2022年のノーベル賞で注目
新型コロナワクチンのカリコ氏

2022年のノーベル賞で、大きな注目を集めているのが、新型コロナウイルスで実用化された「mRNAワクチン」の開発の立て役者、カタリン・カリコ氏です。

遺伝物質「mRNA」を活用した全く新しいタイプのワクチンで、わずか1年たらずという短期間で有効性90%以上という高い効果をもたらしました。

極めて短い期間に高い効果のワクチンを作り出せた、その仕組みとは?

そして、新型コロナウイルスにとどまらない、多くの病の予防や治療に活用できるという、その使い方とは?

ノーベル賞の“登竜門”「ラスカー賞」に選ばれる

「賞に選ばれて、これまでの長い道のりに思いをはせています」。

2021年9月下旬、アメリカで最も権威があるとされ、ノーベル賞の登竜門ともいわれるラスカー賞に選ばれ、喜びを語った女性。

ハンガリー出身でドイツのバイオ企業ビオンテックの上級副社長を務める、カタリン・カリコ氏です。

40年にわたって、遺伝物質のRNAに関する研究を続けてきたカリコ氏ですが、その存在が広く知られるようになったのは、この数年のこと。

新型コロナウイルスの流行で、ワクチン開発が本格化したころと重なります。

この間、カリコ氏は、数々の賞を受賞し、「次はノーベル賞か?」と期待する声も聞こえてきます。

mRNAワクチンとは?

カリコ氏らが開発に貢献した「mRNAワクチン」。

パンデミック収束の切り札として、ファイザーやモデルナのワクチンで採用されています。

新型コロナウイルスの表面には「スパイク」と呼ばれる突起があり、ウイルスはここを足がかりとして細胞に感染します。

ワクチン接種によってヒトに投与されるmRNAは、この突起の部分のいわば「設計図」。

この「設計図」によって私たちの体の中でウイルスの突起の部分だけが作られます。

すると「抗体」と呼ばれる物質が大量に作られ、新型コロナウイルスが入ってきても、「抗体」がウイルスを攻撃し、感染そのものや発症、それに重症化を防ぐ効果があるのです。

カリコ氏の功績とは?

このmRNAをワクチンなどに用いるアイデアは以前からありましたが、研究者の間では実現は難しいと考えられていました。

体内に入れると異物として認識されて炎症反応が起き、ときには細胞が死んでしまうこともあったためです。

ここに、一石を投じたのが、カリコ氏らの研究成果です。

mRNAを治療に使いたいと考えていたカリコ氏は、1990年代後半、当時、同じペンシルベニア大学で免疫学が専門のドリュー・ワイスマン教授と出会い、共同で研究を始めます。

2人は、細胞の中にある「tRNA」と呼ばれる別のRNAは炎症反応を起こさないことに注目。

mRNAを構成する物質の1つ「ウリジン」を、tRNAでは一般的な「シュードウリジン」に置き換えると炎症反応が抑えられることを突き止め、2005年に論文を発表しました。

さらに2008年には、特定のシュードウリジンに置き換えることで、目的とするたんぱく質が作られる効率が劇的に上がることも明らかにしました。

カリコ氏は当時の発見について、「シュードウリジンにすれば免疫反応を抑えられるとわかり、次の疑問はたんぱく質を作れるかどうかでした。そして、10倍のたんぱく質が作れることがわかり、『すごい!なぜこんなに優れているの?』と自分でも感じました。幸せな瞬間でした」と語っています。

また、共同研究者のワイスマン教授は「とても興奮したのを覚えています。夢見ていた、ワクチン開発や遺伝子治療などが、現実味を増しました。次に何をするべきか、治療につなげるにはどうしたらいいか、カリコ氏とすぐに議論を始めました」と振り返っています。

