連日紙面や画面をにぎわせています。あのショックを理論的に分析して注目される経済学者がいます。しかも日本人です。「ノーベル経済学賞」の候補の一人ともいわれている、プリンストン大学の清滝信宏教授にインタビューする機会に恵まれました。「テレビの取材は初めてかな」と、穏やかな雰囲気の清滝さんに、あの危機を振り返ってもらい、次への「備え」を聞きました。
(アメリカ総局記者 野口修司)

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ニューヨークから車で2時間弱。ニュージャージーにあるプリンストン大学。

2006年から、ここで教べんをとる清滝信宏さんとのインタビューは、経済学の校舎の中の、しゃれたラウンジで行いました。

「日本の大学とは、えらい違いだな」筆者はそんな風に感じていました。

介入に躊躇しなかった

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2008年9月に起きた「リーマン・ショック」は、リーマンブラザーズの経営破たんをきっかけに金融市場が凍りつき、その後、世界的な需要不足と大不況をもたらした一大事件でした。

「リーマンショックは1929年の大恐慌以来の大不況だった」。

清滝さんは、そう言って質問に答えはじめました。ただ、日本がバブル崩壊から経済再生まで相当な時間(10年くらい)を要したのに対して、アメリカの復活は早かった、といいます。

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プリンストン大学 清滝 信宏 教授

「いろんなミスもあったが、当局は介入に躊躇しなかった。理論的な裏付けを持って、介入しなきゃいけないという相当の自信を持っていた」

清滝さんは、当時から現在に至るまで、アメリカの金融当局であるニューヨーク連銀の顧問を務めています。

その経験が、コメントからにじみ出ていました。

好景気だけど普通じゃない

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-今のアメリカ経済を、どう見ていますか?

「アメリカはご承知のとおり景気がいいが、景気のいい中で大減税をやって、政府の支出も増やそうとしている。景気が悪いときに財政出動が普通だが、今は、アン・オーソドックス(普通じゃない)というか…。その結果、FED(アメリカ金融当局)はインフレを抑えるために金利を上げなくちゃいけない。財政は拡大気味で、金融は引き締め気味っていう方向になっている。そういう意味では、これ以上、景気拡大が続くかどうかは、わからない。今のところ、ことし・来年と好景気は続くだろうが、その先はどうなるかわからない」

貿易摩擦と米利上げ かなり困る国が出てくる

-「次の危機」につながるリスクは?

「やっぱり『貿易摩擦』。関税の引き上げとか障害を設けると、コストが上がる。それもやっぱりインフレ要因になるわけで、金融当局には『金利を上げなきゃいけない』という圧力が出てくる。アメリカにとっては好景気の中で金利を上げるだけのことだが、途上国(新興国)に悪い影響を及ぼす可能性がある。すでにいくつかの途上国では混乱が出ている。アメリカが金利を上げることで途上国の為替に影響が出て、通貨安になる。そうすると途上国はインフレ気味になる。途上国では、為替の下落から輸入物価の上昇まで連鎖が早いので。そうすると途上国も金利を上げなくちゃいけない。金利を上げる時に、インフレ率以上に上げないと抑えられない。これは不況の要因になる。そうすると、まず、資産・株価、やがて不動産の価格が下がり始め、銀行とか企業のバランスシートも痛み始める。不況になる可能性が強い」

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「1980年代のはじめのレーガン政権で、『財政拡張で金利は引き締め』という今と似た時期があった。あそこまで金融を引き締めるとは思わないが、あの時は、ラテンアメリカの国とかがガタガタになった。今回もやっぱり、弱い国は大きな影響を受ける。同時に、貿易の方で摩擦が加わった場合には、アメリカへの輸出とか、アメリカからの輸入とかが難しくなって、それにインフレと為替の下落がくっついたら、かなり困る国が出てくるんだろうな、と」

貿易戦争 やめると思っちゃいけない

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「トランプ大統領は、リーマンショックや、途上国との貿易で被害を受けた人たちが支持基盤になっている。貿易は一般的には利益があるんだけど、利益の方は薄く広くで、コスト(被害・負担)の方は一部の人たちや地域に集中する傾向がある。その結果、中国やメキシコなどとの貿易で、職を失ったり賃金が下がったりした人がいる。その人たちの利益を代表するのが彼の立場でそれはたぶん動かない。トランプ政権はたしかに極端なんだけど、極端なりに理由がない訳じゃない。だから『あれは、すぐにやめちゃう』と思わない方がいい」

私が言うのもおこがましいですが、さすがに、明快!

