「彼女たちを助けて」続く性暴力の苦悩

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「1つの賞と1人の人間だけでは、目標を達成することはできません」 紛争下の性暴力の根絶を訴え続け、ことしのノーベル平和賞に選ばれたナディア・ムラドさんが、受賞決定後の会見で訴えた言葉です。ナディアさんが繰り返したのは、今も拘束されている女性や子どもたちを救い出してほしいという訴えでした。いま何が起きているのか。私はナディアさんのふるさと、イラク北部に向かいました。 (カイロ支局記者 柳澤あゆみ)

ヤジディに誇りを取り戻してくれた

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ナディアさんの受賞が決まった翌日、私たちはイラク北部の都市ドホーク近郊にある避難民キャンプに入りました。ナディアさんが、一時、暮らしていた場所でもあります。舗装されていない脇道に入り、ガタガタと大きく揺れる車でたどり着いた避難民キャンプは、トルコとの国境地帯にそびえる山のふもとにありました。

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中に入ってまず目にするのは、一面に並ぶ仮設住宅のようなプレハブの建物。過激派組織IS=イスラミックステートの迫害から逃れたヤジディ教徒、1万人以上が避難生活を送っています。キャンプでの生活は、長い人で4年になるとのことでした。

私たちを最初に迎えてくれたのは、ナディアさんの姉、ヘイリアさん(31)です。妹さんがノーベル平和賞に選ばれましたね!

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「とてもうれしく思っていますし、ナディアのことを誇りに思います。彼女は私たちが胸を張り、前を向いて生きられるようにしてくれました。すべてのヤジディ教徒に誇りをもたらしてくれたのです」

笑顔で語るヘイリアさん自身も、ISに拘束されレイプされました。母や兄弟はISに殺害されています。受賞決定後にナディアさんと話した時のことを教えてくれました。

「誇りに思っているよと伝えたら、ナディアは、兄と母は殺されてしまった、と言って泣き出しました。ーーーISが私たちにしたことを忘れません。妹も忘れないと思います」

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ナディアさん(左)ヘイリアさん(右)

ISの襲撃を受ける前、ナディアさんと2人で撮った写真を見せてくれたヘイリアさん。それぞれがISから逃げ、再会した時の印象をこう語っています。

「ISに拘束された時、ナディアはとても幼かったんです。けれどISから逃れてきたあとは、とても大人びて見えました」

ヘイリアさんの穏やかな笑顔や、会見でナディアさんが見せた、りんとした表情の奥にある傷の深さを、垣間見た気がしました。

ヤジディ教徒の尊厳を傷つけたIS

ヤジディ教徒は、ゾロアスター教の流れをくむヤジディ教を信仰する少数派です。

ISはヤジディ教徒が悪魔を崇拝しているなどとして迫害。男性は殺害し、女性や少女には性暴力を加え、ヤジディの人たちの尊厳を踏みにじりました。ヤジディ教徒の女性たちは、奴隷のように売り買いされました。

地元のNGOが入手したメッセージアプリの画面には、不自然に濃いメイクをし、露出度の高い服を着た少女たちの写真があたかも商品であるかのように並びます。

ISの戦闘員が投稿した情報では、少女はわずか13歳。1万2500ドル、日本円にして、およそ140万円という「値段」が提示されていました。

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ノーベル平和賞の選考委員会は、ISによるヤジディの女性への性暴力は、軍事的な戦略の一環として組織的に行われたと指摘し、性暴力を「戦争の道具」として使ったと批判しています。

ISは去年の秋、「首都」と位置づけていたシリアのラッカを失い、急速に弱体化しました。しかしシリアとイラクの国境地帯には残党が残り、いまだに女性たちが拘束され続けています。

受賞は“ISへの銃弾”

ナディアさんの受賞についてキャンプで取材して回ると、「尊厳や自信を取り戻してくれた」という意見が目立ちます。

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アンワルさん

取材を受けてくれたひとり、アンワル・ムラドさん(21)です。ナディアさんの受賞は「“ISへの銃弾”のようなものだと思った」と話してくれました。

「ISは『ヤジディ教徒は無価値だ、くず同然だ』と言い続けてきたんです。でもナディアが平和賞に選ばれて、そうではないということを証明した。ナディアはどうやってISと戦うかを知っていたんです」

死ぬことすら、許してもらえなかった

アンワルさんのふるさとの村が突然ISに襲われたのは、4年前の8月。男性と女性が別々に集められたうえで、男性は殺害されました。

ISの戦闘員は入れ替わり立ち替わりやってきては、集められた中から好みの女性を連れ去りました。アンワルさんもその1人です。

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戦闘員はアンワルさんにイスラム教への改宗を強制しました。イスラム教のお祈りの方法を覚えさせられたあと、「お前と結婚する」と告げられレイプされました。当時18歳だったアンワルさんに現実を受け入れることはできませんでした。

「本当につらくて、苦しくて、自殺を試みました。殺そ剤を飲んで死のうとしましたが、病院に連れて行かれました。死ぬことすら、許してもらえなかったんです」

消えない記憶

アンワルさんは拘束されたまま何か所も転々とし、最終的にイラクとの国境に近いシリア国内の村にいました。アンワルさんを拘束していた戦闘員の男が空爆で死亡し、拘束から逃れることができたのはことし7月のことです。

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地獄のような日々から逃れて3か月。家族のもとに戻ることができリラックスできていると話すアンワルさんですが、ふとした時に忌まわしい記憶が、よみがえります。

「眠ろうとすると、男がこちらに来る様子を思い出してしまい、恐怖を感じます。暗くなると、男の顔を思い出してしまうんです」

そんなつらい経験をなぜ私たちの取材に話そうと思ったのか。そう聞いた私をアンワルさんは静かに、でも力強い目で見据え、こう答えました。

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「私は今もまだISに拘束されている女性や少女を助けたいんです。すべての国にISから逃れられずにいる少女や女性を守ってほしい。彼女たちを助けたいから、カメラの前で話すことを決めたんです」

ISに連れ去られたまま、今も行方がわからない女性たちは1000人以上にのぼるとみられています。アンワルさんの姉妹3人の行方も、わからないままです。

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ISによる性暴力の被害は、まだ続いている。自分と同じ、つらい境遇にいる女性たちを助けてーーー。

ナディアさんの地元で突きつけられたのは「紛争下の性暴力」の被害者たちの悲痛な叫びと、ほかの女性たちのために声を上げようという決意でした。彼女たちにどう応えていけばいいのか。私たちが真剣に向き合うべき時が来ています。

野口 修司
カイロ支局記者
柳澤 あゆみ