共同研究者のワイスマン教授(左)とカリコ氏(右) 写真:カリコ氏提供

ラスカー賞を運営する財団は、「2人の絶え間ない努力は、新型コロナウイルスの被害からすでに数え切れないほどの人命を救っている。彼らの極めて重要な研究成果は、医学に革命をもたらすだろう」と受賞の理由を明らかにしています。

新型コロナ以外のワクチンにも

「医学に革命をもたらす」というのは、どういうことなのか。

まずは、新型コロナウイルス以外でも、mRNAワクチンの開発が広がっていることがあります。

この技術は、ウイルスそのものを使わず、遺伝情報さえあれば、短期間に有効性の高いワクチンを生み出せる点に大きなメリットがあります。

このため、多様なニーズに合わせたワクチンを、大量に生産することができるのではないかと期待されています。

カリコ氏が上級副社長を務めるビオンテックは、新型コロナウイルスが流行する前から、インフルエンザやがんなどのmRNAワクチンの開発に力を入れていました。

インフルエンザは、すでに他の種類のワクチンが浸透していますが、mRNAワクチンであればより短い期間で、大量生産することができます。

また季節によって異なる流行の型にも対応しやすくなると注目されています。

がんでは、さまざまなたんぱく質に対応しやすい特徴を生かし、患者ひとりひとりにあったワクチンを開発することができるようになるのではと期待されています。

ビオンテックは、「われわれには、mRNAワクチンの時代がはっきりと見えている」として、マラリアやエイズ、結核などの病気でもmRNAワクチンの開発を進めることにしています。

さまざまな病気の治療に応用出来る可能性も

「医療に革命をもたらす」というもう1つのポイント。

それは、思い通りのたんぱく質を体内に作ることで、さまざまな病気の治療に応用出来る可能性があることです。

「mRNA医薬」です。

RNAを研究している、東京医科歯科大学の位髙啓史教授です。

カリコ氏とも、長年、交流を深めてきました。

カリコ氏(左)と位髙教授(右) 写真:カリコ氏提供

位髙教授は、2019年7月、mRNAを使って脊椎損傷を治療するマウスの実験に成功したと発表しました。

治療に使うのは、神経細胞の機能を高めるたんぱく質を作るmRNA。

これを、脊髄を損傷したマウスに注射します。

すると後足を引きずっていたマウスに、1、2週間で歩き方の改善がみられたというのです。

さらに、2021年1月には、mRNAを使って脳の神経細胞の死滅を防ぐ動物実験にも成功したと発表しました。

神経細胞を保護する働きのあるたんぱく質を作るmRNAを、脳の神経細胞が死滅し始めたラットに投与したところ、何もしないラットに比べて多くの細胞が生き残ったということです。

位髙教授は、「体のなかのいわゆる生命現象はたんぱく質の働きから成り立っていて、mRNAはどのようなたんぱく質でも作れる。そう考えると、その可能性は無限大に近いと思います。ワクチンよりは遅れますが、5年後、10年後という時期には、複数のmRNA医薬が実用化されて、徐々に一般的な存在になることを期待しています」と語っています。

カリコ氏の受賞は近いのか? 世界から注目集まる

免疫を誘導するウイルスの突起や、細胞の保護などの働きのあるたんぱく質を、人間の体の仕組みを使って作り出す「mRNA」。

人体にもともと備わる力で、病気の予防や治療に必要なものを体内に作り出すという方法そのものが、非常に画期的だと話す研究者もいます。

新型コロナウイルスのワクチンによって、その可能性が明らかになるなか、技術を活用したいという企業は急速に増え、今後、医療のあり方が大きく変わることも期待されています。

まさにその革命的な技術の先駆者となったカタリン・カリコ氏。

ノーベル賞を受賞する日は近いのか?世界中の注目が集まっています。

藤井 美沙紀

さいたま局記者(元国際部)

藤井 美沙紀(ふじい みさき)

2009年入局
秋田局、金沢局、仙台局を経て、国際部 担当は主にアメリカ

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