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ノーベル賞迫る
どう見る日本の研究力
世界の学術界の精通者は

イギリスの学術情報サービス会社「クラリベイト」は、ノーベル賞の有力候補とされる引用栄誉賞の受賞者を9月19日に発表し、日本からは2人の研究者が受賞しました。
日本からの受賞は2002年からの21年で33人。
受賞した日本人研究者のうち4人が、その後実際にノーベル賞に選ばれています。

一方で、懸念されているのが日本の研究力の低下。
20年ほど前は世界4位だった「注目度が高い論文の数」は、最新の分析で過去最低の13位にまで落ち込んでいます。

日本は、今後もノーベル賞の受賞者を輩出し続けることができるのでしょうか。
来日したクラリベイトの責任者に単独インタビューで聞きました。

2023年の世界の注目は「生成AI」や「新型コロナ」

クラリベイトの科学情報研究所(ISI)・研究分析部門で責任者を務めるデビッド・ペンドルベリー氏。

ノーベル賞の有力候補とされる引用栄誉賞の受賞者を決める際に、参考としている論文の引用数やその研究の特徴などを分析する部門のいわばトップです。

私たちはペンドルベリー氏の来日にあわせて単独インタビューをすることができました。

世界の学術業界に精通した人物に取材する貴重な機会。はじめに、ことし世界が注目する研究分野について聞きました。

ペンドルベリー氏

ペンドル
ベリー氏

「学術業界でもAI、特に生成AIの分野が注目されている。これらの成果がさまざまな分野の研究に画期的な発展をもたらす可能性があり、それによって学術情報の分野においても情報をより素早く生産したり、『シンセシス』と言うが統合したり新しいものを作り出したりということをもたらす可能性がある。プラスとマイナスの両面があるので、注意深く見守っていく必要がある。また、引き続きコロナウイルス関連の研究成果や論文がたくさん引用されている傾向は私たちが持っている情報から見て取れる」

ペンドルベリー氏が挙げたのは、急速な進歩が続くAI=人工知能と、依然各地で感染が続いている新型コロナウイルスという2大テーマ。研究のトレンドが社会の関心と強く結びついていることを感じました。

また、ペンドルベリー氏は、昨今ノーベル賞の候補として挙げられる研究を見ると、テクノロジー=科学技術の発展が研究の推進に貢献していると指摘しました。

ペンドルベリー氏

ペンドル
ベリー氏

「従来の考え方ではまず基礎研究があり、その成果がテクノロジーの発展をもたらしていたが、昨今はまずテクノロジーが発展し、それによって得られた能力によって研究が推進されるという傾向が見られる。例えば、2020年にノーベル賞を受賞した遺伝子を編集する技術の手法『CRISPER-CAS9(クリスパー・キャスナイン)』などは、テクノロジーの発展が研究を可能にした、まさにその成果だと言える」

中国が「論文引用数」で世界一に

世界の学術研究のトレンドを知る上で注目されるのは、論文の引用回数で世界1位に躍り出た中国の動向です。

文部科学省の科学技術・学術政策研究所は、2019年からの3年間に世界の国や地域で発表された自然科学分野の論文のデータを元に、注目度が高いことを示す他の論文で引用された回数の多い論文の数について、臨床医学や物理学、化学など22の分野を対象に国や地域ごとに分析しています。

各研究分野で上位10%に入った注目度の高い論文の数は、2019年からの3年間の平均で1位の中国が5万4400本あまり、次いでアメリカが3万6200本あまり、3位のイギリスが8800本あまりでした。
一方、日本は3700本あまりで、過去最低の13位。
10位の韓国にも及ばず、データがある1981年以降で最も低い順位となりました。

こうした躍進の背景に何があるのか。クラリベイトの調査によりますと、中国国内で発行される学術雑誌のうち、クラリベイトが設けた基準をクリアしている雑誌の数は、2006年の時点では日本が222誌だったのに対し中国は117誌と、日本の2分の1にとどまっていましたが、おととし(2021)には日本の353誌に対し中国が448誌と、調査開始以来初めて、日本を上回りました。

また、掲載された論文がほかの論文に引用された回数を平均して数値化し、学術雑誌の格付けに使われる「インパクトファクター」と呼ばれる指標では、一流雑誌と見なされるインパクトファクター10を超える雑誌が、去年(2022年)の時点で日本が2誌にとどまったのに対し、中国は55誌と、日本に大きな差をつけています。

クラリベイトによりますと、世界ではインパクトファクターの高い雑誌に論文が掲載されることが、研究の業績を評価する重要な要素とされているということで、中国では自国の雑誌と論文を、国を挙げて量産しています。

「1つの指標だけに頼るべきではない」

こうした中国の動向をどう見ているのか-
ペンドルベリー氏は、論文の引用数や雑誌のインパクトファクターは重要な指標ではあるものの、研究力をはかる際はひとつの指標だけに頼るべきではないと語りました。

