“消えた”文学賞

ことしのノーベル文学賞は発表が見送られることになりました。前代未聞の事態の原因はなんと「セクハラ問題」。ノーベル文学賞は、失った信頼を取り戻すことができるのでしょうか?(ロンドン支局 税所玲子支局長)

”世界的な権威”が舞台のスキャンダル

「スウェーデン・アカデミーに深く関係のある男性によるセクハラ疑惑をどう思うのですか?」

去年12月、ノーベル文学賞の授賞式を前にしたカズオ・イシグロさんの記者会見。みずからの作品について語っていたイシグロさんに、地元の記者が投げかけた質問に、隣にいた「スウェーデン・アカデミー」のサラ・ダニウス事務局長(当時)の顔が見る見る間にこわばりました。

ニュース画像

ノーベル文学賞の選考にあたる「文学界の権威」は、このときすでに、スキャンダルに揺れていました。

そして、ことしの発表ができなくなるほどの深い傷を負うことになったのです。

”男女平等先進国”での#MeToo

アメリカ・ハリウッドに端を発した、セクハラや性暴力を告発する「#Me Too」。

その余波は、「自由・平等」を誇る北欧のスウェーデンにも押し寄せました。

去年11月、女性18人が、地元の文芸界で強い影響力を持つジャン・クロード・アルノー氏からセクハラや暴行を受けていた、と地元の大手新聞社が報じました。

ニュース画像

さらに、アルノー氏をめぐっては、妻でアカデミーの会員のカタリーナ・フロステンソンさんと共同で運営していたサロンにアカデミーの助成金が使われていたことが発覚したり、妻のフロステンソンさんが受賞者の名前を事前に夫のアルノー氏に漏らしていたと指摘されたりするなど、スキャンダルは拡大していきました。

問題の対応をめぐりアカデミーは紛糾。報道からおよそ半年たったことしの4月6日。アカデミーの対応が手ぬるいと3人の会員が抗議のため辞任すると表明。1週間後には混乱の責任を取る形で、ダニウス事務局長とフロステンソンさんも職を退きました。

定員18人のうち、残ったのはわずか10人。新しく会員を選ぶには12人の会員の同意が必要とされていますが、その人数すらいない状態になってしまったのでした。そしてアカデミーは、ことしの受賞者の発表を断念することを決めたのです。

伝統と改革と

ニュース画像

1786年にグスタフ国王によって創設された「スウェーデン・アカデミー」。1901年から、ノーベルの遺言に基づき、文学賞の選考にあたってきました。

作家や文学の研究家などからなる会員は終身制で、選考に関わることを口外しないなど厳しいルールを課しています。

その歴史と伝統を持つアカデミーに2015年、初の女性事務局長として就任したのが、評論家から文学の研究者に転じたサラ・ダニウスさんでした。ダニウス事務局長は、メディアの注目を集め続けます。

ニュース画像

ノーベル賞の授賞式には、目を引く斬新なドレスで登場。

おととしには、アメリカのロックシンガー、ボブ・ディランさんを文学賞に選びました。

歌は文学の範ちゅうにはいるのか、という論争に加え、ディランさんが受賞の発表にコメントすら出さず、授賞式への出席も見送ったことなどから、その判断に疑問の声もあがりました。

セクハラ疑惑をスクープした大手新聞社の編集長、ビョルン・ヴィーマンさんは、『ノーベル文学賞の決定にさまざまな批判が起きたことは過去にありますが、ディランさんの時のように嘲笑されたことはありませんでした。振り返れば、アカデミーの権威失墜の前触れだったのかもしれません』と話しています。

事務局長の暴露

さまざまな話題を呼んだすえに、セクハラ疑惑をきかっけに辞任することになったダニウス事務局長。辞任の際、アカデミーの体質を痛烈に批判しました。

『事務局長として、アカデミーを時代にあわせたものに変革したいと思っていました。みずからが継承したものを守ろうとするがゆえに一般社会の常識からかけ離れていくのは傲慢で、間違っています。いまの時代、派閥の場所などないのです』

批判の意味するところはなんだったのか。その答えを先月、みずからラジオ番組で明らかにしました。ダニウス前事務局長は、セクハラ疑惑がもたれたアルノー氏と親交があった男性たちを「古いお友達グループ」と呼び、改革への抵抗勢力と位置づけました。

そして、「20年前、当時の事務局長はセクハラを訴える手紙を受け取りながら脇に押しやった」「古いお友達グループがセクハラ疑惑やアルノー氏への助成金の流れについての調査を中止させようと画策した」と次々と“暴露”。

さらに、フロステンソンさんがアカデミーを去るのを引き替えに、自分も辞任を迫られたと述べたのです。

ニュース画像

『どの事務局長がよくて、だれが悪かったのか、それを判断できるのは歴史だけです。ただ、歴史は今のアカデミーのことを決して誇りに思わないでしょう。私の事務局長としての仕事が、女性が勇気を出して(セクハラを)名乗り出ることに貢献できたのであればとても誇りに思います』

アカデミーの再生なるか

このダニウス前事務局長の告白は、アカデミーの会員が特権におぼれ、市民の感覚から離れてしまったと感じる人々の喝采をあびました。

ところが、ダニウス前事務局長は今月になって、「アカデミーに戻り、再建に協力してもいい」と突然、申し出て、フロステンソンさんの復帰への道も開かれることになりました。

そして、アカデミーは、会員の辞任を認めるなど規則を見直し、新しい会員の選出を行うなどの「改革案」を発表しました。

前代未聞のスキャンダルに揺れた「アカデミー」の再生はなるのか。

大手新聞社のヴィーマン編集長は、厳しい見方を示しています。

『アカデミーは、もっと根本的な改革が必要です。結局、同じ人間が戻り、何事もなかったかのように運営をしようとしているようにみえますし、組織にはいまだにアルノー氏を支持する人たちがたくさんいるのです。それでは失った国民からの信頼を回復できるわけがありません。ノーベル文学賞は来年は復活すると思いますが、それは国王もノーベル財団も、つぶせないと思ったからです。

ニュース画像
セクハラ疑惑で揺れるスウェーデン・アカデミー前の広場に集まった市民

来年の受賞者は、アカデミーからの連絡をありがたがる人という、無難な選択になると思います』

今月19日、セクハラ疑惑をめぐるアルノー氏の裁判がストックホルムで始まりました。判決が出るのは来月上旬。スキャンダルさえなければことしの文学賞が発表された時期に重なるのは運命の皮肉です。

アルフレッド・ノーベルは遺言で、文学賞は理想主義的な作品を生み出した人物に与えるように求めました。

選考主体として、その理想や権威を守りながらも、いかに時代にあわせた姿に変えていくのか。アカデミーは極めて重い課題を背負っています。

セクハラ疑惑をめぐるアルノー氏の裁判で、その後、動きがありました。

首都ストックホルムの裁判所は10月1日、7年前に女性に性的暴行を加えた罪でアルノー被告に禁錮2年の実刑判決を言い渡しました。

アルノー被告は判決を不服だとして控訴するとしています。

ノーベル賞を運営するノーベル財団のヘイケンステン専務理事は、メディアとのインタビューで「文学賞の選考を行っているスウェーデン・アカデミーが組織改正などの改革を行うことができなければ選考をほかの団体にゆだねることも検討しなければならない」と述べて、信頼回復に全力を尽くすよう求めています。