マイナス金利 “間違ったところ”に資金が行く

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日本銀行 黒田 東彦 総裁

話を、日本に向けてみました。デフレ脱却に向けた日銀の政策は支持しながら、注文をつけたのは、まず「マイナス金利」でした。

「マイナス金利は、入れた時点ではデフレに戻る危険があったので、たぶんそれは正しかったと思う。しかし、マイナス金利は長く続けるといろんな弊害が出てくる。重要なのは、マイナス金利だと“間違ったところ”に資金が行ってしまうということ。普通の場合は、資金繰りがショートして止まるんだけど、マイナス金利とかゼロ金利だと、資金繰りがショートしないので、ずるずるつながってしまう。本来は、投資を続けるべきでない分野とか、あんまり投資すべきでない分野に資金が行くのが、長期的に見たら、一番大きな弊害だと思う」

ー「間違ったところ」とは?

「たとえば不動産でも、相続税対策でアパート建てたり、低金利を前提でやっていることがあるので、そういうのは、社会的に見たらそれほど価値がある投資ではないんだと思う」

企業の留学生がいなくなった!

“終身雇用にはほど遠い”欧米に長くいらっしゃる人のコメントとしては、意外でしたが、清滝さんは、日本の雇用情勢を心配していました。「人的資本の蓄積が遅れている」というのです。

「日本がこれだけ成長率が低い理由のひとつは、『人的資本の蓄積』が少し遅れているんじゃないかと。日本企業は、従来は若い人をたくさん雇って、ガンガン訓練して熟練を蓄積するというのが強みだったのが、不況が続いた間に、新規採用を削ったし、非常勤、パートで雇ってしまう。そうすると、職場での訓練が常勤に比べると少ない。昔は、日本企業は、幹部候補生とかをアメリカに留学させていた。このあたりにもたくさん来ていた。そういう企業派遣が、ほとんど見られなくなった。様変わりした。それはなぜかと言うと、昔だったら、アメリカのビジネススクールに送っても必ず帰ってくると自信があったが、今は帰ってこないかもしれないから(笑)。もちろん日本で中途採用の市場が広がったのはいい面もある。相性というのもあるし。一方で、副作用があって、企業が自分のお金で若い人を訓練して、というのが遅れているんじゃないかということはあると思う。そうすると、熟練の形成が遅れ、成長率も下がってしまうという危険がある」

「いい企業は投資を訓練にも使っているし、海外にも投資している。海外で人を雇う、海外でも幹部候補生を育てないといけない。そうなると、雇用のシステム、熟練形成のシステムも変わらざるを得ない。そういう意味では必要にかられて変わっていく」

日本の雇用や働き方が過渡期であるならば、思い切った変化を企業が先取りしていかないと成長も見込めないという話。

日本全体を一企業として考えれば、「教育」も含めて変革が不可欠、ではないかと感じました。

このほか、リーマンショック後の経済対策で悪化した日本の財政状況にも警鐘を鳴らしていました。

アメリカ経済の先行き、貿易摩擦、新興国の急変というリスクを抱え込む中、低成長が続く日本は、次のショックに耐えられるのか。

「備え」とは、次の成長へのきっかけでもある。

インタビューで、そんな思いを強くしました。

▽清滝信宏さん(63)大阪府池田市出身。東大卒業後、アメリカに渡り、以来、アメリカ・イギリスを拠点として研究を続ける。日本のバブル崩壊をきっかけに進めた研究、「土地(資産)の価格が下がることで、信用も下がって社会全体に影響が広がり、それが大きな経済不安につながる」という“信用の循環”に重きを置いた『清滝・ムーア(共に研究した経済学者)理論』は、その後、サブプライムローン問題やリーマンショックで裏付けられ、注目を集めている。

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経済学の道に進んだ理由を尋ねると、
「経済学が面白かったから、もう少し続けてみようかなと思ったのと、やり始めたらやっぱり性に合っているというか。東大の大学院の時、ついていた宇沢先生(故宇沢弘文氏)にずいぶん影響受けたんですけど、彼がやっぱりアメリカでしばらく教えていたことがあって、何となく、面白そうだなと思っていたんですね。世の中広いから一回外へ出た方がいいかなと、それでたまたま運が良かったと言えば、良かったというか。好きなことやって飯が食えたら幸せというか…(苦笑)」

野口 修司
アメリカ総局記者
野口 修司
1992年(平成4年)入局。
政治部、経済部などを経験。
リーマンショック時は、ロンドン特派員。この夏より、アメリカ総局(ニューヨーク)特派員。