「研究の業績を評価する際、最近はインパクトファクターに過度に頼る傾向がある。中国の雑誌は世界から注目を集めるために掲載されている論文の引用回数を増やし、インパクトファクターを上げようと努力しているが、業界全体として1つの指標に頼りすぎるのはかえってよくない傾向だ。実際に私たちは、研究を評価する際、さまざまな要素を分析していて、必ずしも掲載された雑誌のインパクトファクターだけで、研究のよしあしが決まるものではない」

その上で、こうした研究評価の傾向が、日本を含む他国の研究力への評価にも影響を及ぼしていると指摘します。

ペンドルベリー氏

ペンドル
ベリー氏

「よく日本の研究の質が落ちていると言われる根拠となっているのは、世界における研究の投稿数のシェアや、インパクトファクターのような指標だ。学術出版における世界的なシェアはゼロサムゲームが特徴で、誰かが奪うと誰かが失う。中国のシェアが上がってきたために、日本だけではなく多くの国がシェアを失ってきたということは伝えておきたい」

日本の研究力に深刻な懸念

その日本では、自然科学の分野全体の研究力に深刻な懸念が向けられています。

先ほどの論文引用数のデータでは13位と過去最低になりましたが、20年前の時点では、(1999年からの3年間)日本は、アメリカ、イギリス、ドイツに次ぐ4位で、中国は10位、韓国は14位でした。この20年で中国などが存在感を増す一方、日本の存在感は低下し続けています。

科学技術・学術政策研究所はこの背景として、ここ20年で国内の大学の研究開発費が主要国に比べ伸びていないことや、研究時間の確保が難しいことを挙げています。

さらに、高い専門性を持ち、大学などで研究の担い手となる博士号取得者の数がアメリカや中国、韓国でこの20年ほどで2倍以上になった一方、日本では減少傾向のあと横ばいが続いていることも指摘しています。

文部科学省の今年度(2023年度)の調査では、国立大学の教員のうち40歳未満の若手の7割が任期付きという結果も出ていて、研究者が安定して研究できる環境を整備することが課題となっているのです。

世界の学術界の精通者は日本と中国をどう見る

データだけで見ると、くっきりと明暗を分けた中国と日本。
その一方で、日本がこれまで、多くのノーベル賞受賞者を輩出してきたのに対し、中国本土から自然科学系の受賞者は1人にとどまっています。

また、ノーベル賞の有力な候補者とされる「クラリベイト引用栄誉賞」の受賞者数でも、日本の研究機関からは33人なのに対し、中国の研究機関からは2人となっています。

こうしたデータに反するような受賞実績にはどう説明がつくのか-
ペンドルベリー氏は科学研究を評価する、日本国内の仕組みが「成熟している」ことを挙げます。

ペンドルベリー氏

ペンドル
ベリー氏

「日本の研究者は必ずしもインパクトファクターばかりを重視していない。むしろ日本国内で出版されていて、その中で質がよければそれで十分だという形だ。そういった意味でも日本の研究は成熟していると言える」

今後も日本はノーベル賞を輩出できるか

クラリベイトが有力候補として挙げた研究者の中からはこれまでに、世界で71人がノーベル賞を受賞しています。

柳沢正史さん(左)  片岡一則さん(右)

日本からはことしも新たに、ノーベル生理学・医学賞の有力候補として筑波大学・国際統合睡眠医科学研究機構の機構長を務める柳沢正史さん。ノーベル化学賞の有力候補として川崎市産業振興財団の副理事長でナノ医療イノベーションセンター長の片岡一則さんの2人があげられました。

ことしも日本からノーベル賞の受賞者が選ばれる可能性はあるのか、最後に聞きました。

「日本はこれまで、その研究の規模以上のノーベル賞受賞者を輩出してきた国なので、ことし受賞者が出ても全く驚かないだろう。ノーベル賞の受賞者は毎年限られているので、研究の特徴からするとノーベル賞級であっても残念ながら受賞できない研究者もいると思うが、今後も日本はこれまでどおり、研究の規模以上のノーベル賞受賞者を輩出するだろうと確信している」

中国の研究力の評価を留保しつつ、日本の底力に期待感を示したペンドルベリー氏。ただ、中国の今後については “いずれ先端研究でも存在感を示してくるだろう”と予想する人もいます。

中国など海外の学術動向を分析している科学技術振興機構「アジア・太平洋総合研究センター」の白尾隆行さんは論文の引用数などの評価には注意が必要だとしつつ、「中国は特に習近平政権になってから基礎研究をはじめとした研究の充実に力を入れていて、研究費の増額や、一流の大学を育てる政策を講じるなど相当力を入れている。個別の分野でも、欧米の研究集会に招かれるなど、非常に先端的な研究を行う研究者が増えている」と話します。

「科学技術立国」の実現を目指している日本は、この先も研究の質を保ち、ノーベル賞級の研究者を輩出することができるのか。

ペンドルベリー氏が指摘した強みを生かしながら、研究力の底上げをはかることが必要だと感じました。

植田 祐

科学文化部 記者

植田 祐(うえた ゆう)

2012年入局。山形局、福島局、福井局を経て2022年から科学文化部。美術、歴史・考古学、消費者問題、ITと幅広い分野を担当。福島、福井では原発取材を経験。現在は古来の文化・芸術を学ぶ一方で、最新のカルチャーも追いかけています。

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