益川敏英さん「学問と遊ぶ」

10月1日からことしのノーベル賞の受賞者が発表されます。これにあわせて、ノーベル賞受賞者など研究開発ですぐれた業績をおさめた3人の方にお話を聞きます。科学のおもしろさは?、子どもの頃はどんな子どもだったの?、若者へのメッセージも。1人目はノーベル物理学賞の受賞者の益川敏英さんです。

「学問と遊ぶ」~楽しさを追求した益川敏英さん~

益川敏英さんは名古屋大学で物理を学び、素粒子理論の世界にのめり込んでいきました。そして、京都大学で研究していた30代の時に3種類しか発見されていなかった素粒子の「クオーク」が、6種類存在するはずだと予想した「小林・益川理論」を提唱しました。

この理論はその後、正しいことが証明され、その業績で、10年前の平成20年にノーベル物理学賞を受賞しました。

ことしのノーベル賞は…「わからないよ!」

益川敏英さん「学問と遊ぶ」

まずは、ノーベル賞の受賞に値する価値のある研究を益川さんに尋ねました。

益川さんは笑って「わからないよ!」とのこと。

益川さんの専門の素粒子理論の分野でもホットな話題はほぼなくなってきていると言います。

そして話題は、重力波などに代表される重力に関する研究が増えているほか、5次元や10次元の空間に関する研究などより難解な理論が増え、益川さんも困惑することが少なくないと笑っていました。

大切なのは「しつこさ」

続いて、研究で成果をあげるために必要なことはなにかを聞きました。

益川さんがまずあげたのは「しつこさ」です。

益川さんは、1度考え出したら無我夢中で問題に取り組み、周りとも徹底的に議論したといいます。

益川敏英さん「学問と遊ぶ」

「僕自身も冷静に考えるとずいぶんしつこく周囲に議論をふっかけていたこともあったと思います。そして疑問に思ったことを『頭の中の棚』に入れておく。そして時折、取り出してしつこく考え続けることが大切」と力強く話しました。

益川さんが、ノーベル賞につながった「小林・益川理論」につながる課題に興味を持ったのは、大学院の学生の時でした。

その課題は忘れずにずっと考えていたと言います。数年後、本格的に取りかかる時がやってきました。

小林さんと出会うなど共同で研究する環境が整い、「小林・益川理論」を完成させたのです。

忘れることなく「しつこく」考えていたことが成功に結びつきました。

日本の実験環境は「世界トップクラス」

益川教授に現在の日本の研究環境について聞いてみました。

益川さんは「悪いところばかり指摘されるが、僕たちのときと比べて、研究で積み上げた理論を証明するための実験環境は、日本でも非常に整ってきた」と指摘しています。

益川さんの専門の素粒子の分野でも高エネルギー加速器研究機構など、実験環境についての技術が向上して、こうした環境は世界でもトップクラスで、今のこの分野の日本の研究者はとても恵まれた環境にあると話していました。

益川敏英さん「学問と遊ぶ」

受験対策の教育ではいけない

一方、日本の研究環境の課題について聞くと、「僕は理論だったので資金が必要な現代の多くの研究現場の状況はわからない」としながら、教育に課題があると指摘しました。

益川さんは、「日本の教育はどうしても入学試験への対応が前提になった、「受験対策」に成り下がっていると思います。想像力や好奇心を育むものではなくなっている」と指摘しました。

『学問が楽しい』ということを伝える、本来の教育に戻らなければ、今後、ノーベル賞を受賞できるような研究は日本からどんどん少なくなってしまうと懸念を示しました。

益川敏英さん「学問と遊ぶ」

「愛される知」

そこで、若い研究者や子どもたちにはどのようなメッセージを伝えたいか尋ねました。それに対して益川さんは、好奇心の大切さをあげました。若い世代を見ていると小学生から大学生に成長するにしたがって、物事への好奇心が少なくなっていっているように感じると不満そうです。子どもたちに最も伝えたいメッセージをボードに書いてもらいました。すると、見慣れぬ字を書き始めました。

フィロソフィア

益川敏英さん「学問と遊ぶ」

益川さんは「これはギリシャ文字でフィロソフィアと読みます。哲学という意味の『フィロソフィ』の語源となるギリシャ語で、その意味は「愛される知」ということです」と解説をしてくれました。

学問を愛してほしいという益川さんの願いが込められています。益川さんは小さいころ、疑問に思った数学や科学の問題について考えることが楽しくてしかたがなかったと言います。

「考えることに忙しくて宿題はやりませんでした」とおどけた表情で語り、「学問と遊んでいた」と子どもの頃を振り返っていました。

子どもたちには学問を勉強のようにやらなくてはいけないものと捉えるのではなく、「学問と遊ぶ」ように楽しむことができることを知ってもらいたいと繰り返し語っていた姿が印象的でした。